第8話 伝説の生き物『はやっしー』

「だから、それは後でやると言ってるだろ! 何度言えばわかるんだ!」


「今やらないと、クリームの出来が変わるんですよ! そんなこともわからないんですか!」


「一分やそこら遅れたからって、大して変わりはしねえよ!」


「いえ! その一分が命取りになることもあるんです!」


 仕込み室に飛び交う怒号の応酬。

 一ケ月前に、前リーダーの猿飛亜矢が他部署に異動されてから、先輩社員の田中と後輩社員の山本は毎日のように、何かにつけて言い合いをしていた。


「まあ、まあ。焦っても仕方ないので、もっと落ち着いてやりましょうよ」


 その中で派遣社員の松岡健次郎は、場の雰囲気を良くすることに苦心していた。


「じゃあ、松岡さんは、どっちが正しいと思いますか?」


「…………」


 突然田中に振られ、優柔不断な松岡は黙り込んでしまった。そんな彼を見兼ねて、今年還暦を迎えたアルバイトの林博満が横から割って入った。


「はやっしーから提言だよ。二人とも、そんなにケンカばかりしてたら、いけないんだっしー」


「はあ? 林さん、こんな時に、ふざけないでくださいよ」

「そうですよ。そもそも、はやっしーって何ですか?」


「俺が東京にいた頃に聞いた話によると、はやっしーは、東京のある林の中で見つかったことから、その名が付けられた伝説の生き物さ」


「伝説の生き物?」


「ああ。身長は2メートル前後で、語尾に『しー』を付けてしゃべるのが特徴らしい」


「はやっしー、身長たかっ!」

「その割に、語尾に『しー』を付けるなんて、なんかギャップが激しいですね」


「それが、はやっしーの憎めないところさ。それより、二人とも何か気付かないか?」


「なにがですか?」

「別に何も気付きませんが」


「さっきまであんなに激しく言い合ってたのに、今はお互いの意見が一致してるだろ? それはみんな、はやっしーのおかげなんだよ」


「それ、ちょっと強引過ぎません?」

「そうですよ。自分の名前と似てるからって、はやっしーを買い被り過ぎですよ」


「二人とも素直じゃないな」


「俺たちは思ったことを言ってるだけですけど」

「そうですよ。素直じゃないのは、むしろ林さんの方じゃないですか」


 なかなか感謝の言葉を発しない二人に業を煮やした林は、「江戸汁プシュー!」と叫びながら、仕込み室から出て行った。



 


 翌日、何食わぬ顔をして仕込み室で作業をしている林に、松岡が声を掛けた。


「昨日は僕のために、あんな作り話までしてくれたのに、フォローできなくてすみませんでした」


「松岡君、あれは作り話なんかじゃなく、本当の話だよ。はやっしーは、東京では有名な伝説の生き物なんだ」


「地方とかならわかりますけど、なぜ東京で有名なものが、全国的に知られてないんですか?」


「それはある事情があって、長い間封印されていたからさ」


「ある事情?」


「ああ。ここだけの話、はやっしーは、パクりだという噂があるんだ」


「えっ! 何をパクったんですか?」


「ある地方都市に、その都市の名前をもじったゆるキャラがいるんだけど、名前としゃべり方がそれとよく似てるんだ」


「なるほど。それはパクったと思われても仕方ないですね」


「でも、東京人の俺としては心外なんだよな」


「林さんは東京人じゃないでしょ」


「十五年も住んでたんだから、東京人みたいなものさ。現に、広島に戻って十年以上経つけど、未だに東京弁が抜けないしな」


「そういうのを、東京かぶれって言うんですよ。前から思ってたんですけど、いい加減その鼻につくしゃべり方をやめてくれませんか?」


「なに! 東京かぶれとは何事だ!」


「だってそうでしょ。東京人でもないくせに、いつまでも東京弁を使ってるなんて、未練がましいにも程がありますよ」


 いつもは優柔不断で平和主義の松岡がここまで攻撃的になるのだから、林の東京弁に、よほど不満が溜まっていたのだろう。


「俺がどんな言葉で話そうが、俺の勝手だ! 君にとやかく言われる筋合いはない!」


 林の怒鳴り声を聞いて、すぐさま田中と山本が止めに入った。


「林さん、落ち着いてください」

「とりあえず、ケンカの理由を聞かせてくれませんか?」


「松岡君が、俺のことを東京かぶれと言ったんだ」


 林の言葉を聞いて、田中と山本は思わず吹き出した。


「君たち、何がそんなにおかしいんだ?」


「いや、松岡さんの言葉が、あまりにも的を得たものだったから」

「僕たちも、前々からそう思ってたんですよ」


「なんだと? じゃあ君たちは、前から俺のことを心の中で馬鹿にしてたのか?」


「それはちょっと語弊がありますね」

「そうですよ。僕たちは馬鹿にしてたんじゃなく、小馬鹿にしてただけですから」


 二人の心ない言葉を聞いた林は、「江戸汁プシュー! 江戸汁プシュー! 江戸汁プシュー!」と、顔を真っ赤にさせながら叫び、逃げるように仕込み室から出て行った。




「林さん、もう戻って来ないかもしれないな」


「あの人、口ばかりで行動が伴わなかったから、別にいいんじゃないですか?」


「それにしても、最後の三連発は、いたちの最後っ屁みたいで面白かったですね」


「「はははっ!!」」


 松岡の言葉がよほど面白かったようで、田中と山本は腹を抱えるほど大爆笑していた。





 



 

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