広嗣の怨霊(9)

 剣の構え方を見ただけで、篁には広嗣ひろつぐがかなりの手練てだれであるということがわかった。なによりも剣の扱い方に長けている。そう思えたのだ。


 広嗣の剣は錆びだらけで朽ちかけているものだった。しかし、その剣からは禍々しい瘴気しょうきのようなものが溢れ出てきている。それは、まさに怨霊となった広嗣が扱うにふさわしい剣だった。


「篁よ、奇妙な太刀を持っているな」


 広嗣は篁が抜き放った鬼切羅城の太刀に目を留めた。

 この太刀は閻魔より授けられたものだった。元の名は、鬼切無銘。その名の通り鬼を斬るために作られた太刀であった。そこに、一匹の鬼の魂が宿った。その鬼はかつて羅城門に住み着いていた鬼であり、篁によって退治され、一度は篁に使役しえきしたことのある鬼であった。篁はその鬼にラジョウという名を与えた。そのラジョウの魂が宿った太刀。それが鬼切羅城であった。


「この太刀の凄さがわかるのか、広嗣」

「嫌な太刀だ。嫌すぎて、今すぐにでも貴様の手から奪ってやりたいわ」


 広嗣が斬りかかってきた。鋭い斬撃ざんげきである。

 これを受け止めるのは危険だと判断した篁は、一歩後ろに下がるようにして、その斬撃を避けた。

 右手だけで剣を振る広嗣ではあるが、その斬撃はすさまじかった。

 先ほどまで篁が立っていた場所の瓦が朽ちるように割れていた。おそらく、広嗣の剣から放たれている瘴気に当てられたのだろう。


 広嗣の攻撃は留まることを知らず、次々と繰り出された。

 体を捻るようにして、篁はその攻撃を避ける。

 攻撃は当たっていないはずだった。それにも関わらず、剣の刃が近くを通っただけで篁の着物の一部が朽ちるように綻びていた。あれは魔剣だ。篁は広嗣の剣を見て、そう思った。


「避けてばかりでは、には勝てんぞ、篁」

 笑いながら広嗣が言う。


 篁は鬼切羅城を下から擦り上げるように振り、広嗣の首を狙った。

 広嗣がこの太刀を避けるために下がったとしても、確実に広嗣の首を取れる距離だった。

 しかし、広嗣はその斬撃を避けようとはせず、前に出て剣で受け止めた。

 それは、正しい判断だった。やはり、広嗣は出来る。

 広嗣の原動力。それは、怒りと憎しみが混じりあった憤怒ふんぬであった。


 藤原広嗣は、かつて朝廷で式部しきぶの少輔しょうという役職に就いていたが、反藤原氏勢力による朝廷内の大きな陰謀に巻き込まれ大宰府だざいふへと左遷された。そして、左遷先である大宰府で一万の軍勢を率いて反乱を起こした。一説によれば、広嗣には反乱を起こす意志は無かったとされている。ただ、中央に対して不平不満を述べていたことから、朝廷に反乱の意ありと反藤原勢力に讒言ざんげんされ、討伐されたのではないかという説もある。

 その時の怒りと憎しみが広嗣を怨霊として蘇らせた。

 だが、それは90年も昔の話だ。

 いま目の前にいる藤原広嗣の怨霊は、一度封印され、再び現世へと戻ってきた者である。


 篁の太刀と広嗣の剣がぶつかり鍔迫り合いとなる。


「篁よ、邪魔をするな。我はみかどの命を奪わねばならぬ」

「なぜ帝の命を狙うのだ。今上天皇は、広嗣の知る帝とは違う」

「関係ない。あの男の血を継ぐものであれば、同じだ。我と同じ苦しみを味わってもらう必要がある」


 広嗣の力は強い。右手一本であるというのに、凄い力だった。


 近くで見る広嗣の顔は、どこかおかしかった。皮膚はひび割れ、所々が朽ちているようにも見える。目は血走り、口の端からは蒼き炎が漏れだしている。怨霊となった広嗣は、まさに化け物であった。


 強烈な前蹴りが繰り出された。蹴ったのは、広嗣である。

 鍔迫り合いに気を持っていかれていた篁は、その前蹴りを避けることは出来ず、後方に転がるように飛ばされた。

 篁が屋根の上を転がると、瓦が外れて羅城門の下へと落ちていく。

 手入れのされていない羅城門の屋根は、所々がもろくなっており、瓦も簡単に外れてしまっていた。

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