第54話 誕生日の朝

 朝、近所の家から聞こえる掃除機の音で目を覚ました。

 横になったままの状態で今の時間を確認しようと思い、スマホを探して腕を動かす。

 と、スマホよりも先に俺のお腹に顔を埋めるようにして眠っている玲奈が見えた。

 本当に気持ちよさそうに寝息を立てている。吐息がシャツを揺らして少しこそばゆい。

 乱れ方を見るに俺の寝相が悪かったのか、掛け布団がずれて玲奈のふっくらとしたお尻が露わになっている。

 夏から秋にかけての移行期間である今の時期はまだまだ暑さが残るとは言え、素肌を外気に晒したまま眠るのはあまりよくない。風邪でも引いてしまったら大変だ。

 玲奈に布団をかけ直して、それから枕元にあったスマホを充電器から外して電源を付ける。


「……もう十時か。ふぁー、ねむ……」


 二度寝したい欲求に襲われるが、そこは鋼の意思で振り払って体を起こす。あ、十時まで寝ている段階で鋼の意思なんてないだろっていうツッコミはなしな。

 絡みついている玲奈の手足をそっと優しく外し、また布団をかけ直して頭を撫でてやる。そこから徐々に頬、首へと下ろしていくのがいつものパターンだ。

 起きているのかはたまた夢の中でいいことでもあったのか、玲奈は笑みを浮かべて頬を撫でる俺の手を掴んで甘えるようにすり寄ってくる。

 余裕で昇天するレベルで尊い。可愛い。死ぬ。

 玲奈の頬をしばらく堪能して、それからようやく部屋を出て洗面所へと足を運んだ。

 口をゆすぎ、ボサッた頭を直してリビングに。

 この時間なら冬華さんは起きていそうなものだけど、その姿はなかった。冬華さんの部屋から音は聞こえなかったし、出かけているのだろうか。

 机の上には置き手紙と、そして一本二千円はする高級食パンと一瓶三千円のフルーツジャム、そして値段は分からないけど絶対に高いだろってことはすぐに分かるチョコクリームが入った瓶が置かれていた。

 まず間違いなく冬華さんが買ってきたものだなこれは。


「なになに。『クライアントと打ち合わせに行ってきます。お昼はいりません』ね。了解っと」


 まぁ、お昼を作るのは俺じゃないんだけど。

 とりあえず手紙を横によけ、食パンをスライスしてトースターに入れる。いつ起きてくるか分からないけど玲奈の分も焼いておこう。

 パンの焼ける香ばしい香りがほのかにただよい始めた頃、階段を降りる音が聞こえて玲奈がリビングに入ってくる。


「ふわぁ……おはよぉ……」

「おはよー。パン焼いてるから着替えてきたらどうだ」

「そうするね」


 玲奈がリビングから出て行き、しばらくしてパンが焼けた頃に戻ってきた。

 焼き上がったパンを皿に載せていると、玲奈が牛乳を用意してくれる。


「玲奈はチョコとイチゴジャム、どっちがいい?」

「チョコで。はい牛乳」

「ありがと」


 リクエスト通りに玲奈のパンにたっぷりとチョコクリームを塗ってやる。

 俺はイチゴジャム……あぁいや、チョコクリームにしよう。人が食べてるのを見ると自分も食べたくなるのはあるあるだ。

 ほとんど昼食に近い朝食の用意ができて、俺たちは向かい合って座った。


「あ、そうだ隼人」

「んー?」


 まろやかなチョコクリームを味わいながら顔を向けると、玲奈がはにかんだ。


「お誕生日おめでとう! ついに二十歳だね」


 カレンダーにでかでかと花丸が付けられているのを指差しながらそう言ってくる。

 そういえば今日は俺の誕生日だった。漠然と近いな~くらいにしか思ってなくて、それよりも玲奈の誕生日をお祝いすることに意識が向いていたからすっかり忘れていた。

 実家だと誕生日だからって特に何があるというわけでもなかったし、忘れるのは仕方ない。

 夜になって篠原や雨宮がメッセージを送ってくれてようやく思い出す、といった感じなのが去年までのデフォだったし。

 だからその、彼女に顔を合わせてお祝いの言葉をかけてくれるっていうのが実は嬉しかったりする。


「夜を楽しみにしててね! 絶対に喜ばせてみせるから!」

「そっか。期待してる」

「うん! 誕プレもいいもの選んだから!」


 誕生日プレゼントか。もらえるなんて何年ぶりだろう。

 玲奈からのプレゼントならどんなものでも絶対に喜ぶと思うけど、その上でどういったものをくれるのか楽しみにしておく。

 と、同時に三日後の玲奈の誕生日に俺からのプレゼントが霞むようなものじゃないことを密かに祈りたいです。


「わがままになっちゃうけど、お酒はもう少し我慢してほしいな。三日後が私の誕生日だから一緒に飲みたい」

「ごめん。俺、玲奈にお持ち帰りされた日に既に自棄酒飲んじゃってるんだわ」

「そういえばそうだったね。じゃあ、私の誕生日に一緒に飲むまでちょっと待ってほしいな」

「おっけー」

「煙草は吸うの?」

「いや、あんな臭いの俺は遠慮するかな」

「はは、私もー」


 二人で笑い合って、また一口チョコを塗ったパンをかじる。

 気のせいか、さっきまでよりもパンが美味しく感じられた。

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