第23話 洗い場の女王
「レオ、もっと早く洗いなさいよ!」
「坂川さん、ちょっとゴミ出し行って来て!」
「大川さん、さっさと洗濯終わらせてよ!」
洗い場に飛び交う怒号の数々。
その声の主は、周りから『洗い場の女王』と呼ばれ、恐れられている山本葉子だった。
葉子はこの部署の洗い場専門で、洗い場での作業については誰よりもよく知っていた。
「まあ、洗い場のことなら、私に聞いてよ。なんでも答えてあげるからさ」と、葉子はいつも得意満面で言っているが、単にライン作業についていけないから、洗い場に回されているだけだった。
無論、本人はそのことを知らないため、自分は班長の井上から洗い場の仕事を任されているのだと、大きな勘違いをしていた。
そんなある日、いつものように葉子が洗い場で作業していると、ペアで作業していた木戸が「あーあ。今日はついてないな」と、何気につぶやいた。
すると……
「木戸君、そんなこと言ってると、明日からもずっとここで作業させるわよ」
冷静な口調でそう言う葉子に、木戸は「わあっ! こんな罰ゲームがずっと続くなんて、俺には耐えられません!」と、思わず本音を漏らした。
洗い場での作業は、葉子以外の一人は日替わりになっていて、その日のポジションが洗い場になることを、みんなは陰で罰ゲームと呼んでいた。
「罰ゲームって、どういう意味よ」
マスク越しでも分かるほど、怒りの表情を向ける葉子に、木戸は「いや。決して葉子さんと仕事をするのが罰ゲームじゃなくて、洗い場での作業自体が嫌なんですよ」と、必死に弁解した。
「なんでそんなに嫌なのよ。ライン作業みたいに追われることもないから、こっちの方が気楽でしょ?」
「たとえそうでも、この狭い空間に葉子さんと二人きりという状況が耐えられないんですよ。あっ……」
思わず口を滑らせてしまった木戸に、葉子は「やっぱり、それが本音みたいね」と、透かさずツッコミをいれた。
「バレたのなら仕方ないですね。そうですよ。今言ったのは、全部俺の本音ですよ」
堂々と開き直る木戸に、葉子は「じゃあ今日は思う存分、罰ゲームを堪能するがいいわ」と、マスク越しでも分かるほどの不気味な笑みを浮かべながら返した。
「ええ、そうします。お化け屋敷だと入場料を払わないといけないけど、ここだとタダでホラー気分を味わえるから、断然お得ですしね」
木戸も負けじと言い返し、二人の泥仕合はこの後、終業時刻までずっと続いた。
翌日、洗い場に指名されたレオは、葉子の顔をみるやいなや、「ひいっ! 化け物!」と、お決まりのセリフを吐いた。
すると……
「あんたも、私と一緒に仕事をするのを罰ゲームだと思ってるの?」と、葉子はいつもにも増して低い声で言った。
「どうしたんですか、葉子さん? なんか、元気がないですけど」
「そう? 私はいつも通りのつもりだけどね。それより、さっきの質問に答えてよ」
「質問って、なんでしたっけ?」
「みんな、私と一緒に仕事をするのを罰ゲームだと思ってるみたいだけど、あんたもそう思ってるの?」
「私がそんなこと思うわけないじゃないですか。むしろその逆で、私はいつも葉子さんと仕事する時はドキドキしています。もっとも、それは興奮してるからではなく、恐怖のあまりずっと緊張してるからなんですけどね。ぎゃははっ!」
「ふーん。やっぱり、あんたもそうなんだ」
「えっ! いつもなら、怒ってセルフツッコミをいれるところなのに、葉子さんやっぱり変ですよ。最近なんかあったんですか?」
「昨日、木戸君からいろいろ言われて、へこんでるのよ」
「あいつの言うことなんて、気にしない方がいいですよ。あいつ自体、全然人間ができていないんだから」
「でも、みんなが私と仕事をするのを嫌がってるのは本当みたいだし、このまま私が洗い場に居続けたらみんなの迷惑になるから、誰かと代わった方がいいのかな?」
「そんなこと言っても、葉子さんはライン作業ができないから、井上さんの判断で洗い場に回されたんでしょ?」
「えっ! そんなの初耳なんだけど」
「マジですか! そんなの、葉子さん以外はみんな知ってますよ」
「じゃあ私は、これからどうすればいいの?」
「余計なことは何も考えず、これまで通り『洗い場の女王』に君臨していればいいんですよ」
「『洗い場の女王』か。なんかそれ、響きがいいわね」
「あれ? 葉子さん、もしかして、そのフレーズ気に入ってるんですか?」
「うん。かなりね」
「じゃあ、もう迷うことはありませんよ。他の者が何と言おうと、このまま洗い場に居続ければいいんですよ」
「うん、分かった。レオ、ありがとうね」
「ただ、私としては、『洗い場の女王』より『洗い場の幽霊』の方がしっくりくるんですけどね。ぎゃははっ!」
そういって笑い転げるレオに、葉子は透かさず「それ、意味が全く分からないから!」と、いつものように鋭いツッコミをいれていた。
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