第50話 食い倒れの始まり

 夏のこの時期でも近江町市場は賑わっていた。

 美味しそうな海の幸が並び、多くのお客さんが行き交っている。


「すごいね!」

「ああ。おっ! 玲奈あれ!」

「牡蠣だ! 美味しそう!」

「……ほひひひほ~」


 いつの間にか冬華さんが牡蠣を買って食べてるし。てかすごい量!

 左手にお味噌汁、右手に牡蠣をバター醤油で焼いたもの、シンプルに焼いたもの、牡蠣フライと三つのトレーを持っていた。

 器用なバランス感覚で牡蠣とお味噌汁を交互に味わっている。


「行動が早い……」

「お姉ちゃんが一番楽しんでるよね」


 言い出しっぺはさすがと言うべきか。

 と、冬華さんはさらに器用な動きで、両手が塞がっているのに財布を取り出すと、そこから樋口さんを取り出して俺たちに渡してきた。


「ほほひへふへひっほ……」

「口の中のもの飲み込んでから喋って……」

「んぐっ。その店クレジット使えなかったから、それで買ってきたら?」


 と、ありがたく冬華さんからお金をいただいてしまった。

 そこで、さっきからずっと牡蠣の焼ける美味しそうな匂いを餌に人間を釣り上げている罪深い店の前に行き、牡蠣のバター醤油焼きを二人分注文する。

 焼きたてあっつあつの牡蠣が目の前で存在を主張している。

 その匂いに思わず喉がゴクリと鳴った。


「じゃあ、早速……!」

「うん! いただきます!」


 俺と玲奈が同じタイミングで牡蠣を口に運ぶ。

 噛むとじゅわっと広がる濃厚な海の味と、塩気があってまろやかなバター醤油が口いっぱいに広がってもうこれは……!


「「美味しい!」」


 やっぱり牡蠣は美味い! 海のミルクの名は伊達じゃないし、海そのものを詰め込んだようなこの味わいはやっぱり海の近くに来たら一度は食べたくなると思う。

 夢中になって牡蠣を食べ進めていく。

 一人前二個だけど、全然足りない。無限に食べられそうだ。


「牡蠣……最高……!」

「ほんとそれ。牡蠣いいなぁ……」

「牡蠣美味しかったわよね~。はーむっ」


 ……冬華さん、また何か食べてないか?

 見ると、どこで見つけてきたのか今度は茹でた毛ガニを美味しそうに頬張っていた。

 貝に牡蠣にと大忙しだな。さすが食い倒れの旅を言い出した人。

 人が食べているのを見たら食べたくなるもので、俺もちょっと蟹が気になり始めた。

 せっかくだから蟹も食べようかなって思って……。


「隼人~。はいこれ」


 と、玲奈が人を避けながらどこからか戻ってきた。

 手には魚の切り身のようなものが乗ったトレーがある。


「ブリのたたきっていうのがあったから買ってきたよ! 一緒に食べよう!」

「あ、うん。ありがとう!」


 玲奈も美味しそうなものを見つけてきてくれていた。

 ポン酢を軽くかけ、玲奈が切り身を箸で持ち上げる。


「はい、あーん」


 自分で食べるのかと思ったらまさかのあーんで攻めてきた。

 家と違って大勢の人がいる前でっていうのが少し恥ずかしかったけど、でも玲奈の好意はありがたいから差し出された切り身をいただく。

 ブリの味がさっぱりしたポン酢と一緒に舌へ染みこんでいくようだった。


「美味しい?」

「めっちゃ美味い! 玲奈もほら。あーん」

「えぇ!? 恥ずかしいな~」


 なんて言いつつ、しっかり差し出した切り身を食べている。

 美味しかったんだろうな。玲奈の表情が分かりやすくぱぁっと明るくなった。

 そして冬華さんや。後ろで缶コーヒー開けるのやめなさい。

 ブリのたたきも完食し、市場の散策を再開する。

 果物やお肉、服にスイーツと何でも揃っているこの場所は見ているだけでも楽しい。お土産物屋とかも、少し気が早いけど立ち寄ってみるとしよう。

 まぁ、誰に買って帰るとかは考えてなかったけど。篠原とか雨宮とか友達まとめて大物をシェア、みたいなのでいっか。

 基本的に見るお土産は家で俺たちが楽しむ用が中心になると思う。

 ほら、こういう鯛茶漬けとかのどぐろふりかけとか。こういうの。

 これらも同じようなのが金沢駅で売っていたから、今は本当に見るだけなんだけどね。


「……で」

「うん」

「冬華さんまた食べてるんですか?」

「お姉ちゃんの食欲すごいね……」

「見たらつい」


 ちょっと目を離した隙に、今度は近くで売っているできたてちくわを大量買いしてきたよこの人は。

 この後行く予定の兼六園近くにはソフトクリームとか和菓子とかたくさん売ってるみたいだし、茶屋街にも行く予定だからそこでもたくさん食べることになると思うんだけど。

 でも、せっかくだからと俺も玲奈も一本ずつちくわをもらって食べることにした。

 うん。美味い。


「さて。そろそろ行こうか」

「えー、もう? あっちの通り歩いてないよ」

「ここが楽しいのは分かるけど、私そろそろ兼六園行きたいなーって」

「玲奈がそう言うのなら……」


 まだ食べ足りないって感じの冬華さんだったけど、目的地を次の場所にしてくれた。

 近江町市場を離れ、俺たちは次の目的地である兼六園に向かう。

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