単身自殺の試み
私は今、人生がこれ以上なく楽しい。多分というか、絶対に友達のお陰だ。でもこの充実感は、もうすぐ終わっちゃう。そんなの嫌。私は、人生の幕を最高潮な状態で下ろしたい。だけど、みんなには迷惑をかけたくない。だから、誰にも気づかれないどこかでひっそりと自殺したい。
そうなんだけど、この思いを誰かに話すことは最後まで叶わなかった。自殺連想言動罪。死ぬことに関係するすべてが罪になる。そんな社会で話せるわけがない。もういいや。私の死生観を理解してくれる運命的な誰か。その誰かを見つけるのを諦めた私は、お化粧をした。別に気にすることはないのに。そうは言っても、他でもない自分が気にかけてしまう。
どうしてなの。そのままでも充分に可愛いよ。色んな人にそう言われた。悪い気はしない。嬉しく感じるこの気持ちは、自分でも分かってる。それでも鏡を見るたびに見える鼻の周りのそばかすは、私のコンプレックスでしかなかった。消えちゃえ、消えちゃえ。そんなことを何度願っただろう。
正確には思い出せない。それに、思い出したくなる程のことでもない。まあ言っちゃえば、それくらいどうでも良い記憶の一部ってこと。誰にでもあるよね、そういう曖昧になってる過去の出来事って。
家を出る時も大きな荷物は持たずに、いつも通りな格好で。そうしないと、知ってる人に会った時に怪しく見えちゃうから。変な風に受け取られるのは嫌でしょ?私だってそう思う。だから、知ってる人から声を掛けられたら。その時は、気持ちよく挨拶するって決めたの。
「おはよう」
「おはようございます」
「こんにちは」
って。そう言えば、相手の気分が良くなるでしょ。最後まで良い関係を保てれば、私のイメージは、自殺後の死体が見つかるまでは崩れない。きっと友達は、私がいなくなったら悲しむ。親も涙を流す。もちろん生んでくれたことは、心の底から感謝してる。良い思い出をたくさん作れたから。でも、この身体も、この命も、他の誰でもない私のもの。だから死に方くらいは、自分で選びたい。
「そういう生き方って、素敵じゃない?」
そう言える日が来たら良いな。ずっとそう願っていたけど、実現は私が死んだ後になるだろう。窮屈な世の中だけど仕方ない。私のせいじゃないから。
よく知る場所を離れ、見知らぬ名所に向かう。そこは、それなりに名の知れた観光スポットとして知られている。でも急斜面のある崖もあるから、
絶対に失敗なんか出来ない。震え出す身体は、寒さのせいじゃない。きっと、間近に迫った死に、自分が恐怖してるんだ。だけどやらなくちゃ。このまま生きていても、今以上に幸せな時なんてないし、地獄なだけ。受験勉強は御免だし、仕事だってしたくない。
だから今日死ぬ。絶対に死ぬ。誰も巻き込まずに、ただ1人で。そのための覚悟は、もう頭の中で固めた。あとは身体を乗り出せば……。
地元ではとても有名らしい名所に到着し、観光客っぽい様子の人たちと一緒に、石畳の階段を上る。手すりはない。もしも目を閉じて、後ろに倒れたらどうなるんだろう。そっと後ろを見たら、観光客の人と視線が合った。ダメだ、今のは無し。そんなことをしても、死ねずに終わる。
頂上まで登り、絶好の景色が目に入った。ここに来て良かったと思わせるだけの価値ある絶景だ。でも私は、そんなことのために訪れたわけじゃない。死ぬためにいる。だから自殺者が出た場所にしてしまう後ろめたさだって。
(無くはない。だけど私が自殺を止めることは無い)
ゆっくりと体の向きを変え、整備が不十分な柵の方向に歩き始める。大丈夫、誰も見てはいない。柵が乗り越えられる高さであることを確認して、足をかける。
「痛っ!」
身体の中を強い刺激が走った。棘なんかじゃない。何だろう、このビリビリとした感覚は。もしかして。いや、間違いない。
「電気か……」
これはしまったな。やっぱり、石畳の階段で頭打つ方が良いかもしれない。そんなことを考えて、電気柵から離れようとした私は驚きの声を上げた。
「ちょ、ちょっと!近いですって、離れてください!」
「それは無理な要望です」
「ねえ、そこを通してってば!」
「出来ません。ブランレー・エルナ容疑者を自殺連想言動罪で逮捕します」
「いや!」
逃げようとする私の腕を、男の人が力強く掴んでいる。何をしても男の人の手が解けることは無い。がっちりとした大きな手が、固定されているみたいだった。そして、私の中に残っていた抵抗心。それは、次々と集まる人々によって、完全に吹き飛んでしまった。
「何があったというんですか?」
「ここにいる彼女が、柵を乗り越えようとしたんで阻止したんです」
「ああ、つまりは自殺連想言動罪の違反ですね」
「そういうことです」
「ありがとうございます。やはり『監視人』は必要だ」
「そう言って貰えて何よりです。さて、ブランレー・エルナ容疑者。行きましょう」
私の腕を信じられないほど強く引っ張り、石畳の階段を下っていく。どこへ連れて行かれるの。聞きたくても聞けない威圧感が、男の人にはあった。
「言いたいことが2つあります」
「何ですか」
突然喋り出した男の人に、私は苛立ちをぶつけた。
「貴方が行くのは無殺維持署という場所です」
「もう1つは」
「貴方の近くにいる『監視人』は、私1人ではありません。他に何人もいます」
「それってつまりは……」
私が監視されているっていうこと?そこまでして、私の自殺を阻止したい理由が分からない。無理やり生かしても、良いことなんか無いのに。どうしてこの社会は、自殺や、安楽死という手段を全面的に否定し、犯罪扱いするんだろうか。
「監視されているのは貴方と、それから私なので2人ですね」
「え……?」
すぐに理解出来るわけが無かった。『監視人』も監視されている?
