流人、篁(5)

 闇の中に身を潜めた篁は、それがやってくるのをじっと待っていた。

 鈴の音。かすかだが、聞こえてくる。

 腰には、鬼切羅城の太刀は無かった。あるのは、役人から借り受けることができたなまくら刀である。


 これは、光山寺の住職のもとに寄せられた依頼だった。

 その話を聞いた篁は、ただ飯喰らいをしていたのでは申し訳ないと思い、依頼を引き受けることにしたのだ。


 光山寺にやっていた都万つまむらの人間によれば、夜になると得体の知れないが出るのだという。

 最初の頃は、ただ鈴の音が聞こえるだけだった。

 その鈴の音については、多くの村人が耳にしている。

 それだけであれば、無視をすることもできた。

 しかし、それが次第に悪さをするようになってきたのだ。

 最初に襲われたのは、村で飼われていた犬だった。

 犬は村の中で放し飼いにされており、自由に行動することができた。

 島後どうごには、身体の大きな肉食の獣というものは存在していない。

 そのため、犬を放し飼いにしておいても、なにかに襲われるということはなかったのだ。

 しかし、その犬が襲われたのである。

 犬は頭を何か硬いもので叩かれたようで、頭から血を流して死んでいた。


 誰か村人がやったのではないか。

 そのように言う者もいた。

 全員が全員、犬好きであるということは無いのだ。

 犬嫌いで有名だった村人に疑惑がかけられた。

 しかし、疑惑をかけられた村人は、犬殺しを否定しており、その村人のことを他の村人たちは夜な夜な監視するようになっていた。


 その矢先である。第二の被害が出た。

 今度は、牛だった。

 隠岐では多くの牛を飼っていた。

 平安京みやこのように車を引く牛ではなく、農耕をさせるための牛などである。

 その牛が犬の時と同じように、頭をかち割られて死んでいたのだ。

 犬嫌いの村人への疑惑は晴れたが、村人たちは得体の知れない恐怖に陥ることとなった。

 まだ人が殺していたという方が良かった。それは人の仕業であり、その者を役人に訴え、罰してもらえば済むことだった。

 しかし、相手が得体の知れない存在となると、話が変わってくる。

 人同士であれば、話し合いで解決することも可能だが、相手がわからない限りはどうすることもできないのだ。


 あやかしの仕業に違いない。

 村の誰かが言った。

 そのひと言が伝播していき、村は混乱した。

 そして、この混乱を収めるべく、光山寺の住職に相談すべきだということになったのだった。


「でしたら、篁様に動いてもらうのはいかがでしょうか」


 そう住職に告げたのは、阿古那あこなである。

 なぜ、そこで篁の名が出て来たのかはわからないが、住職によれば阿古那が篁を推薦したとのことだった。


 妙な臭いが漂ってきた。篁は嗅ぎ覚えのあるこの臭いに、顔をしかめた。

 かつて平安京みやこで数々のあやかしと対峙してきた。

 その際には決まって、この臭いがしたのだ。

 何かが腐ったような生臭い臭い。

 それはあやかしが放つ独特の臭いであった。

 ひと際高く、鈴の音が鳴った。

 篁は息を潜め、じっとその鈴の音がした方へと目を向ける。

 そこには大きな牛が一頭いた。

 先ほどまでは何もいなかったはずである。

 おもむろに牛が立ち上がる。立ち上がるといっても、最初から牛は四本足で大地を踏みしめて立っていた。そうではない。前足を浮かせたかと思えば、後ろ足の二本で立ち上がったのだ。

 よく見ると、頭は牛ではあるが体は人のようにも見える。

 その姿には見覚えがあった。

 牛頭ごず。冥府で閻魔大王に仕える羅刹らせつのひとりである。

 同じような格好ではあるが、牛頭とは決定的に違う点があった。

 それは牛頭が女であるということである。

 剥き出しの乳房に腰には、犬か何かと思われる獣の毛皮を巻き付けていた。

 牛頭女は、なにかを探すように辺りを見回していたが、目的のものが無かったのか、きびすを返して、別の方向へと歩いて行ってしまった。

 篁は、この牛頭女の後を追うべきかと悩んだが、とりあえず今夜は村の安全を確保した方が良いと判断し、去っていく牛頭女の背中を見送った。

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