モ部!

寺田門厚兵

モブのすゝめ

 始まりは、時に些細なことだったりする。例えば、ふと目が合ったとか、つい指が触れたとか、席が隣になったからとか。


 そこに大した意味はないのに、人という知的でロマンチックな奴らは運命と信じて疑わない。


美緒:『あ、ごめんね。急に呼び出したりなんかして』


 夕暮れの教室。その隅に彼女は健気に佇んでいた。亜麻あまいろの髪がこちらを振り返ると同時に、きらりと眩い光を放つ。その光が俺に、彼女の居場所を知らせてくれた。


ユキト:『ううん、大丈夫。どうしたの? なにか……相談ごと?』

美緒:『相談……なのかな』


 そう言って、彼女は照れくさそうにはにかむ。相変わらず端正な顔立ちにその愛らしい笑顔はあまりにお似合いだった。


美緒:『その……ね。ユキトくんに、言いたことがあるの』

ユキト:『あ……うん』


 応えると、彼女は一歩、僕に近付く。どこか緊迫した空気を察して、手に汗を掻く。


 すると、淀んだ教室に一陣の風が吹き抜ける。ひゅーっと逆巻くような音が止むと、彼女は僕に真摯な瞳を向けてきた。


美緒:『私と、付き合ってください』



【えっと……ごめん。風がうるさくて、聞こえなかった】

【……ごめん。俺……好きな人がいるから】

【……俺で、よければ……】



 ヒロインからの渾身の告白。だが、主人公が言おうとしてること、ひいては表示される選択画面がなんともまあ見るに堪えないものだった。


「え……いや、おい。優柔不断主人公め! そこは迷わず最後の一択じゃろがい! 選ばせるなよ! ムードが壊れちゃうだろぉ!?」


 俺は迷いなく最後の選択肢を選んで、半ば殴り掛かりそうになるのを堪えて静かにその時を見守る。


ユキト:『……俺で、よければ……』


 その真摯な瞳を見詰めながら、俺は気恥ずかしくも努めて生真面目に応える。


美緒:『……』


 すると、彼女の口がポカンと力なく開く。さっきまで真摯に向けていた視線も上の空状態。


 だが、僅かな間を置いて、彼女の目元から一滴の光が零れ落ちた。


美緒:『ん……嬉しい』


 にかっと白い歯が口の中から顔を出すくらいに彼女の頬が吊り上がる。紅く染まったその頬が彼女の愛らしい笑顔を華やかに彩る。まるで一輪の花を見ているかのようだ。


「……」


 言葉が出なかった、もしくは出かけていて飲み込んでしまったのか。


 まるで一輪の花を見ているかのようだ。プレイしている方から見ても、その言葉が最もふさわしいと思えるほど、俺は彼女の笑顔に見惚れて言葉を一瞬失う。


「……う、……うおおおおおおお! どちゃくそ可愛えええええええ!」


 その笑顔を見た瞬間、言葉が出なかったあの刹那に、俺の胸は射抜かれた。自分の推しキャラがこんなにも尊くて可愛くて、こんなにも幸せそうに笑っている。


 俺は思いきりベッドに転がると、思わず口から吐息交じりの言葉が漏れた。


「はぁ……最っ高かよ」


 始まりは、時に衝撃的だったりする。例えばそれは、大輪の花のような屈託くったくのない笑顔を目の当たりにした時。


 言わずもがな。俺の始まりは奇しくも、しかし疑いようもなくこの瞬間だった。



「こんにちはー。今日もいい西日ですね」

「ちわーっす。今日もいい夕陽っすね」

「部長、こんにちはー。夕陽、輝いてますね」


 放課後。続々と部室に入ってくる生徒達は、窓を背に座る自分に向かって律儀に頭を下げて足を踏み入れてくる。


「こんにちは、みんな。今日もいい日だな」


 今日も部屋に射す西日は宝石のように眩く、あのゲームのヒロインが告白していたシーンをつい思い浮かべてしまう。


 夕陽と言えば、いつの時代も青春の象徴。夕陽に向かって走ったり、夕陽が射す教室で二人きりになったり。


 青春と夕陽は全く関係がないように思えるが、実はてつもなく強い関係にあることは、ここにいる部員達は十二分に弁えている。


幸人ゆきと部長、全員出席です」


「そうか……では、さっそく始めよう。作戦会議を」


 クラスの教室と比べれば二分の一ほどの広さで、しかも中央にはでかでかと椅子が十脚ほど入る長い机が設けられている。部室の狭さは気になるが、部員数七人では充分な広さだろう。


 俺が作戦という言葉を口にした途端、入ってきた部員達が続々と椅子を引いて腰を下ろしていく。


「その前に、我らモ部のモットーをば」


「いや、今日は不要だ」


 首を横に振ると、部員達がざわめき始める。


「でも……今日は部活設立をして半年のめでたい日です! さすがに部のモットーを口にしないのは……」


 モ部。それは推しを主な活動とする者達の集まりで、しかも世に出ているアイドルやアニメキャラ、声優といった雲の上に存在ではなく、実際に学校にいる同級生、先輩、後輩を推す者達の密会の場として築き上げた部活動だ。


