第32話 クズ弟襲来

 大学にまで押しかけてくるとか、どれだけ暇なんだよこいつ。今年受験があるだろうに。


「あ、そうか。浪人が確定してるから遊び歩くことができる訳か」

「この……! 調子に乗るようになりやがって!」


 琢己が何か喚いているけど、知ったことじゃない。もう俺は昔の好き放題言われるだけの存在じゃないんだ。

 ちょうどほとんどの人が授業を終えたくらいの時間だったから、何事かと野次馬が集結してくる。その中には雨宮や篠原の姿もあった。

 あいつらは俺と琢己のことを知っているから、今がどういう状況かもなんとなく察してくれている。

 けど、大半はそうじゃない人ばかりだから変に有名になりそうで嫌な気分だ。迷惑をかけることになるけど学生課の職員さんが一人でも来てくれたら早いんだけど。というかこの時間守衛さんは何をやっているのか。

 頭に血が上って顔を真っ赤にしている琢己の姿はどことなく滑稽だった。

 それについて笑ってやりたいと思ったけど、今ここでそんなことをすれば俺が性格の悪いやつみたいに思われてしまうから控えておこう。

 けど、玲奈はそうじゃなかったみたいで、俺の隣から一歩歩み出ると、腕を組んで琢己を睨み付ける。


「惨めったらしくストーカーとか気持ち悪いからやめてくれます? 私の好きな人は隼人であって、あなたを好きになるなんて人生何回やり直してもありえませんから」


 はっきりとした玲奈の物言いに、周りからは嘲笑のようなものが琢己に向けられていた。

 しかし、当の本人は聞こえていないのか聞こえていて無視しているのかは知らないが、ますますヒートアップして止まらなくなっていた。


「誰がストーカーだよ! てめぇみたいな顔と体しか取り柄のない女をわざわざ彼女にしてやるって言ってるんだぞ! ありがたく思いながら受け入れろよ!」

「その自信はどこから来るんだか。あんたなんて隼人の足元にも及ばないんだから、自惚れるのもいい加減にしたら?」


 玲奈の反撃も含めて、周りの声が聞こえてくる。


「そうよね。あいつ、ヤバすぎでしょ」

「頭おかしいしキモい。ちょっと顔はいいかもしれないけど岩崎さんをあんな風に言える顔でもないし」

「現実が見えてないんでしょうね。岩崎さんと松井くんの間に入り込める隙なんて誰にもないの、見れば分かるでしょ」


 すっごい言われよう。実際その通りなんだけど、琢己の耳には届かないか。

 何人かはどこかに電話をかけている。少しだけ聞こえてきたストーカー、警察、といった単語から、通報してくれているのだと思う。

 すぐにでも警察が来てくれるだろう。そうなれば、琢己は逃げるだろうからとりあえずこの場は収めることができる。

 サイレンの音を今か今かと待ちながら、視線は琢己を睨むように固定した。


「出来損ないのくせに……! 俺の方が兄ちゃんの何倍も優秀で偉いのに!」

「そういうことを言ってるから人間性が終わってるのよ。あんたの彼女とか死んだ方がずいぶんとマシだし、あんたを選ぶようなクズ女になんて絶対になりたくないけどね」


 人混みの中に杏奈の姿があったからってそこだけ声を大きくして言う必要はないと思いますよ玲奈さん。

 玲奈としては姿を見せた杏奈への挑発のつもりだったのだろう。

 けど、それは琢己の逆鱗に触れたようで、拳を固めた琢己が駆けだした。


「言わせておけば調子に乗りやがってこのアマ!」


 咄嗟に手を伸ばすけど間に合わなかった。

 琢己が玲奈の頬を強く殴り、よろめいた玲奈の口の端から血が流れる。

 周りから短い悲鳴が聞こえ、琢己がもう一度殴りかかろうとしたのが見えたから今度こそ玲奈を庇うように体を滑り込ませることに成功した。

 篠原と美咲さんが人混みをかき分けて琢己を取り押さえようと動いているのが見え、同時に鼻頭に琢己の拳が突き刺さる。

 玲奈を守る一心で体勢を立て直し、もう一度殴ろうとしてくる琢己の動きに合わせてカウンターのストレートパンチを鳩尾に叩き込む。

 潰れた蛙のような声を出した琢己はその場で蹲り、そこを篠原が上から押さえつけてくれた。

 最初のあれでまた通報されたのか、向かってきていたと思われるパトカーが途中でサイレンを鳴らして速度を上げて近付いてきた。

 すぐ近くに停まったパトカーから警察官のお兄さんが二人降りてきて、手錠を片手に琢己の元へと走って行く。

 篠原が事情を説明してくれて、頷いた警察官が俺たちの見えている前で琢己に手錠をかける。


「ちっくしょぉ! ふざけんなよ! 離せよコラ!」

「暴れるな! 大人しくしなさい!」

「数人応援求む。どうぞ」


 抵抗する琢己は、警察官の足も蹴りながらパトカーに詰め込まれた。

 法学部の授業で使う教科書を持った女子が、「公務執行妨害も追加ね……」と呟いているのが聞こえ、鼻は痛むがスカッとした気分に包まれていくのが分かった。

 前科がついたあいつはもうまともな人生は歩きにくいだろう。巻き添えを食らうのはあの親も同じで、仲良く地獄に落ちればいいと思う。


「隼人……鼻血、大丈夫……?」

「俺は平気だけど、玲奈は大丈夫なの?」

「私も大丈夫。ちょっと痛むけどね」


 困ったように笑う玲奈。

 大切な顔に俺のせいで傷を付けたも同じだから、本当に申し訳なく思う。

 警察の人に相談すると、救急車を呼んでくれることになった。

 お礼を伝えて、すぐに玲奈の元へと――、


「せんぱぁい」


 背筋が凍るような声音。

 一難去ってまた一難とは、まさにこのような状況を言うのだと身を以て知ったよ。

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