「そうですよ。私が監視されているのは、貴方をこっそりと逃がしたり、貴方の自殺を手伝ったりしないように見張るためです」
「それじゃあ……」
それらしき人がいるに違いない。そう思って周りを観察しても、こちらを気にしている様子の人は皆無だった。
「本当に、そんな人いるんですか?」
「いますよ。目立たないように上手く溶け込んでいるだけです」
石畳の階段を下り終え、観光名所を離れる。必死に考えて決めていた死に場所を後にする名残り惜しさはない。それよりも、自殺を成功させられなかった悔しさが、私の心の中をどす黒い感情で満たしていくのを感じた。
(なんであの時に……。なんであの瞬間に……)
そんな後悔、今更したって遅い。それくらい分かり切ってることだ。もしもこうしてたらというのは、仮の話に過ぎない。
「良いですか。貴方は一生、自殺できずに生きることになります。外の世界で自由を満喫することは、もう無いと言っても良いでしょう。ですが、牢屋で長い時間を過ごしていく中で気づくことも、きっとあると思います」
また何かを言い出した男の人の話に、私は無言で反応を示した。
「その時は、遠慮せずに口に出してみてください。どんなことに対して、どういう感想を抱くのか。それを何度も繰り返せば、今まで以上に幸せを感じる機会だって、数多く訪れるはずです」
それはあり得ない。自由を制限された世界が続く限り、自死を望む私が、幸福を見い出せるなんて事が有るはず無い。
「いいえ。私の幸せは、『監視人』に壊されたので、そんな日は来ません」
「驚きましたね。そんなことを言われるとは」
「少なくとも、私からすれば事実です」
「確かにそうかもしれません。ですが、貴方は法律を無視しました」
その法律を作ったのは、社会の多数派を占める大人たち。自殺連想言動罪が成立した後に生まれた未成年の私は、同意していない。
「どうして、無くても困らない法律に、従わなくちゃならないんですか?」
「無くても困らない?いや、違いますね。無いと困るのです」
「私は困りませんけど」
無殺維持署を目指す道の途中で、男の人が大きくため息をするのが聞こえてきた。
「はあ~。法律は個人の意思で破って良いものでは無いんですよ」
「それなら、自殺連想言動罪がある理由を教えてください」
「全ての人々に、生き続けることの大切さをよく知ってもらうためですね」
「途中で死にたいと思う人たちの意見は無視ですか?」
「もちろん、無視です」
それって、人権的にどうなの?死ぬことを選んでるのは、その人自身なんだから、その人が死にたいって思えば、死なせてあげる社会にすべきじゃない?理想的な社会のためなら、それに合わない人たちは排除してもいいってこと?
「それじゃ、ずっと苦しめって言うんですね」
「はい。苦しみは、人生がもたらす試練ですから」
私は呆れてしまった。苦しみが試練?この男の人はどうして、苦しみが試練だなんて言えるわけ?苦しみは苦痛そのもので、試練ではない。
「それ、難病の人にも言えます?」
「言えますよ。重要なのは、どんな状況に置かれても強く生きる事です」
「なら、何されても、文句は言えませんよねっ!?」
不意打ちで男の人の胸に、頭突きをする。その直前、男の人の大きな手が、私の頭突きを受け止めたのを感じた。
「文句を言う立場にないのは、貴方も同様です」
「自殺連想言動罪に違反したからですか?」
「そうですね。今の時点で、貴方にはその権利が無いと思ってください」
「元から無いじゃないですか!」
私が怒気を含んだ口調で返しても、男の人は何も言わなかった。都合の悪い主張は全て聞かなかったフリ。それで済むならどんなに良いか。私はそれが、羨ましくて仕方がない。
「ここです。入ってください」
「この建物が……?」
無殺維持署と判別できるような目印は何もない。そんな建物の中に入り、私は目を見開いた。誰もいないと思っていた建物内では、数多くの人間が、休む暇もなく何かに没頭している。何だろう。どこかの監視でもしてるんだろうか。
「ブランレー・エルナ容疑者、無殺維持署に入りました」
「誰か、取り調べ室に!」
慌ただしい会話のやり取りの後、数人の人たちが私の方に近づいてきた。
「今この瞬間から、君は生まれ変われる。全ては、貴方次第だ」
「自らの命に、感謝と誇りを持ちなさい」
「苦難あればこその人生だから」
無殺維持署の人たちも言うことは同じ。生き続けることの素晴らしさを説いて、そのありがたみを、徹底的に教え込もうとしている。
「さあ早速、取り調べ室で事情を聞こうか」
無殺維持署の人たちに囲まれ、取調室に入る。目の前には、不気味なまでに笑う彼らの笑顔。それは間違いなく、私に向けられている。気持ち悪い。反吐が出そうだ。私に何をしようとしているのか。嫌な予感がする。その笑顔の裏に隠された本当の表情はきっと、私の心よりも醜いだろう。出来れば、早く逃げ出したい。無殺維持署から。そしてこの社会から。
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