広嗣の怨霊(13)

 門を通過した篁が冥府裁判所へ行くと、鹿頭の羅刹が待っており、別室へと通された。まるで自分が来ることがわかっていたかのような対応に、篁は奇妙な感覚を覚えていた。


「来たか、篁。まあ、座ってくれ」


 別室で待っていた閻魔は、篁に倚子いしを勧めた。

 このようなことは、いままで一度もなかったはずだ。大抵、篁はこの部屋で閻魔が来るのを待つこととなる。しかし、今日に限っては閻魔の方が待っていたのだ。

 いつもと違う対応に、篁は戸惑いを覚えながらも倚子へと腰をおろした。


藤原ふじわらの広嗣ひろつぐの件は、からすべて聞いておる。ご苦労であったな」

「そのことなのだが」

「わかっておる。おい、入ってきてくれ」


 閻魔が声を掛けると、奥の間の扉が開き、ひとりの男が姿を現した。

 まるで化粧でもしているかのように色が白く、背の低い、水干に身を包んだ男。

 紛れもなく、それは刀岐ときの浄浜きよはまであった。


「浄浜……」

「久しいな、篁」


 浄浜は紅をさしたかのような唇を歪め、笑みを作った。

 そんな浄浜の笑顔に対して、篁は悲し気な表情かおを見せた。


 新月の晩、刀岐浄浜は雷に打たれて死亡していた。

 あの夜、浄浜の身に何が起きたのか、篁も詳しいことは知らなかった。ちょうど、その時、篁は広嗣の怨霊と対峙しており、浄浜がどのようにして雷に打たれたのかまでは、見ていなかった。

 篁が羅城門の屋根から降りた時にはすでに、浄浜の心の臓は停止していた。

 花に何があったのかと問うたが、花は首を横に振るだけであり、浄浜がいかずちに打たれたとだけ呟くように言った。


「最期の願いを閻魔大王が聞き入れてくれてな」

「最期の願い?」

「ああ。この部屋を出たら、私は閻魔大王の裁きを受けて、六道のいずれかに旅立つ」


 浄浜はそういって笑う。


 六道。それは輪廻転生の六つの道である。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の六つ。どの道に進むことが出来るのかは、冥府裁判次第であった。


「別れの挨拶というわけか、浄浜」

「まあ、そんなところだな」


 そう言う浄浜はどこか飄々としており、これが本当の別れなのだろうかと思わせるほどであった。


「そうか……。ひとつ、聞いておきたいことがある」

「なんだ、篁」

「浄浜を殺したのは誰だ。あれが、ただの落雷ではないことくらい、わかっておる」


 篁の言葉に、一瞬浄浜が口を噤む。そして、話しても良いのかと伺いを立てるかのように閻魔の方へと視線を送った。

 その浄浜の視線に、閻魔は無言で頷く。

 浄浜は少しだけ迷ったような表情をしたが、すぐに気を取り直して口を開いた。


「あの晩、ひとりの男が現れたのは知っているな」

「ああ。烏帽子に道服姿の奇妙な男だな。やつが藤原広嗣の怨霊を葬った」


 藤原広嗣の怨霊は、落雷によってぜた。

 そのいかずちを落としたのは、間違いなくあの男だった。


「そうだったのか……」

「誰なのだ、あの男は」

「あれは、吉備きびの真備まきびだ」

「なんと……」


 その名前を聞いた時、篁は衝撃を覚えた。まさか、ここでその名を聞くことになるとは思いもよらぬことだった。


「あの夜、私は陰陽道に伝わる秘儀である十二天将を使って、百鬼夜行の魑魅魍魎たちを常世送りにした。そこへ吉備真備が突如姿を現したのだ」

「ちょっと待ってくれ。話が読めない。吉備真備といえば、100年近く前の人間ではないか」


 混乱した表情の篁は、まだ信じられないといった口調で言う。


「それについては、わしの方から説明しよう」


 ごわごわとした髭を撫でながら、閻魔が口を挟んだ。


「以前、篁には吉備真備がわしの仕事を手伝っていたという話はしたな」

「ああ」

「藤原広嗣の怨霊を一度封じたのも、あの男だった。現世うつしよでは右大臣にまで上り詰めたが、奇妙な術を使う男でな」

「陰陽師であったと聞いているが」

「それは表向きの話じゃ。真備は唐に渡った際に鬼神と契約を交わしておる。あやつの使う術は陰陽の術ばかりではない。魔の者の術も使えるのだ」

「魔の者の術?」

「平たく言えば、じゃしゅといったところじゃな」


 篁にはそれが一体何なのか、まったく理解が出来なかった。

 ただ、陰陽師である浄浜はわかっているらしく、無言で閻魔の言葉に頷いていた。


「やつは邪の呪を操り、不死の術を手に入れた」

「不死の術だと。では、吉備真備はまだ生きているというのか」


 篁は唖然とした様子で言う。


「ああ。信じられないであろうが、やつはまだ存命じゃ」

「しかし、閻魔の仕事を手伝っていた者がなぜ……」

「いまの真備は、あの頃の真備ではない。あれは真備という人間の姿をした化け物だ」

「化け物……」


 篁は広嗣と戦っている時に現れた男のことを思い出していた。

 もし、あの時に自分が吉備真備と戦っていたら、勝てただろうか。

 藤原広嗣ほどの者を一撃でほうむった男だ。おそらく、勝つことは出来ないだろう。


「今回の藤原広嗣の怨霊の封印が解けた件についても調査を進めてはいるが、どうやら真備が絡んでいる可能性が高い」

「やはり……」

「花によれば、浄浜を召雷しょうらいのじゅつで殺害したのも真備であったそうじゃ」


 その閻魔の言葉に篁は浄浜の顔をじっと見た。

 浄浜は複雑な表情を浮かべていた。


 吉備真備といえば、現代陰陽道の祖とも呼べる人物であった。真備が唐より陰陽道の聖典である『金烏玉兎集きんうぎょくとしゅう』を持ち帰ったことから、この国における陰陽道がさらなる飛躍を遂げた。真備がいなければ、現代いまの陰陽道は存在しなかったといっても過言ではないのだ。

 そんな真備が召雷術を使い浄浜を殺した。いわば、師匠が弟子を殺したようなものである。なぜ、浄浜は真備に殺されなければならなかったのか。

 それは真備以外に誰も知る由はなかった。

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