第29話 根暗男のまたまた新たな野望
「ねえ、岡ちゃん。勝のやつ、最近元気ないんだ」
今服喜多代は親友の岡伊代を自宅に招き、恋人の木本勝のことについて相談していた。
「なんで?」
「声優のオーディションを受けまくってるんだけど、全部うまくいかなくてさ」
「ふーん。でも、声優の勉強を始めてまだ間がないから、それは仕方ないんじゃない?」
「私もそう言ったんだけど、『俺には才能がない』の一点張りで、全然聞く耳を持ってくれないんだ」
「まあ、結果がでなくてそう思う気持ちは分からなくはないけど、あきらめるのはまだ早過ぎるよね」
「私もそう思うけど、このままじゃ、いつやめると言い出してもおかしくない状況なんだよね。せっかく縄跳びに替わる新しい目標ができたって喜んでたのに……」
「服ちゃんとしては、木本さんにこのまま声優になることを目指してほしいんだよね?」
「うん」
「分かった。じゃあ私が、木本さんにそう言ってあげる」
「えっ、なんで岡ちゃんが?」
「元々、木本さんに声優を目指したらと言ったのは私だしね。それに、困っている時に助けてこそ、親友ってものでしょ?」
「だから私、岡ちゃんのこと好きなの!」
そう言って抱きついてきた喜多代に、伊代は「大船に乗ったつもりでいてよ」と、自信満々に答えた。
翌日の昼休み、工場裏に木本を呼び出した伊代は、彼がやって来るなり、「あまり服ちゃんに心配させないでください」と言い放った。
「ん? 話が全然見えないんだけど」
「声優のオーディションが受からなくて落ち込んでるんでしょ? まだ勉強を始めて間もないのに、そう簡単に受かるわけないじゃないですか」
「そうかもしれないけど、俺の場合全部一次で落ちてるからさ。才能がないと思っても仕方ないだろ?」
「この段階でそう思うのは早計過ぎますよ。服ちゃんのためにも、もう少し頑張りましょうよ」
「言うのは簡単だけど、実際にやる方はそう簡単にはいかないよ。俺って元々、メンタルが強くないし」
「木本さんって、縄跳びの世界記録持ってたんでしょ? そんな人がメンタルが弱いわけないじゃないですか」
「縄跳びは元々好きだったから頑張れたけど、声優は別にやりたかったわけじゃないからな」
「それでも一度目指したものは、最後まで貫きましょうよ」
「最後っていつ?」
「いつやめても悔いはないと思うほど、やり切った時です」
「今がそうなんだけど」
「早っ! だってまだ二ヶ月くらいしか経ってないじゃないですか」
「二ヶ月だろうがなんだろうが、そう思ったんだから仕方ないだろ?」
「じゃあ、声優はもうあきらめるんですか?」
「ああ。君や喜多代には悪いけど、そうしようと思ってる」
「じゃあ、今度は何を目指すんですか?」
「そんなの、まだ決めてないよ」
「でも、まだ若いんだから、このままずっと派遣社員を続けるわけにもいかないでしょ?」
「そう言う君はどうなんだ? 君は俺より三歳も若いじゃないか」
「えっ! 急に話をすり替えないでくださいよ」
「偉そうに俺に説教するくらいだから、君もなにか目指してるんだろ? それを詳しく聞かせてくれよ」
「えーと、それは………」
「なんだ? もしかして、何もないのか?」
「ありますよ! 私の夢は、好きな人と結婚して幸せな家庭を築くことです」
「はあ? そんな子供時代のことじゃなくて、今の夢を訊いてるんだけど」
「だから、今の夢がそれなんです」
「はははっ! そんなちっぽけな夢しか持っていない君が、今まで偉そうに説教してたのか?」
「ちっぽけで悪かったですね。ていうか、私、木本さんの笑った顔、初めて見ました。服ちゃん以外の人にも、そんな顔見せられるんですね」
「君の答えがあまりにも意外だったから、つい吹き出しちゃったんだよ」
「今ちょっと思い付いたんですけど、木本さんユーチューバーを目指したらどうですか?」
「はあ? 人見知りの俺が、そんなのできるわけないだろ」
「ユーチューバーは基本一人でやるものだから、人見知りでもできますよ」
「そうかもしれないけど、俺にはネタがないよ」
「縄跳びがあるじゃないですか。木本さんが実際に縄跳びをしながら、いろいろアドバイスとかすればいいんですよ。縄跳びって結構な運動量だから、ダイエットにはもってこいなんです。女性にとってダイエットは切っても切り離せないものだから、元世界記録保持者という実績と、その渋い声が相まって、女性のチャンネル登録者が急増するかもしれませんよ」
「そんなにうまくいくかな」
「うまくいくかどうか分からないけど、とりあえずやってみる価値はあるんじゃないですか?」
「そうだな。今は別段やることもないし、暇つぶしにちょっとやってみるよ」
「是非そうしてください。ネットへのあげ方とかは、後で私が教えますから」
「ああ。そうと決まれば、縄跳びの特訓をしないとな。世界記録が破られてから、今日までずっとしてなかったから、体がなまっちゃってるんだよな」
木本はそう言うと、嬉しそうな顔でその場を去っていった。
その後ろ姿を見ながら、伊代はホッと胸をなでおろしていた。
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