第7話 この国はおしまい!【大臣視点】


「お疲れ様です、ゲルハート様」


 すれ違いざまに城の衛兵にそう声をかけられ、片手を上げて返しながらとぼとぼと道を歩く。

 石畳の廊下に響く自身の足音が陰鬱で重く聞こえるのは、今の私を取り巻く環境があまりにも苦しすぎるからだ。このゲルハート・ポルトマン、政務に携わり数十年たつがこれほどまでの苦境に立たされたことはいまだかつてないだろう。


 娘のリリアンが王子に見初められたときは、英雄の妻と王妃を天秤にかけて王妃にすることを選び、各方面への根回しを行った。そこまでは良い。


 聡明だった筈の王子の婚約破棄と追放宣言。それを切欠に魔物の侵攻を受け、王子の功績にするべく配下の精兵を王子の騎士団と共に対処に向かわせたら壊滅してしまった。

 そしてそこから現実から目をそむけるように淫蕩にふけるようになり公務をまともにすることもなくなった王子、そして病に倒れた王。

 さらには運悪く私が不在の間に訪問した、妖精女王の使いに対しての失礼極まりない物言い。王子はこの国が加護を与えられている側だということすら理解できていないのか?


 ―――こんな筈じゃなかった。


 王子は確かに若干性格に難がある人間ではあったが、あそこまで酷くはなかった。少なくとも、私や私の派閥で下支えすれば滞りなく国を治めることが十分にできる程にはしっかりと教育を受けていたし、この国を取り巻く状況に対しても、あとは我々の外交的交渉で纏まる筈だった。


 それがどうだ。目を覆いたくなるような王子の横暴、いっそ斬って捨ててしまった方が国のためになるのではないかと思わせるほどの愚かさ!!

 だがそうなった場合にあの王子を担ぎ上げた私の一派は失墜する。それだけで済めばよいが、下手をすれば私は国賊として討たれる側だ。

 私の首ひとつでおさまるなら最悪甘んじて受け入れるしかないが、これ以上王子のイカれた言動への不平や不満がたまり続けたら国が割れるかもしれない。

 めりこみ……いや、下半身直結王子を野放しにしたら国が滅びる。

 なんとか手綱を握って、もしくはお飾りの王として何もさせないぐらいまで持ち込まなければいけないところまで来ているのだ。王子本人は知らないが、王子の評判をここから巻き返すのは難しいし、王子の言う通りに美女を集めた後宮を作ってそこに押し込むぐらいした方がいっそ国のためになる気がする。


 ……どうしてこうなった、それしか言えない。

 不敬を承知で言うがあまりにも愚か、あまりにも俗物、浅はかで浅慮が過ぎる。

 ただただ気が重く、胃が痛い。セドリック王子がこれほどとは読めなかった……!この謀臣ゲルハートの目をもってしても……!!!


「お疲れのようですわね、お父様。あまり悩んでると……おハゲになりますわよ」


 そんな気の滅入る事を考えながら歩いていたので声をかけられるまで気づかなかったが、向かいから歩いてきたのは愛娘であり王子の婚約者、そして次期王妃となるリリアンだった。リリアンに声をかけられて、娘に心配をかけるのは良くないと笑顔を作る。あと、私の前髪は戦略的後退しているだけで決してハゲではない……いや、そんなことはどうでもいい。



「あぁ、すまない。格好悪いところを見せてしまったね」


 努めて明るく振る舞うが、そんな私の態度に楽し気に話しかけてくるリリアン。


「いいえ、それよりもあまり根を詰めないでくださいね、お父様。王子の事で気をもんでいらっしゃるようですが、心配は無用ですわ」


 ……何を言っているんだ、と言いたくなったがリリアンの物言いと様子に不審なものを感じて、思わず表情に出してしまった。家族が相手、ということもあるが、私にしては迂闊な態度だったと思う。


「セドリック様はあれでよいのです。いいえ、ああしていてもらわなければ困ります」


 にこり、と笑うその笑顔に、空恐ろしいものを感じるのは長年権謀術数の中に身を置いていたからだろう。その言葉の裏にある意図を無数に考える。幾つも考えて―――考えたくない可能性に気づく。


 リリアンに耽溺するようになってから堕落していく王子、聖女教会、リリアン、病に倒れた王。もしそれらが繋がっているとしたら……私はとりかえしのつかない事に加担しているのではないか?

 聖女教会と言えば、かつて聖女が大英雄と共に打倒した『欲神マルサルオス』の封印を管理していた筈。

 己の欲望に従い世界を暴れまわった邪悪極まりない世界の破壊者。この世界のものを超越した強大な力を持つその欲神は、太古の昔に大英雄が率いる仲間たちに封印された、はっきりと現存する太古の神だ。噂によると、人の心の欲望を解き放つ秘術を使う、とも聞く。


 性格に難があるところもあったがそれなりに優秀だった筈の王子があそこまで堕落したことと、聖女教会が管理している太古の欲神が重なる。

 ……リリアン、お前が王子を堕落させているのか?その先には聖女教会がいるのか?

 そんな私の心中を見抜いたかのように、悪戯を叱られる女児のように笑うリリアン。それは幼いころからよく知る愛娘のそれでと同じではあったが、全く別物ののようで空恐ろしく感じた。


「ふふふ、嘔吐しそうなぐらい怖がらなくてもいいじゃありませんか……安心してください、安心してくださいませ……“お父様”。」


 ―――駄目だ、無理だ。いっそ叫んで逃げ出したくなる。私はリリアンを心の美しい優しい娘だと思っていた。思い込んでいた。錯覚していた。今目の前にいるこの少女からは、危険しか感じない。……私は致命的に見誤った。もはや私の状況は詰んでいる。そんな私の絶望を気にすることもなく、リリアンは私の横を通り過ぎ、去って行った。


「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」


 リリアンの姿が完全に見えなくなった後、膝から力が抜け、地面に四つん這いになりながら絶望で震えた。

 ……そもそもが間違っていたのだ。ディアナ様やユーマ殿を追放等してはいけなかった、地面に額をこすりつけて不義の許しを請わなければいけなかったのだ。あの2人と黒竜の子がこの国を去ったことが今の状況の引き金なのは確定的に明らかだ。

 このままではこの国は亡びる。どうか、どうかもう一度この国を助けてほしい、神よ、聖女よ、英雄よ……。

 恥じ入りながら自分の愚かさを噛みしめ、薄暗い廊下で咽び泣いた。

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