流人、篁(4)
赤子ほどの大きさの木であった。
それを
道具は、村人が大工仕事で使っていたものを借りていた。
一心不乱に木を削る。それが心を落ち着かせるには一番だった。
あの日、源を殺した。
その感覚が篁にはしっかりと残っていた。
殺したのは自分であり、自分ではない。
その感覚が篁を惑わせている。
殺したのは自分ではない、鍾鬼である。
そう自分に言い聞かせてきた。
殺したのは源が自分を殺そうとしてきたからだ。
殺さなければ殺されていた。
だから殺した。
だから殺したのか。
殺したのは鍾鬼ではないのか。
殺したのは自分である。
鍾鬼に体を乗っ取られていた。しかし、止めることもできたはずだ。
余計なことを考えるな。心の乱れは、そのまま現れるぞ。
木彫りを教えてくれた
鑿が狙いを外れて篁の指に当たった。左手の薬指の皮膚が破れ、鮮血が流れ出る。
そこで篁は、手を止めた。
しん、と静まり返った大広間だった。ここは寺の堂であり、篁はこの寺で寝泊りをしている。
寺の名は、
光山寺には年老いた住職がひとりいるだけあり、篁はその住職の世話になっていた。
普段、住職は離れたところにある住居で暮らしている。そのため、篁は本堂を借りることができたのだ。
篁がこの島へとやって来たのは、ひと月前のことであった。
近くには
かつて
「篁様、お食事をお持ちしました」
堂の外から女の声が聞こえた。
篁は立ち上がって着物についた木くずを払い落すと、堂の入口へと向かった。
戸を開けると、そこには朱色の着物を着た女が
女の名は
「
そう言って篁は阿古那から膳を受け取ろうとする。
「篁様、その指はどうされましたか」
阿古那は篁の左の薬指の傷に気づいた。
何でもない。篁はそう言おうとしたが、阿古那は膳を床に置き篁の左手をそっと手に取った。
「まだ、血が出ています」
そう言った阿古那は自分の着物の一部を切り裂くと、篁の薬指に巻き付ける。
「これで止血はできたかと思います。あとで薬草もお持ちします」
「すまん……」
篁はそう言葉を告げるのが精一杯だった。
色が白く、綺麗な黒髪をした阿古那の姿はどことなく、妻である藤に似ているような気もした。しかし、目鼻立ちを見るとまったくの別人である。
私は妻が恋しいのだろうか。膳を堂の床に置く阿古那の姿を見つめながら、篁はそんなことを思っていた。
その夜は滝行を中止した。昼間に切ってしまった左手の薬指がどうにも痛むのだ。
これは良くないな。篁はそう思いながら、堂の隅へと目をやった。
堂の隅には、これまで篁が彫ってきた仏像が何体か並んでいる。
赤子ほどの大きさの木を鑿で削って作ったものだった。
仏像の彫り方は、以前に仏師である男から教わったことがあった。その時は興味本位で聞いただけだったが、まさか自分が仏像を彫るようになるとは思いもよらぬことだった。
仏像を彫っている時は、余計なことを考えないで済む。
ただ、一度邪念が入ってしまうと、その邪念に囚われてしまうことがあるので注意が必要だ。そう、昼間のように邪念に支配されてしまうと、己が怪我をすることとなるのだ。
誰もいない堂の中で、篁は薬指に巻かれた布を見つめていた。すでに血は止まっている。
「女に惚れたか、篁」
闇の中に黒い靄のようなものが現れた。鍾鬼である。
以前までの鍾鬼は、篁の心の中で語り掛けてくるだけであったが、
ただ、鍾鬼の姿をはっきりと見ることはできていない。いまはまだ、靄のようなものだけだった。
「惚れたのか、篁」
再び鍾鬼がいう。
「若くて、肌も白く、髪も黒々としておるな。痩せすぎず、太りすぎず、あれは抱き心地が良さそうじゃな、篁」
鍾鬼が笑いながら篁に囁く。
「あの女、お前に惚れておるぞ、篁。さっさと抱いてやれ。あの女はお前を快楽の虜にしてくれるに違いないぞ」
下品な笑い声をあげながら鍾鬼がいう。
篁は鍾鬼の言葉をすべて聞き流す。鍾鬼の言葉は自分の弱さだと思っている。だから、篁は鍾鬼の言葉を受け入れないようにしていた。
「篁よ、お前が抱かないというのであれば、我が喰ろうてやろうかのう」
「黙れっ!」
篁は鍾鬼を一喝した。すると鍾鬼はにやりと笑い、闇の中へと姿を消していった。
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