常嗣と篁(6)
冬場ということもあって、臭いの
まだ昼間だというのに、どこか
この辺りで、あやかしや
牛飼い童に教えてもらった廃寺は、化野のほぼ中央に位置する場所にあった。敷地内には背丈ほどの高さまで伸びた雑草が生い茂っており、寺の建物自体は半分朽ちてしまっているような状態で、屋根の上には無数のカラスたちがとまっている。
境内へと足を踏み入れた篁が建物の中を覗いてみると、板の間の中央に寝そべる
「御免」
篁は声をかけて建物の中へと入った。
その声に反応するように寝そべっていた法師は、首だけを動かしてちらりと篁の方を見たが、興味なさげにまた目を閉じてしまった。
「お尋ねしますが、法師殿は生霊を飛ばす術を使えると聞いたのですが、それは誠でしょうか」
その言葉に法師は再び目を開けると、首をこちらに向けて篁のことをじろじろと見た。法師の目は黄色く濁っており、どことなくこの世の者とは思えないような雰囲気を感じさせている。
「誰に聞いた」
法師の発した声。その声は低く痰の絡んだようなガラガラ声だった。
「とあるお方から」
篁がそう答えると、法師は黄ばんだ歯を見せてにやりと笑った。
「なるほど。そなたが、野狂というわけか」
法師は起き上がると、くるりと身体を回転させて篁と向き合った。
「私のことをご存知で?」
「ああ、知っておる。よく知っておる」
法師が近づいてくる。法師の身体からは、何とも言えないすえた臭いがした。
「では、この
着物の袖をめくり、篁は右腕を法師に見せた。
その腕に描かれた模様を見た法師は驚いた顔をした。
「なんと、これまた珍しい呪じゃの」
「法師は、この呪を解くことは出来ますか?」
「どうであろうな」
法師は笑っている。笑うと前歯が一本欠けているのがわかった。
「では、どなたであれば、この呪を解くことができましょうか」
「そうじゃな、マキビなどはどうかな」
「どなたですか?」
「そなたも知っておるであろう。
「なんと」
篁は腰に佩いていた鬼切羅城へと手を伸ばそうとした。
「よせ。いまのそなたでは、わしを斬ることはできん」
法師の言う通りだった。いまの篁の右手は全く力が入らず、太刀を握ることも叶わなかった。
「法師は、吉備真備のことをご存知で?」
「ああ、昔からよく知っておる」
そう言った法師の目がギラリと輝く。
「法師のお名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「わしの名か……名などは、とうの昔に捨てておる」
「では、法師と吉備真備の関係は」
「関係か。奴とは腐れ縁よ。あいつのことを憎んでいたこともあったが、いまは憎んではおらん。わしとあいつは敵でもなければ、味方でもない。そんな関係よ」
一体、この法師は何者なのだろうか。篁は考えてみたが、思い当たる人物は誰もいなかった。
「では、もう一度うかがいます。この腕を法師は治せますか」
「よろしい。ただ、ひとつ約束してくれ」
先ほどまでの笑顔を引っ込めて、法師は真剣な顔をして言う。
「なんでしょうか」
「
「どういうことでしょうか」
「来ればわかる」
法師はそう言うと、篁の右手に触れた。
篁が感じたのは冷たさだった。まるで雪に触れた時のような冷たさがそこにはあった。
すると篁の右腕にあった黒い模様のようなものが形を変えだした。
法師の顔を見ると、額に第三の目が現れている。
篁は驚かなかった。最初からこの法師が豊並が見たという三つ目の老人のあやかしであるということはわかっていた。
「ほれ、よく見てみよ、野狂。呪が浄化していくぞ」
「これは……」
腕の模様が文字のような形へと変化していくのがわかった。
「野狂、この文字を読めるか。読めるのであれば、口に出してその字を読むが良い」
「読めますとも。これは私が以前、
篁の腕に現れた文字。それは『子子子子子子子子子子子子』というものであった。
この『子子子子子子子子子子子子』は以前、当時帝であった嵯峨天皇から、何と読むかと出された謎かけであった。篁はこの文字を読めたことで反逆罪の疑いから逃れることができたのだった。
「ねこのこ、こねこ、ししのこ、こじし」
篁がその言葉を口に出して発すると、右腕に書かれた文字が分解され、黒い瘴気のようなものが篁の腕から宙へと放出されて行く。
そして、篁の腕からすべての模様が抜け去った。
「では、唐で待っておるぞ、野狂」
法師がにやりと笑った。すると、どこからともなく強い風が吹いてきた。
篁は身構えた。しかし、すぐに風は止み、気づくと、法師の姿はどこにもなかった。
そして、篁の腕にあった呪も消えていた。
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