第13話 根暗男の新たな野望

「ねえ岡ちゃん、私もう勝とはダメかも」


 昼下がりのカフェの中、今服喜多代は親友の岡伊代に向かって、涙ながらに訴えた。


「えっ! この間はうまくいってると言ってたのに、どうしたの突然?」


「勝が縄跳びが得意だってことは、岡ちゃんも知ってるでしょ? 実はそれがうまくいかなくなった原因なの」


 喜多代の恋人である木本勝は、日本でも有数な縄跳びの名手だった。


「縄跳びが原因って、どういうこと?」


「勝、つい最近まで、七重跳びという世界記録を持ってたんだけど、この前、ついにその記録が破られて、それ以来ずっと落ち込んでるの」


「私、縄跳びのことはよく分からないけど、そんなに落ち込んでるのなら、服ちゃんが励ましてあげればいいじゃん」


「もちろん、そうしたわよ。でも、何を言っても上の空で、もはや生きてるのか死んでるのかも、分からない状態なの」


「でも、木本さんって、元々そんな感じだったじゃない」


「はあ? それ、どういうこと? いくら岡ちゃんでも、今のは聞き捨てならないわ」


「ごめん! つい心の声が漏れちゃって……」


「ということは、ずっとそう思ってたってことね。親友の恋人をそんな風に思ってたなんて、ちょっとひどくない?」


「でも、私の言ってることも、あながち間違いじゃないでしょ? 現に、私は木本さんの笑った顔すら見たことないから」


「彼は極度の人見知りだから、私以外の人に感情を表すことはなかったけど、私の前ではよく笑ってたのよ」


「そうなんだ。じゃあ、その笑顔を見られなくなったから、別れを決断したの?」


「まだそこまでは決めてないけど、このままの状態が続くのなら、それも仕方ないと思ってる」


「ふーん。服ちゃんの木本さんに対する思いって、その程度のものだったんだ。ちょっと、ガッカリしたわ」


「何よ、その言い方は。坂本さんみたいな浮気男といつまでも付き合ってるあんたに、そんなこと言われたくないわ」


「私はそれだけ真剣だってことよ。服ちゃんには、その真剣さが足りないのよ」


「私だって真剣よ。だから、こうしてあんたに相談してるんじゃない」


「じゃあ、はっきり言わせてもらうけど、そんなくだらないことでいつまでも落ち込んでるような人とは、もう別れた方がいいよ」


「くだらないとは何よ!」


「くだらないから、くだらないって言ったのよ。私から言わせてもらうと、縄跳びの世界記録なんて、何の価値もないわ」


「あんたが、そんなひどいこと言う人だとは思わなかったわ。もう絶交よ!」


 そう言うと、喜多代は勢いよく店を飛び出した。

 残された伊代は、すぐにスマホの住所録から木本の連絡先を調べ、ラインした。


『今、駅前のカフェにいるんですけど、今から来れますか?』


『行けるけど、用件は何?』


『それは会って話すので、とりあえず来てください』


『分かった』




 程なくして現れた木本に、伊代はいきなり「たかが縄跳びの記録を破られたくらいで、いつまで落ち込んでるんですか」と、痛烈なダメ出しをした。


「僕は縄跳びの世界記録を持ってることが、唯一の自慢だったんだ。それを破られたんだから、落ち込んでも仕方ないだろ」


「落ち込むのが悪いとは言ってません。でも、いつまでも引きずってても仕方ないでしょ?」


「そのくらい僕は縄跳びに賭けてたってことさ」


「そんなに縄跳びが好きなら、また世界記録に挑めばいいじゃないですか。その方が落ち込んでるより、ずっと前向きでしょ?」


「君はよく知らないから、そんなことが言えるんだろうけど、縄跳びの世界記録って、そんな簡単に出せるものじゃないんだよ」


「じゃあ、どうするんですか? このままじゃ、服ちゃんにも嫌われますよ」


「それも仕方ないと思ってる。とにかく僕はもう何もやる気が起きないんだ」


 そう言って頭を抱え込む木本に、伊代は「じゃあ、その渋い声を活かして、今の仕事を続けながら、声優を目指したらどうですか?」と提案した。


「木本さんって、今二十六歳でしょ? その歳で、そんな渋い声を出せる人なんて、そうそういないですからね」


「声優か。今までそんなこと考えたことなかったけど、確かにこの声は武器になるかもな」


「そうですよ。もし木本さんが声優になったら、海外の渋い俳優の吹き替えのオファーがじゃんじゃん来ますよ」


「そうかな? じゃあ、もう縄跳びは卒業して、声優を目指しちゃおうかな」


「その意気ですよ。そうすれば、服ちゃんもきっと喜びますよ」


「分かった。じゃあ、これから声優のオーディションを片っ端から受けてみるよ」


 今までずっと暗い顔をしていた木本は、伊代の提案を聞いてから見る見るやる気に満ちた表情へと変わっていった。

 そんな彼を見て、伊代はホッと胸をなでおろしていた。

 


 

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