第28話 電話越しの口論

 玲奈がお風呂に行っている間にお皿を洗う。

 お気に入りの曲を集めて作ったプレイリストを聴きながら、鼻歌交じりにこびりついた油汚れを擦る。リズムに合わせると案外力も入って汚れを落としやすい。

 すべての皿を洗い終え、乾燥機に入れて今度は炊飯器の釜も洗っておこうと思い流し台に移動させる。

 まだ少し熱い釜を冷まそうと水を入れた瞬間、音楽が止まって代わりに着信を報せる音が鳴り始めた。


「んげ」


 表示された名前は弟のもの。

 着信拒否するのをすっかり忘れていた。どうせ、昨日の恨み言を今になってぶつけてくるつもりなんだろう。

 すぐに拒否のボタンをタップして、すぐに設定を変えようと――、


「あ」

『ッ! やっと出たな!』


 着信拒否しようとしたら、またすぐにかかってきて間違えて通話ボタンを押してしまった。

 ため息を吐き、どうせならとこっちも今までの鬱憤を晴らそうと思う。


「なんだよ。何か言いたいことがあるならさっさと言えよ。こっちも忙しいんだから」

『昨日あの後俺と侑李は別れることになったんだぞ! 関係壊しておいてよくもそんな風に言えるな!』

「その言葉そっくりそのまま返してやるよ。俺と杏奈の関係を壊しておいてよく自分は守られてると思えたな」


 どういう思考回路をしていたらそんな考えになるのやら。

 今となっては玲奈と付き合えているから関係を壊したことに少し感謝もしているけど、でもやっぱり一瞬でも裏切られて傷ついたのは事実だから許すつもりは毛頭ない。


「お前は昔からそうだよな。俺相手なら何やってもあのクソ親が守ってくれるから調子に乗ってたんだろうが、今はもうそうはいかないぞ」

『うるせぇよ! 兄ちゃんなんだからそんな小さいことでグチグチ言わずに我慢しろや。父さんも母さんも孫の顔が見たいだろうし、お前より優秀で格好いい俺との子供の方が喜ばれるに決まってるだろうが!』

「性格最悪な害悪猿が生まれそうだな。日本の将来は終わりだよ」

『……ッ!』


 電話口の向こうで顔を真っ赤にして震えている様子が声から察することができる。

 ざまぁ、って感じで気分がすーっと晴れていくのが自覚できるよ。


「今となってはお似合いだよお前ら。あの子と別れたんだろ? だったら杏奈と付き合って孫の顔を見せてやればいいじゃんか。節操なしと尻軽でお似合いだよ」

『はっ! あんなの体つきが好みだったから何度かヤったら捨てるつもりだったんだよ。もういらないから返してやるって』


 聞いてるだけでも吐き気がしてきそうだ。

 どこでどんな教育を受けたらこんな風に育つのか。絶対近いうちにトラブルを起こすだろうし、その時に巻き込まれるのはごめんだぞ。

 というより現在進行形でトラブルに巻き込まれるだろ。そのうち実原さんが弟のクズさ加減を吹聴するだろうし、そうなれば少なくとも学校内で手を出した女子からは恨みを買うことになる。

 お前の地獄へのカウントダウンはもう始まってるんだよ。


「俺だってあんなビッチいらねぇよ。お前が手を出したんだから最後まで責任取ったらどうだ」

『チッ! ……まぁいい。こんなことを言いたくて電話したんじゃない』


 前置きが長いんだよ。そろそろ切ってやろうか。

 もう言いたいことはたっぷりと言えたし、これ以上話すことはない。

 わざわざ本題を聞いてイライラする必要もないし、スマホを耳から離して通話終了のボタンを――、


『俺たちの関係を壊したことも調子に乗ったことも全部許してやるからさ。その代わりに玲奈ちゃん、だっけ? あの子を俺にくれよ』


 あ?

 思わず変な声が出そうになった。

 こいつ、一体何を言ってるんだ。寝言は寝てから言えってものだけどな。


『あの子、俺の好みど真ん中なんだよ。従順なペットになるように躾けて元気な子供をたくさん産ませて可愛がってやるからさ。父さんも母さんもそれを望んでるは――』

「一度だけ言ってやる。腐った耳でよく聞けよ」


 スマホから軋むような異音が聞こえるくらいには怒りで手に力がこもっていた。

 マグマのように熱い激情を抑えようと頑張るけど、耐えきれずに声に感情のすべてが乗せられる。


「玲奈に指一本でも触れてみろ! 一生のトラウマになるほどの目に遭わせてやるからな……ッ!」

『ッ! 許してやるって言ってるんだよ! 黙ってわた――』


 横から手が伸びてきてスマホを取り上げられた。

 素早い動きで通話終了のボタンが押されて、そのまま流れる動作で弟の電話番号とメッセージアプリのアカウントがブロックされる。


「これでよし、と」

「玲奈……」

「ごめんね。お風呂から出た辺りで隼人の怒ったような声が聞こえたから……」


 玲奈の姿を見ると、髪はびしょびしょでバスタオルだけを肩から提げた姿は体のあちこちにまだ水滴が付着していた。脱衣所からろくに体を拭くことなく来てくれたのだとすぐに分かる。


「あの弟だよね。音が大きかったから聞こえちゃった」

「あ……その……」

「嬉しかったよ。私のことを本当に大切に想ってくれてるんだって分かって」

「それは当たり前だろ! 玲奈は俺にとって……!」

「うんうん。大丈夫。隼人は私が大切で、私も隼人のことを絶対に裏切らないし離さない。嫌だって言ってもずっといっしょだから、覚悟してよね」


 不安が顔に出ていたのか、玲奈がキスをしてざわつく心を静めてくれた。

 流し台を覗き込み、冷えた釜を確認して玲奈が微笑む。


「釜と米は後で私が洗うからさ。隼人は私の髪を乾かしてほしいな」

「分かったよ。じゃあ、ソファに行こうか」

「うんっ!」

「あ、でもその前に。せめて下着だけは着てほしいな」


 そう言うと、玲奈が少しだけ赤面して近くにあったショーツを手に取っていた。

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