流人、篁(7)

 また、やられた。

 そう光山寺の住職が村人から報告を受けたのは、篁が夜の見回りをやめた三日後のことであった。

 不思議なことに篁が見回りをしている間、例の牛頭女のあやかしは一度も姿を見せなかったのである。そのため、もう見回りも必要はないであろうと、光山寺の住職が篁に見回りをやめても良いという話をしたばかりだった。

 報告に来た村人によれば、今回も襲われたのは家畜として飼われている牛だということだ。


「怖いですわ、篁様」


 一緒に話を聞いていた阿古那がいう。

 阿古那は自分の暮らす都万目つばめと、この光山寺のある都万つまを行き来して住職の世話をしたりしており、時には光山寺の住職宅に泊る時もあった。


「阿古那殿は、しばらく都万目に戻っていた方が良いかもしれませんね」


 篁が住職に言う。

 すると阿古那は不満げに頬を膨らました。


「そうじゃな。この件が解決するまでは、こちらに来ない方が良いかもしれん。阿古那は都万目に戻っておきなさい」

「でも……」

「篁様も阿古那の身を案じて言っておられるのじゃぞ」


 住職の言葉に阿古那は悲しげな表情を浮かべると、目を伏せた。


「なに、あやかしの件はすぐに片付くじゃろう。そうしたら、戻ってくればよい」

「わかりました」


 阿古那はそう言って立ち上がると、篁と住職に頭を下げて、帰り支度をはじめた。


 夜になるまで、篁は住職と牛頭女についての話をした。

 なぜ牛頭女は、村の家畜を襲うのだろうか。まず、そこがわからなかった。

 なにか襲う理由があるはずなのだ。

 その理由とは、何か。

 そこがわかれば、あやかしが出現する理由もわかってくるはずだ。

 住職は心当たりが無いと言っていたが、本当だろうか。

 篁のような外部の人間には言えない秘密があるのではないか。

 そう考えたりもしたが、それならば、あやかし退治を篁に依頼したりはしないだろう。村のことは村の人間だけで片づける。そうなってくるはずだ。


 なにか引っかかるものがある。

 しかし、なにが引っかかっているのかはわからない。

 なにかモヤモヤとしたものを抱えながら、篁は夜になるのを待っていた。



 今宵は新月であった。

 都万村近くにある茂みの中に身を隠した篁は、暗闇の中に目を凝らしていた。

 村から離れているこの辺では、月明かりが無いだけで、真っ暗となる。

 どこか遠くの方から鈴の鳴る音が聞こえてきた。


 来たか。

 篁は腰に佩いている役人から借りているなまくらの太刀に手を伸ばすと、茂みの中でじっとあやかしがやって来るのを待った。


 鈴の音がまた聞こえた。

 今度は近い。


 闇の中に、ぼうっと青白い炎が見えた。

 鬼火である。


 篁は音を立てないように、ゆっくりと太刀を抜いた。

 道を歩いてくる女の姿が見えた。

 牛の頭をして上半身は裸、腰には獣のものと思われる毛皮を巻き付けた女である。

 なぜ女と判断できたかといえば、膨らんだ乳房が丸出しだからだった。

 体には妙な模様のようなものが入っている。梵字に似たその模様は、鬼火と共鳴するかのように時おり蒼く鈍い光を放っていた。


 篁は茂みを飛び出していた。

 目の前には牛頭女の姿ある。


「お前は何者だ」


 開口一番、篁は牛頭女に問いかけた。

 牛頭女は何も答えなかった。

 ただ、篁のことを見て、ゆっくりと右手を振り上げた。

 その右手には鉈のようなものが握られている。


 火花が散った。

 牛頭女が振り下ろした鉈を篁が鈍ら太刀で受け止めたのだ。

 鉈を受け止めた太刀を持つ手が痺れた。

 かなりの力だった。

 もし太刀で受け止めるのが間に合っていなければ、篁の腕は簡単に斬り落とされていただろう。


 篁は距離を取るように後ろに少し下がった。


「もう一度、聞く。お前は何者なのだ」


 その篁の問いに、牛頭女はやはり何も答えなかった。


「何者でも構うことは無い。低級なあやかしなどは消し去ってしまえ」


 篁の中に居る鍾鬼が囁く。


「お前が消し去ることが出来ぬのであれば、が消し去ってやろうか、篁」


 新月の夜。鍾鬼はその力を増す。そのことを篁は知っていた。

 鍾鬼が力を増せば、篁のコントロールもうまく行かなくなる。


「おい、篁。我にやらせろ」


 にやりと鍾鬼が笑うのが見えた。

 篁の中にいたはずの鍾鬼が目の前にいるのだ。いや、現実ではない。篁の心の中なのだ。

 そんなやり取りをしている間にも、牛頭女は鉈を振りかぶり、篁に襲い掛かってくる。


「ほら、さっさと身体をよこせ。人間であるお前では、相手が低級なあやかしであっても勝てぬぞ。時間の無駄じゃ」


 鍾鬼は笑うように言う。

 誰がお前などに身体を受け渡すものか。篁は心の中で呟きながら、牛頭女の鉈を避ける。


「避けてばかりでは勝てぬぞ、篁」

「うるさい、黙れ」


 篁は鍾鬼に言い返す。


 それが隙となった。

 牛頭女の鉈が額をかすめた。


 それだけで十分だった。

 脳が揺れた。身体に力が入らなくなるのがわかる。


 しまった。


 目の前が真っ暗になっていく。

 最後に篁が見たのは、闇の中でにやりと笑みを浮かべる鍾鬼の姿だった――。

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