第8話 甘えていいからね

 結局、あれから二度寝をしてしまって次に目が覚めたのが朝の九時を過ぎた辺りだった。

 ずいぶんと寝過ごしてしまったけど、今日は忙しい。

 家具家電を受け取って部屋の模様替え。住所変更や住民票の移動なんかで役所や大学にも行かないといけない。

 やることたくさんで今からもう既に疲れを感じるよ。

 ただ、後回しにはできないからさっさと終わらせてしまおうと思う。

 欠伸を噛み殺しながら下に降りていって……いい匂いがする。

 一階に降りてキッチンを覗くと、パタパタと動き回る玲奈の姿が見えた。

 玲奈も俺のことに気づいて、フライ返しで席を指す。


「おはよう。朝ごはんできるから座って待ってて」

「あ、うん」


 言われるがまま席に着く。

 トースターからチン、と小気味いい音が聞こえてパンの焼ける美味しそうな匂いがしてくる。じゅーじゅーと焼かれているのはソーセージか目玉焼きか、その辺りだろうか。

 玲奈お手製の朝ごはんを楽しみに思いつつ、今朝の醜態を思い出すと恥ずかしくなってくる。

 みっともなく玲奈に抱きついて泣いて。いつまでも終わったことを引きずって。

 幻滅されたらどうしようだとか、嫌な考えは今も拭えない。


「――辛そうな顔してる」


 玲奈にそう言われて、顔を上げると口に熱いものが入れられた。

 噛むとじゅっと肉汁が飛び出し、口の中の温度を上げていく。

 これは……チキンナゲットだ。あの冷凍食品で売ってるやつ。

 美味しいことには美味しいけど……熱いものをいきなり口に入れるのは火傷とかするかもだから危ないと思うんだ。


「ごはんできたよ。ほら、食べよう?」


 目の前に目玉焼きが乗せられたトーストが置かれる。


「隼人はソースと醤油、どっち派?」

「俺は醤油かな」

「私も。はい醤油」


 醤油の入った小瓶を渡され、トーストということも考慮して少しだけかける。

 玲奈に返すと、玲奈も少しだけ醤油を垂らして机の端に小瓶を置いた。

 手を合わせて、玲奈と一緒にいただきますと口にしてからトーストを一口かじる。

 サクッとしたパンに流れた醤油の塩味が美味しい。

 それらを牛乳で流し、もう一口トーストをかじる。


「美味しい?」

「うん、とっても」

「そっか。それはよかった!」


 微笑んだ玲奈もトーストをかじっている。

 少しの間無言で朝ごはんを食べていると、玲奈が牛乳を飲んでから口を開いた。


「私ね、嬉しかったよ」

「え?」

「今朝のこと。私を頼ってくれてるんだ~って思った。弱い部分を私に教えてくれるってことは、信用してくれてるんだって」

「それ、は……」

「私にならいくらでも甘えてくれていいからね。遠慮なんかしなくていいんだから」


 そういうのはずるいって。

 玲奈の優しい言葉にまた涙腺が刺激される。

 涙が流れそうになっているのを気づかれないように注意しながら、もう一口トーストを食べる。

 さっきよりも塩味が強いパンをゆっくりと噛みしめた。


「ありがとな玲奈」

「どういたしまして」


 体が柔らかい感触に包まれる。

 いつの間にか俺の体は玲奈の胸の中にすっぽりと収まっていて、何度も頭を撫でられていた。


「もちろん、ただじゃないけど」

「わぁお。ちなみにおいくらで?」

「私に甘えた分だけ、私も隼人に甘えるから。お互いにイチャイチャしよう?」


 それはまたずいぶんと幸せな対価だことで。

 分かった、と返事をするように玲奈の背中を優しくさする。


「……あ」


 突然、玲奈が変な声を出すものだから思わず驚いて手を離してしまう。


「どうした?」

「……パンくず」

「へ?」


 そっと俺の頭に手を置くと、なるほど確かにそこにはトーストのかすが付着していた。

 トースト触った手でそのまま俺の頭を撫でたんだもん。そりゃパンくずが付くのは当たり前か。

 それを言うなら俺も似たようなことやっちゃってるけど。


「ごめんっ! うっかりしてて……」

「俺のほうもごめん。パンくず付いた手でパジャマ触っちゃった」


 玲奈が背中を確認していて、多分ザラッとした感触があったんだろう。

 途中からぷっと吹き出していた。


「ほんと、私たち似たもの同士だね」

「相性抜群だよほんと」

「パジャマ、洗濯に出さないとだね。隼人のも洗うからご飯終わったら洗濯機に入れておいてね」

「ありがと」


 お礼を言うと、玲奈は自分の席に戻った。

 俺もまたトーストにかぶりつく。

 目玉焼きの中心を囓ると、どろっとした黄身が流れ出てきてトーストの色を染め変えていった。

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