常嗣と篁(15)

 三度目の出航に向けて篁が鴻臚館を出たのは、藤原常嗣が鴻臚館を出た五日後のことであった。向かう先は、大宰府である。大宰府では、昨年遭難した三隻の遣唐使船が修理を終えて出航の準備を整えていた。

 常嗣が先行して鴻臚館を出たのは、遣唐大使として大宰府との出航の調整をする必要があったためであり、他の遣唐使たちは篁と共に鴻臚館を出た。

 鴻臚館を出た篁たちは馬に跨り、住吉津まで向かい、そこから海路で大宰府を目指す。大宰府までの船は、朝廷が借り受けた商船であり、この船では外海へと出るのは不可能であった。途中、海賊が出る海峡を渡る必要があると船頭に脅されたりもしたが、篁たち遣唐使団には朝廷の警備兵たちもいたため、海賊たちの方が恐れて出てくることは無かった。


 無事、大宰府に到着した篁たちは大宰鴻臚館へと入り、唐へ旅立つ支度を整えた。


「小野篁がコチラにイルと聞いたネ」


 ある日、篁のことを訪ねて来た者がいた。

 唐服に身を包んだ小柄な男は、名をちんどうと名乗った。どうやら唐人らしく、言葉は片言であった。


「私が、小野篁ですが」


 篁が出ていくと、道古は篁を見上げるようにして驚いた顔をして見せた。

 背の低い道古からすると、偉丈夫と呼ばれるほどに身体の大きな篁は山のような存在に見えたのだろう。


「ワタシ、唐人です。タカムラに唐について教えたいネ」

「そうでしたか。では、奥の間にどうぞ」


 篁は笑みを浮かべて道古を部屋に招き入れた。

 他の者たちは、どこか訝し気な顔をしていた。副使殿は何を考えているのかわからない。見ず知らずの唐人を部屋にあげるなどという者もいたほどだ。


であろう。このような手を使ってまで私に会いに来るとは、何かあったのかな」

「さすがは篁様。すぐに見破られましたか」


 道古の姿のままで花は言うと、微笑んで見せた。


「すぐにわかるさ」


 篁も笑みを返す。

 そこへ従者が白湯を入れた椀を持って現れた。

 従者には、花の姿は道古としか見えていない。


「して、どのような用件で来たのだ」

「唐についての情報を持ってきたネ」

「なるほど。聞かせてもらおうか」


 そんな当たり障りのない会話をして、従者が出ていくのを篁と花は見届けた。


「唐について……とは、仲麻呂なかまろについてかな」

「はい。阿部あべの仲麻呂なかまろについての話です」

「なにか、わかったのか」

「ええ。阿部仲麻呂と吉備きびの真備まきびが仲たがいをしたというのは、事実のようです。ですが……」

「なにかあるのか」

「真備が取り込んだとされている夢を喰らう鬼というのが、鍾鬼しょうきではないかと思われます」

「鍾鬼? 聞いたことのない名だな。何者なのだ」

「私も初めて聞いた名前です。唐でも、その名はあまり知られていないようですが、人の夢を喰らう鬼神だという話でした」

「その辺は、私が広嗣に聞いた話と一緒だな」

「そうですね……。篁様には申し上げにくいのですが、大変危険な相手であるかと」

「危険な相手か。そもそも、この件に私を巻き込んだのは閻魔であるぞ」


 篁が笑いながら言ってみせると、道古は困った顔をしてみせた。

 鍾鬼。名は知られていないが、あの真備を見る限り、かなり強力な鬼神であることは確かである。真備の身体を操っているのが鍾鬼なのか、それとも鍾鬼の力を利用しているのが真備なのか。どちらにせよ、強敵であることは間違いなかった。


「して、唐に渡った際は仲麻呂に会った方が良いのか」

「その件に関しては、仲麻呂は信用しない方が良いかと思います」

「なぜだ」

「あの男は自分が唐より出るために、篁様を利用しようとするに違いありません」

「だが、仲麻呂の力を借りなければ真備を倒すことは出来ないのでは」

「確かにそうかもしれません。ですが……」

「ですが?」

「あの男は信用することが出来ません」


 道古は表情を曇らせた。


「わかった。あと数日後に遣唐使船は、ここ大宰府を出航する。それまでに出来る限りの情報を集めてくれ、花」

「わかりました、篁様」


 そう言うと、道古は太宰鴻臚館を出ていった。



 篁たちの乗る遣唐使船3隻が大宰府を出発したのは、それから数日後のことであった。

 遣唐使船3隻は、まずは松浦郡まつらぐん旻楽岬みみらくみさき(五島列島の端の港。現、三井楽)を目指して出航したものの、第一船と第四船は逆風に遭って壱岐いき島に流着し、篁の乗る第二船は値賀島ちかのしま(五島列島)へと漂着した。

 結局のところ、第二次遣唐使も失敗に終わり、篁たちは大宰府にある大宰鴻臚館へと戻ることとなったのであった。

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