広嗣の怨霊(10)

 篁と広嗣が屋根の上で攻防を繰り広げている間、浄浜きよはまは鬼神と化した魑魅魍魎たちと対峙していた。

 広嗣の怨霊の瘴気に当てられ力を得た魑魅魍魎たちは、世にも恐ろしい、奇怪な姿の化け物となっていた。その化け物たちが平安京みやこ内に侵入しようと羅城門に殺到する。


 門の前に立った浄浜と花は、その魑魅魍魎たちを睨みつけ、ここ先は一歩も通さないと言わんばかりに立ちふさがった。

 浄浜は懐から数枚の紙切れを取り出した。人間に似た形の切り紙。それは陰陽道で人形ひとがたと呼ばれるものであった。浄浜がその人形に息を吹きかける。すると、その人形がまるで命を吹き込まれたかのように動き出し、姿かたちを人間のように変えていった。式神しきがみ。陰陽師が使う呪術じゅじゅつのひとつであった。

 命を吹き込まれた式神は、鎧を身にまとい、ほこを片手に魑魅魍魎たちへ斬りかかっていく。

 突然現れた式神たちに、百鬼夜行は虚を突かれたように崩されていく。

 その機を逃さず、花も百鬼夜行の中へと斬りこんでいく。花は左右の手に一本ずつ剣を持ち、その剣を大きく凪ぐようにして振り回し、次々と魑魅魍魎たちの首をね飛ばしていった。

 首を刎ねられた魑魅魍魎は、形を崩し、土へと還っていく。


 浄浜と花は優勢に見えた。しかし、数が違った。百鬼夜行、それは百の魑魅魍魎たちなのである。十や二十の魑魅魍魎を片づけたところで、まだまだ化け物たちはいるのだ。


「これではキリがない」


 次第に花の息も上がってきていた。


「花殿、すまないがしばらく時間を稼いでくれないか」

「別に構いませんが、何をするおつもりですか」

「陰陽道の真骨頂をお見せいたします」


 浄浜はそう言って自分の背中を花に預けると、式盤しきばんを取り出した。

 六壬りくじん神課しんか。それは陰陽道の秘儀とされている十二じゅうに天将てんしょうを呼び出すための式術である。


「天一貴人上神家在丑主福徳之神吉将大无成」


 浄浜が呪文のようなものを唱えだす。

 すると不思議なことが起きた。大地が震えているのである。それは地震とは、また違った揺れであった。


「刀岐浄浜の名において召喚す、天乙てんおつ貴人きじんよ、我に力を貸したまえ」


 揺れが止まった。

 次の瞬間、大地が二つに割れた。

 その大地の割れ目から姿を現したのは、巨大な牛だった。

 牛は魑魅魍魎たちに突進し、魑魅魍魎たちを大地の割れ目へと突き落としていく。


 天乙貴人。それは陰陽道における秘術、十二天将召喚によって呼び出される式神のひとりであった。十二支では丑とされ、天と大地をつかさどる天将であり、北極星の精とされている。


 天乙貴人は暴れまわり、百鬼夜行たちを引き連れて地の中へと消え去っていった。

 この光景には、さすがの花も唖然として見守っていた。

 あれだけいた百鬼夜行の魑魅魍魎たちが一匹も残らずに消え去ったのだ。


「凄いですね、浄浜殿」

「陰陽道の力を使えば、こんなものだ」


 浄浜はそう言って見せたが、その疲労は激しく、玉のような汗を額にかいていた。

 その様子を見た花は剣を収めて、浄浜に駆け寄り、いまにも倒れそうな浄浜のことを支える。


「面白い」


 どこからか、声が聞こえてきた。

 その声がした方へと浄浜が目を向けると、そこには宙に浮いたひとりの男がいた。格好は道服どうふくであり、頭には烏帽子を被っている。その恰好は百年前に朝廷の役人たちがしていた格好であり、時代錯誤な格好だった。


「何者だ」


 浄浜はその男に問いかけたが、男は何も答えず、にやりと笑っただけだった。

 宙に浮いている。その時点で、この男が現世の人間ではないということはわかった。たとえ陰陽の術を使ったとしても宙に浮くことはできない。そのことを浄浜はよくわかっていた。


「陰陽師か?」


 男が問いかけてくる。


「そうだ。陰陽寮の暦博士、刀岐ときの浄浜きよはまである」

「そうか、そうか」


 男はそれを聞くと、満足げに頷いた。


「人の名を聞いておいて、自分は名乗らぬつもりか」

「それもそうじゃな。我の名を知りたいか、未熟者よ」


 男はそう言うや否や、浄浜に向かって何かを投げつけた。

 投げられたのは一本の剣だった。

 あまりにも一瞬の出来事に、浄浜は何が起きたのかわからなかった。

 その剣は、浄浜の胸の中心に突き刺さっていた。


「浄浜様っ!」


 花の声で浄浜は、自分に何が起きたのかわかった。

 その時は、地面に倒れていた。


「陰陽師たるものが、その程度の術も理解出来ぬとはな。刀岐浄浜、我の見当違いであったか」


 男は吐き捨てるようにそう言うと、姿を消してしまった。

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