第10話 チューさせろ!
先日入社した派遣社員の大川八郎は、作業中にぶつぶつと独り言をつぶやくことで名が知れていた。
例えば、作業中に自分がミスをした時に「ああ、俺はなんてダメな奴なんだ」とつぶやいたり、隣で作業している者が流れについていけない時に、「まるで俺を見てるようで、親近感が湧くな」と、つぶやいたりしていた。
そんなある日、作業中いつものように何やらつぶやいている大川に、近くで作業していた仲良しコンビの今服喜多代と岡伊代が反応した。
「あんたさあ、さっきから何をぶつぶつ言ってるの?」
「そうよ。気持ち悪いったら、ありゃしない」
「俺は別に何も言ってないよ」
「あんた、もしかして自覚ないの?」
「これは、思ったより重症だわ」
頭を抱える二人に、大川は「君たち、そんな嘘までついて、俺と話したかったの?」と、平然と言ってのけた。
そしたら……
「そんなわけないでしょ!」
「そうよ! 勘違いも甚だしいわ!」
烈火のごとく怒る二人に、大川は「そんなにムキになるということは、あながち間違いではなさそうだね」と、ニヤニヤしながら言った。
「あんたさあ、この際だから言うけど、女子はみんな、あんたのこと気持ち悪がってるよ」
「そうよ。見た目も中身もキモいんじゃ、それも当然だけどね」
「君たち、そうやって強がるのもいいけど、女性はもっと素直になった方がいいと思うよ」
「それ、二枚目が言うセリフで、三枚目のあんたには全然似合わないから」
「そうよ。三枚目のあんたは、私たちの言うことに黙ってうなずいてればいいのよ」
「君たち、どうやら三枚目の本当の意味を知らないようだね」
「何よ、本当の意味って?」
「三枚目って、モテない男のことじゃないの?」
「違うよ。むしろ、その逆で、三枚目はモテる場合が多いんだ」
「そんなの嘘よ」
「自分が三枚目だからって、デタラメ言わないでよ」
「デタラメじゃないよ。三枚目っていうのは、空気を読むのが得意で、その時の雰囲気に合わせてその場を盛り上げる、いわばムードメーカーみたいなものなんだ」
「そんなわけないでしょ」
「そうよ。なにがムードメーカーよ」
「そんなに疑うなら、後で調べればいいよ。で、もし俺の言ってることが正しかった場合は、どう責任を取るつもりだい?」
「その時は、あんたの言うことを何でも聞いてやるわよ」
「そうよ。あんた、私たちに何をしてほしいのよ」
「そうだな。じゃあ、とりあえず、チューさせてよ」
「チュ、チュー⁉」
「あんた、自分が何言ってるか分かってるの?」
「もちろん、分かってるよ。で、チューさせてくれるの?」
「させるわけないでしょ!」
「そうよ! あんたとチューするくらいなら、ネズミとした方がマシよ! チューだけにね」
「はははっ! 岡さん、なかなか面白いこと言うね。そのギャグセンスに免じて、チューは勘弁してあげるよ。その代わり……」
「その代わり、何よ」
「もったいぶってないで、早く言いなさいよ」
「逆立ちして工場を一周してもらおうかな」
「そんなの、チューと比べれば、お安い御用よ」
「もし、あんたの言ってることが嘘だったら、どうするのよ?」
「その時は、葉子さんとチューしてあげるよ」
「それ、交換条件としては十分ね」
「もし私が男だったら、ネズミとチューした方がまだマシだわ」
「じゃあ、これで賭けは成立だね。二人とも、後で吠え面かかないでよ」
「その言葉、そっくり返してやるから」
「後で冗談でしたって言っても、聞く耳持たないからね」
やがて昼休憩が終わり、従業員たちが作業室に戻ると、そこには明らかに落胆している喜多代と伊代の姿があった。
「ああ、葉子さんとチューできなくて残念だな」
ニヤニヤしながら嫌味を言う大川に、二人は返す気力もなく、ただ黙々と作業をこなしていた。
「さてと、じゃあ約束通り、逆立ちして工場を一周してもらおうかな」
終業時刻になるやいなや、大川はすぐに着替え、二人に催促した。
「してもいいけど、それをやると時間が掛かって、帰りのバスでみんなを待たせることになっちゃうんだよね」
「悪いけど、もっと短い時間でできるものに変更してくれないかな?」
「じゃあ、俺とチューすることで勘弁してあげるよ」
「また、それ?」
「あんたの頭の中は、それしかないの?」
「手っ取り早く済ませるには、これが最善の方法なんだよ。さあ、先に俺とチューするのはどっちだ?」
そう言って迫る大川に、二人は悲鳴を上げながら逃げ回った。
「おい、なんで逃げるんだよ」
「あんたがキモいからに決まってるでしょ!」
「そうよ! もう私たちに付きまとわないでよ!」
「今更、それはないだろ! チューさせてくれるまでは、絶対あきらめないからな!」
執拗に二人を追いかける大川を見兼ねて、ついにレオが重い腰を上げた。
「大川さん、みっともないので、もうそのくらいにしたらどうですか?」
「俺だって、こんなことしたくないよ。でも、約束を守らせるには、こうするしかないんだよ」
「なんでそんなにチューにこだるんですか? もっと別のものにすればいいじゃないですか」
「そんなこと、お前に言う筋合いはない。いいから、そこをどけよ」
「いいえ、どきません。あなたたちがいないと、私たちはいつまでも帰れませんからね。さあ、そうと分かれば、さっさとバスに乗ってください」
レオの迫力に押され、大川は渋々バスに乗り込んだ。
「レオ、あんた、たまにはいいことするのね」
「まあ、今までのことを考えると、これくらいのことは当然だけどね」
「ほんと、あなたたちにはかないませんね。あまり男を甘く見てると、そのうち痛い目に遭いますよ」
大川は笑いながら冗談を言い合う三人を睨みながら、「チューさせろ。チューさせろ。チューさせろ」と、狂ったように独り言を連呼していた。
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