第35話 対極的な親

 処置が終わった。

 処置と言っても殴られた箇所の手当てだからそれほど仰々しいことはしていないけど。

 正直言ってこの程度の怪我だから、救急車の代金とか請求されるかもと怖くなっていたけど、そこは無傷だったけど刺されて搬送されたということで免除された。治療費だけでいいらしい。

 まぁ、その治療費もバカにならないんだけど。

 紙幣を破られ、クレジットカードも砕かれたけど、どうにか生き残っていた諭吉さんも駆使して治療費を支払う。

 玲奈はお金を出そうとしていたけど、巻き込んでしまった立場なだけにお金を出させるのは少々抵抗感がある。

 と、いうか……。


「距離が近くないか?」

「……もしまたあんなことがあったら嫌だから」


 玲奈との物理的距離がずっと近くなっている気がした。

 酷いものじゃないけどトラウマを与えてしまったかな。だとしたら本当に申し訳ない。

 大丈夫と伝えるために頭を撫で、そして病院から帰ろうと歩き出したとき、入り口の方から見知った二人が血相を変えて駆けてくる。


「隼人!」

「帰る前でよかったよ」

「……何の用だよ」


 現れた両親に思わず憎しみを混ぜた声で返してしまう。

 どうせこの先の展開なんて読めている。また琢己の味方をして俺に我慢しろだとかそんな風に言ってくるつもりだろう。


「話があるんだ」


 父さんが真剣な顔で言った。

 まぁ、続いた言葉は予想通りで、こいつらは何も変わってないクズだって再認識できたけど。


「調べれば家族間の傷害は事件にならないかもしれないじゃないか。琢己のために被害届は取り下げなさい」

「そうよ。こんなこと知れたらご近所さんにどう説明すればいいのか……」

「君は……隼人の彼女かな。君もぜひ大人になって、被害届を取り下げて隼人ではなく琢己の彼女に――」


 ごめん、訂正。

 予想以上にクズさ全開で思わず笑いそうになった。笑う以前に怒りが湧いてくるけど。


「ふざけ――」


 怒鳴る前に、玲奈がスッと前に出た。


「お二人とも、自分がどれだけおかしなことを口にしているか分からないんですか? こんなのから生まれた隼人が本当に可哀想」

「……は?」

「帰れ。私は隼人のものだし、隼人は絶対にあんたたちとは関わらせない。頭のおかしい人に付き合うのはごめんですから」


 毅然とした態度で言い放ってくれた。

 一方、両親は馬鹿にされたと気づき、特に父さんが顔を赤くして怒って手を振り上げる。


「言わせておけば……!」


 平手打ちだと分かったから、すぐに玲奈を引き下げて振り下ろされる手首を掴んで捻り上げる。


「玲奈に手を出すな」

「隼人……! お前親に向かって!」

「親の義務は果たして家と関係ないんだろ。ならもうお前らなんて親じゃねぇよ」

「この……!」

「放してやろうか。俺のこと殴ってみろよ。琢己だけじゃなくてお前らも事件になりたいんならな」


 顎で周りの状況を示してやる。

 診察待ちや面会に来た人たちが睨むような視線で両親を見ていた。向こうは気づいていないけど、病院の外には聴取に来てくれた警察官四人もまだ残っている。

 悔しそうな顔をした父さんは、まだ何か言いたげな母さんを連れて鼻息荒く病院から出て行く。


「もうお前は本当に知らん! 遺産は全部琢己のものだ!」

「そうかよ。今から遺産の話とか、さっさと死んでくれていいよ」


 どうせ、もう終わりだろうし。

 特に、世間体を気にする母さんは、な。

 実家のご近所でスピーカーおばさんとして有名な沢井田さんの姿を確認しているから、明日には噂話で持ちきりだろう。

 墜ちていく連中の姿を想像するとスカッと溜飲が下がっていく。

 と、両親と入れ替わりでこれまた見知った顔が二人、俺たちの姿を見て走ってきた。

 二人とも、俺たちの前で滑り込むようにして土下座を見せる。


「隼人くん! この度はうちの娘が大変なことをしてしまって本当に申し訳ない!!」

「謝って済む話じゃないけど、本当にごめんなさい!」


 杏奈の両親だ。

 高校時代はいろいろと良くしてもらっただけに、別れたあの日に連絡すると心から悲しんで謝罪もしてくれた。

 にもかかわらずの今回の事件。この二人は特に悪いわけでもないのに、とても悲しくなってしまう。


「頭を上げてください。俺は無事だったし、お二人は悪くないですから」

「いや! あんなのを育ててしまったのは私たちの責任だ! 償いはしなくては!」

「これ、少ないですけど慰謝料を持って来ました。本当に申し訳ないです!」


 杏奈のお母さんが差し出してきた茶封筒は、どう見ても百万や二百万で済まないような膨らみがある。


「いやいや! こんなの受け取れませんって!」

「受け取ってもらわないと困る! 今の私たちはまだこのくらいしか償いができないんだ!」


 財布が死んで二千円とクレジットカードの再発行料という被害で推定三百万円以上は受け取れないんだけど。新手の詐欺に当たりそう。

 どうしようか困っていると、玲奈が口を挟んできた。


「お言葉ですけど、これを受け取っても娘さんはどうにもなりませんよ」

「もちろんだ! 許してくれという意味の五百万ではなく、今の時点で私たちが出せる精一杯の誠意がこれなんだ! 足りないのは承知しているが、どうか今はこれで勘弁してほしい!」


 五百万も入ってるのかよ。

 ますます受け取れないし、困っていると、玲奈がため息を吐いた。


「分かりました。では、このお金を使って二度と娘さんが私と隼人に近付かないようにしてください。隼人はそれでいい?」

「そうだな。すみませんが、俺はもう杏奈とは終わったんです。玲奈の言うとおり、二度と玲奈が危ない目に遭わないようにしてくれれば」

「隼人くん……ありがとう……! では、すまないがお言葉に甘えさせてもらうよ」

「杏奈は大学を退学になると思いますけど、そうならなければ辞めさせます。出所後は遠く離れた場所に引っ越しますので。引っ越し先でも厳しく監視しますから」


 杏奈の両親は何度も頭を下げ、泣きながら帰っていった。

 その背中を何とも言えない気持ちで見送っていると、玲奈が首を傾げる。


「頭のおかしい人から隼人みたいないい人が生まれて、誠実な人からクズが生まれるなんて。世の中不条理だね」

「環境次第なのかもな。杏奈は例外な気もするけど」


 両親は本当にいい人なのに。


「さて。俺たちも帰るか」

「そう、だね。帰ろう」


 一悶着あったけど、どうにか解決できた。

 琢己も杏奈ももう俺たちに関わってくることはないだろうし、思わぬ形で平和を手に入れたから今は良しとしておこうか。

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