 発足をするメンバーは直接のアプローチは無論、SNS等での接触も試みて、今や七名が在籍している。学校内ではただのアイドルオタクという印象が先行して敬遠されているが、それはむしろ好都合。目立つことをあまり良しとしない我らは、陰ながら推しを応援できるというものだ。


 最初は同好会だったこの集まりも人数が増え(掛け持ちしてもOKにしたらなんか増えた)、そして部活動として認められ早半年。確かにめでたい日だ。


「けれど今、そんな余裕はない! 我らの推しである、この学園のアイドル的存在……づきおりが今、好きな人へ告白しようとしているのだぞ! 事前に連絡はしてあるはずだ」


「そ、そうですが……」


「我らはその告白を陰ながらサポートする義務がある。推しが今、自らの手で幸せを掴もうとしてる! それにあと予定時刻の十分前もない! この瞬間をサポートできず何がモ部だ!」


「た、確かに……」

「異論の余地もない」


 皆その眼鏡を怪しげに光らせ、額に焦燥の汗を照らす。俺は誰も口を出さないと分かったところでようやく本題に入る。


「場所は二年三組の教室。人気が無くなった午後五時半。あと十分もない。日月美織の後に一名の男子生徒が二年三組に入ったと同時に包囲網の展開。何人たりとも邪魔をさせないようにするぞ!」


「「「「「「御意!」」」」」」



『北階段、問題ありません』

『南階段、一人の影もありません』


『西階段、階段ダッシュをしてるサッカー部がいますが、こちらへ来る気配なし』


 二年三組の前で、俺はグループ通話から知らされる各々の連絡をイヤホン越しに把握しながら、まだどこか初々しさ漂う日月美織と一名の男子生徒を見守っている。


 男子生徒が到着したのは先程。しかし、まだ仲睦なかむつまじく会話をしてるだけで、告白する機会を見計らってるようだ。


「了解。告白が始まれば即通達する。皆、もう少し警戒態勢を取っていてくれ」

『『『御意』』』


 夕暮れの教室に男女が二人。俺はふと、脳裏に焼き付いてるあのゲームのワンシーンを思い浮かべる。日月美織の亜麻色の髪と瞳、そして屈託のない笑顔はまるであの時の美緒に似ていた。


 日月美織。同じクラスになるのはこれで二年目だが、一度もまともに話したことはない。


 というか、取り巻きがキラキラしてて近付けない。まあいてもいなくても結局話せずにいると思う。理由は、彼女の隣に自分がいることが、彼女にとっての幸せだとは思えないから。


 俺は正真正銘のバカだ。彼女はそこに実在していて、頑張れば毎日でも話しかけられるし、もっと仲良くなれば放課後は一緒に寄り道したり帰宅したりできるというのに……自分のエゴを理由に話しかけることをしない。


 でも……違うんだ。彼女にとっての幸せは、きっと彼女が胸を張り裂いてまで思う人の元の側にいること。僕はその景色を一度見ている。その景色をもう一度見ようと、俺は再びそちらに目をやれば彼女、日月美織がついに動き出した。


「あの……ね? 今日呼び出したのは、本当は別の理由があって……」


 来た! ついに! 動き出した!


「全員に告ぐ。今すぐ二年三組の教室前まで足音を立てずに速やかに来い! 再度告ぐ! 今すぐ二年三組の教室前まで足音を立てずに速やかに来い!」


 大丈夫。日月美織は一歩踏み出してから少し躊躇うところがある。文化祭の劇で自らヒロインを志願しておきながら、周囲に自分で大丈夫なのかと相談してるところは度々見てる。


 今もそうだ。逡巡している真っ最中。男子生徒は彼女の言葉を待っている。


『幸人部長。全員戻ってきました』


 副部長が皆を引き連れ、教室後方の扉で待機していた俺に、グループ通話を使って小声でそう告げる。静寂しじまに満ちる廊下でも、イヤホン越しでどうにか聞き取れた。


「ご苦労。では廊下の窓から、もしくはこの教室後方の扉の下から二人の様子を窺え。決してバレないように」


「「「「「「御意」」」」」」


 この時のために、俺達は足音を立てず学園生活を送ってきた。影の薄さが極まれば、推しの幸せをサポートすることに障りない。


「その……ね。言いたいことがあるからなの」


 思った通り、まだ躊躇っているのが声だけで分かる。けれどもうすぐ……もうすぐ推しが、その言葉を口にする。男子生徒が静かに頷く、僅かな沈黙の後に……。


「私の……彼氏になってくれませんか?」


 照れくさそうに、しかし懸命な姿勢で告げた日月美織の表情は、まるであの時の美織を思わせる。俺の瞳はその一点に止まった。


「……俺で、良ければ……」


 男子生徒の答えは……イエス。その返事を聞いた日月美織は目元に涙を浮かべると、笑顔を浮かべながら彼氏の胸元に飛び込んでいった。


『や、やりました! 幸人部長!』

『ぶ、部長……』

『くっ……俺、もう……死んでもいいっす』


 イヤホン越しに聞こえてくる皆の感涙かんるい。無論、俺も感極まるあまり、言葉が上手く発せられない。


「……皆、ありがとう。だが……ここからだ。彼女の幸せは、ここからだ……」


 そう。俺達、モ部員の活動はここから。推し活は今、始まったと言っても過言ではない。彼女の笑顔を見続ける。そのために、モ部があるのだから!

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