常嗣と篁(7)
遣唐使船が完成したという報告が
その報告は左大臣である
遣唐大使である
餞では、帝より酒が振舞われ、遣唐使に関わる者たちはその美酒に大いに酔った。
中でも遣唐大使である藤原常嗣などは、帝から送られた酒がよほど嬉しかったのか上機嫌で普段以上に飲み、泥酔してしまったほどであった。
「しばらくの間、留守にするが頼んだぞ、藤」
遣唐使出発の日、篁は妻の屋敷を訪ねて、そう告げた。
藤は目に涙を溜めながら、黙って頷く。
正直なところ、篁にもこの先がどうなるのかは、予測がつかなかった。
当時の操船術は、運任せなところが大きかった。きちんとした航海図もなく、潮の流れに任せて唐へと向かうのだ。そのため、遣唐使船には、
それに、今回の遣唐使は三〇年ぶりに復活したものであり、その外洋航海技術もかなり衰退していた。前回の航海に関わっていた者は、ほとんど残っておらず、外洋を経験したことのある船乗りもほとんどいないのである。
そんな不安をよそに、遣唐大使である藤原常嗣は、豪華な牛車数台で
今回の遣唐使船は、全部で四隻である。第一船には、遣唐大使である藤原常嗣と准判官の
遣唐使船は住吉津(現代の大阪湾)を出発し、瀬戸内海を西下し、
遣唐使船の乗員数は、一隻に約一二〇人。それが四隻なので五〇〇人弱が唐に向けて出発するのである。乗員たちはそれぞれに役割があり、遣唐大使、副使をはじめとし、
こうして、篁たちを乗せた四隻の遣唐使船は唐へ向けて出航したのであった。
しかし、その船出はすぐに出鼻をくじかれた。
遣唐使船が住吉津を出航して、三日目の朝。嵐が篁たちを襲ったのである。
住吉津を出航したばかりの遣唐使船は、
この時の暴風雨は
また、朝廷は輪田泊に遣唐使船が緊急停泊したとして、
嵐が去り、四隻の遣唐使船は何とか無事であった。しかし、まだ波は高く、出航できるような状況ではなかった。仕方なく、遣唐使船四隻は輪田泊でしばらく滞在することとなったのだった。
藤原常嗣は、すぐに
「これはどうしたものかのう、野狂殿」
眉を八の字に下げ、いかにも困ったという表情をしながら藤原常嗣が篁の宿泊先を訪ねて来たのは、輪田泊で遣唐使船が停泊して四日目のことだった。
輪田泊からであれば、馬を使えば一日で
「船頭によれば、この波では船を出してもほとんど進むことは出来ないそうです」
「それは困ったのう。あれだけ盛大に見送ってもらって、輪田泊で引き返してきたとあっては申し開きも出来ぬ」
「もうしばらく待ちましょう、常嗣殿」
「うむ……」
常嗣は扇子で自分の首筋をポンポンと叩きながら、気の無い返事をするだけだった。
遣唐使船が輪田泊を出発できたのは、それから一週間後のことであった。
四隻の遣唐使船は五〇〇人を乗せて瀬戸内海を西下し、筑紫大津浦へと入った。
筑紫大津浦は大きな港町であり、大勢の人で賑わっていた。
遣唐使船に乗っていた人々も、ここで一旦船を降り、唐に向けた出航の準備をはじめる。
ここから先は、外洋である。唐につくまでの間、
「篁殿、食事でもしませんか」
同じ第二船に乗っていた判官の
ふたりは飯屋に入り、
よほど干物が美味かったのか、豊並は三杯もおかわりをし、ただでさえ出ている腹をさらに膨らまして、帯を緩めていた。
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