第68話 びしょ濡れカップル

 冷たい水が全身を包み込んでくれて心地よい。

 鼻腔をくすぐるのは、プールでよく感じるあの匂いと、そして慣れ親しんだ玲奈の肌の甘く優しい香り。

 ええ、はい。私は今絶賛玲奈に抱き抱えられた状態で流されております。


「ほらほら隼人! こっちに移動するよ!」


 器用に後ろ向きで底を蹴って方向転換。流れを作りだしている少し速度が速い一帯に移動する。

 そこに到達した途端、体が持っていかれるように流された。二人で回転しながら進んで水の中に潜り込む。それほど渋滞が発生していなかったのはまだ救いか。

 玲奈の腕が解けて体が急に自由になると、足を滑らせてしまって人の隙間を縫うように運ばれた。

 慌てて浮上しようともがくと腕が掴まれ、引っ張り上げられると同時に水面から顔を出すと目の前に玲奈の苦笑する顔が見える。


「気をつけてね。下手すると危ないことになるから」

「ごめん。ありがと」


 そう返すと、玲奈はまた俺の手を取って向かい合う形で流れに身を任せた。

 結局、流れるプールは二周近く楽しんだかな。後からまた戻ってきてもいいかもしれない。

 他にもプールはたくさんあるからここは一旦これで切り上げることにして、二人揃ってプールから上がる。


「次、どこに行く?」

「そうだなぁ。無難に長距離プールとか……っと」


 次に行く場所を相談していると、いきなり大きめの浮き輪が飛んで来たから玲奈に当たる前に慌てて受け止める。

 こういうのでも当たると驚いて転倒するかもしれない。危なかった。

 とりあえず持ち主を探そうと思って周囲を確認すると、なぜか青い顔をした冬華さんが元気のない様子で手を振っているのが見えた。


「お姉ちゃんどうしたの!?」

「酸欠……」

「泳いでもないのに?」

「……まさか」

「隼人くん多分せいかーい。ずっと浮き輪に空気入れ続けてた」


 ……手元にある浮き輪、人が三人くらい乗れそうな大きさなんですが。

 売店で貸し出している空気入れを使うとか、そもそも浮き輪のレンタルを利用するとかいろいろ手段はあるのに、多分これ家から持って来た浮き輪だけどこれにずっと空気を吹き込み続けてたとかちょっとヤバい。肺活量すごいなこの人。

 まぁでも、大変だったのはその顔色ですぐ分かるよほんとありがとうございます。


「ゆっくり休んでくださいね……?」

「ありがとー! ほんと、隼人くんみたいに気遣いができるようになってから来いって話よ」

「お姉ちゃんさてはナンパされたな」

「三人くらいにねー。どいつもこいつも私よりお金持ってないし玲奈みたいに可愛くないし隼人くんみたいにいい人そうじゃなかったから鼻で笑って追い返したわ」

「お姉ちゃん一生独身っぽい」

「独身貴族万歳! 将来は養ってねー」

「どちらかと言うと俺たちが養われる側な気がするんですがそれは」


 というか既にそんな兆候が見えている。


「あっははー! てか、ほらほら早く行ってきなよ」

「どこに?」

「ウォータースライダー。せっかく浮き輪を用意したんだし、今ちょっと空いてるしチャンスだよ!」


 そう言われて確認すると、たしかに今はウォータースライダーに並んでいる人が少ない。すぐに楽しめると思う。


「わかった! ありがとうお姉ちゃん!」

「ありがとうございます!」

「おう、いってらー」


 冬華さんはまた横になり、優雅に(?)たこ焼きを楊枝で刺して口へと運ぶ。

 ……なんか、食べ物飲み物が増えている気がするのは見間違いだろうか。

 そこはあまり気にしないことにして、浮き輪を持ってウォータースライダーの列に並んだ。

 スタッフの手際がいいおかげか、思っていた以上に早く俺たちの番がやって来る。


「楽しみだね隼人!」

「だな。ほら、こっち」


 浮き輪をセットしてその上に乗り、玲奈を誘う。

 玲奈は体重を俺に預けるような態勢になると、力の抜けたふにゃ顔になってしまった。


「えへぇ……なんか幸せだぁ」

「顔がすごいことになってる」

「隼人の心音がすぐそこで聞こえる。気持ちいいASMRみたい」

「夜はいつも密着して寝てるじゃん。似たようなものじゃないの?」

「そうかも!」

「あー……彼氏さんに甘えることができて幸せそうなところすみませんが、事故防止のため飛ばされないようにお気を付けくださいね」


 スタッフさんがいることをすっかり忘れてつい寝室でのことを喋ってしまっていた。猛烈に恥ずかしい。

 二人で頬を朱に染めてぺこぺこし、改めて準備を整える。


「では、行ってらっしゃい!」


 そうして浮き輪が水の上を滑ってスライダーに突入した。

 くねくねと曲がるコースはスリル満点で、ある意味ジェットコースターのような速度を感じられて面白い。


「いやっほー!」

「いえーい!」


 テンション爆上がりで妙な叫び声が口から飛び出す。

 やがて終盤に差し掛かると、さらに速度は速くなって勢いも付き、ゴールのプールでは浮き輪が短距離だけ水面をバウンドしてブレーキがかかった。

 着水の際に大量の水が降り注いで、俺も玲奈も全身に水を浴びることになる。


「さいっこう! もっかい行きたい!」

「ありだな! 並ぶか!」

「うん!」


 すっかりウォータースライダーの虜になってしまった。

 プールから上がって浮き輪を持つと、気持ち早足でまた列に並ぶために移動する。

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