流人、篁(6)

 牛頭女が去った後も、篁は茂みの中にじっと身を潜めていた。

 いつ、あの牛頭女が戻ってくるとも限らない。そう考えたためだった。

 しかし、篁の予想は外れ、牛頭女が村へ戻ってくることはなかった。

 夜が明けた。東の空に眩しいほどの太陽が姿を現す。

 篁はその太陽の姿を拝むと、都万村を離れ、光山寺へと向かった。

 朝が来ればひと安心である。あやかしというのは、闇夜にしか行動を起こさない。それは篁が経験上知っていることであった。


「これはこれは、ご苦労様でした。ささ、ゆっくり休んでくださいませ」


 篁を出迎えた住職は、自宅に篁のことを招き入れる。

 住職の自宅では、ちょうど阿古那が朝餉あさげの支度をしているところだった。


「それで、何かございましたかな」

「ええ。あやかしが現れました」

「なんと、出たのですか」


 驚く住職に篁は自分の見た、牛頭のあやかしのことを話した。


「人の体で、頭は牛ですか、それは恐ろしい……」


 そう言ったのは、住職と一緒に話を聞いていた阿古那であった。

 住職は無言であり、どこか顔色が優れないようにも見えた。

 どうか、なさいましたか。そう篁が住職に声を掛けようとしたところで、再び阿古那が口を開いた。


「篁様も、一緒にいかがですか」


 阿古那は住職にかゆの入った椀を手渡し、篁に問いかけてくる。

 囲炉裏に掛けられた鍋には、まだ粥が残っていた。もし、篁が食べたとしても、まだ余りそうな量がそこにはあった。


「よろしいですよね、住職様。篁様は昨晩、寝ずに番をしてくださったのですから」


 阿古那はそういうと、住職の返事を待たずに椀に粥をよそった。

 住職は白湯を飲み、じっと粥の入った椀を見つめている。

 なにか住職は言いたいのではないだろうか。篁はそう思いながら、住職のことを見ていたが、住職は口を開こうとはしなかった。


「どうぞ、篁様。温かいうちにお召し上がりください」


 阿古那から粥の入った椀を受け取った篁は、しばらく話を中断して食事に集中することにした。

 島後に来てからは、粥と少量の野菜だけで過ごしていた。島前の頃のように、魚や鳥を食べたりはしていない。たまにそういった食材が恋しくなることもあるが、ここは寺であり、自分は世話になっている流人なのだと自分に言い聞かせていた。

 椀の中を空にした篁は、白湯をひと口飲んでから、再び口を開いた。


「女のあやかしについて、なにかご存知ではないでしょうか」


 篁の言葉に、住職よりも先に阿古那が反応する。


「え、牛のあやかしは女だったのですか」


 その阿古那の問いに、篁は無言で頷いた。


「女のあやかしか……」


 ようやく住職も口を開く。


「なにか、心当たりでも」

「いや……聞いたことはない」


 住職はそういうと、まだ椀に残っている粥を啜るようにして食べた。

 では、あのあやかしは一体なに者なのだろうか。

 篁の知る限り、あやかしというのは、二種類存在していた。

 ひとつは、人が恨みつらみを持ち、それが何らかの形で鬼と化したもの。もうひとつは、その土地にまつわるものである。

 あの牛頭女は、土地にまつわるあやかしであろうと予想していた篁であったが、住職が知らないとなると、その予想は外れたようだ。

 となれば、あの牛頭女は人が生み出したあやかしということになる。

 誰がどんな恨みを持って、あのようなあやかしを生み出したというのだろうか。

 篁は、そのことに興味を抱きはじめていた。


「ごちそうになりました」


 粥を食べ終えた篁は、箸を置くと手を合わせた。


「そういえば、住職。もうひとつお伺いしたいことが」

「なんでしょう。拙僧でお役に立てることでしたら、何でもお答えいたしますぞ」

「では、単刀直入にお伺いいたします。この島に結界を張っているのはどなたでしょうか」

「……気づいておりましたか」


 住職は食後の白湯を口にしながら、そう言った。

 島後に来る少し前、篁は隠岐全体に張られている強力な結界があるということに気づいた。それは外部からやってくる邪悪なものを寄せ付けない、強いものであった。

 鍾鬼に関しては、篁の中に隠れていたため、その結界を通過することができた。ただし、他のあやかし同様に日の沈んだ夜にしか姿を現すことが出来なくなっていた。


「この島には、須佐之男命スサノオノミコトが祀られております」

「なんと……。だから、牛頭なのか」

「先ほど、篁様から話を聞いた時には、正直、嫌な汗が出ました」


 須佐之男命。古事記にも出てくる神のひとりであり、伊弉諾イザナギ伊弉冉イザナミの息子である。そして、またの名を牛頭ごず大王だいおうといった。

 まさかとは思うが、あの牛頭女と須佐之男命に繋がりがあるというのだろうか。もし、そうであるならば、あのあやかしは篁の手に負えるほどの者ではない。もし、何かしらの理由でこの隠岐に祀られている須佐之男命が疫神やくしんと化し、牛頭天王となったというのならば、村の家畜を襲う理由とは何なのだろうか。

 腑に落ちない。篁は眉をひそめながら、難しい顔をしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る