広嗣の怨霊(3)
「わしも、まさかとは思ったが、信頼できる筋からの話なのだ」
閻魔が渋い顔をして言う。
「して、なぜ広嗣は蘇ったのだ?」
「それはわからん。ただ、あれは強大な力を持つ怨霊だ」
「たしか広嗣の怨霊は、陰陽師が封印したという話だったと記憶しているが」
「ああ。聖武天皇の
吉備真備は、遣唐使として唐に渡り、唐より陰陽道の聖典『
「その吉備真備が施した封印が解けたということか?」
「真備が現世を去ってから60年近く経っておる。封印の力が弱まったのかもしれん」
「では、この腕は?」
篁は木箱の中に入れられた干からびた腕へと目を向ける。腕は肘から先の部分であった。先ほど、閻魔はこれが広嗣の左腕だと説明していたはずだ。
「藤原広嗣の怨霊を封印する際、吉備真備は広嗣の身体を引き裂いたのだ。広嗣が玄昉の身体を引き裂いたようにな。真備と玄昉は友であった。遣唐使で共に唐より帰ってきた。ふたりには戦友のような絆があったのかもしれん」
「だから、広嗣も同じ目に合わせたと……」
「そういうことだ。この左腕はその時に裂かれた一部で、真備が冥府にやってきた際に持ち込んだのだ」
「吉備真備が冥府に?」
「ああ。あの男も、お前と同じように現世と冥府を行き来していたのだ」
閻魔は懐かしそうな目をしながら言った。
初めて聞く話だった。あの吉備真備が現世と冥府を行き来していた。吉備真備は、右大臣であると同時に陰陽師でもあった。真備に関する不思議な話は、いくつか聞いたことがあるが、どれも
「吉備真備も私のように、閻魔の仕事を請け負っていたというのか」
「まあ、そんなところだ」
ゴワゴワとした髭を撫でながら閻魔は言う。
その様子を見て篁は閻魔がまだ何か隠しているのではないかと考えていた。
しかし閻魔は、それ以上吉備真備については語ろうとはしなかった。
茶で口を潤して、ひと息ついてから篁は話を切り出した。
「広嗣の怨霊についてはわかった。して、私にどうしろと?」
「それなんだがな……」
「ここまで話したのだ、勿体ぶらないで全部話せ」
篁の言葉に、閻魔はようやく重い口を開いた。
「次の新月の晩、藤原広嗣は
「なんと」
閻魔の口から語られたのは、篁の予想を遥かに上回ることだった。
百鬼夜行。それは、鬼やあやかし、妖怪といった
「広嗣の百鬼夜行は、
「朱雀門を抜けて、
眉間にしわを寄せて篁は言う。もし、その百鬼夜行を広嗣が実施すれば、内裏や
「広嗣は今でも朝廷を恨んでおる」
「90年近く経っているのだぞ。すでにあの頃の朝廷ではない」
篁は唇を噛みしめながら、吐き捨てるように言った。
「わかった。私がその百鬼夜行を止めよう。だが、こればかりは私ひとりの力ではどうにもならん」
「もちろん、ひとりでやれとは言わん。共をつけよう」
閻魔はそう言って、机の上に置かれていた小さな鐘型の鈴を手に取ると、それを振って鳴らした。
しばらくすると、人のやってくる気配があった。
「お呼びでしょうか、大王様」
そう言って部屋に入ってきたのは、すらりと背の高い女性だった。格好は水干を身にまとっており、烏帽子を被るといった男装である。
「
見覚えのある顔に、篁は笑みを浮かべた。
花は閻魔の
「ご無沙汰しております、篁様」
花も笑みを返す。会うたびに花の姿は違っていた。初めて会った時は、艶めかしい姿の女性だった。その次にあった時は水干を着た女童で、道服を着ている時もあれば、いまのように水干と烏帽子で男装している時もあった。また、人ではなく、蛍に姿を変えたりもしていたこともある。どれが本当の花の姿なのか篁にもわからなかったが、どんな姿であっても篁にはそれが花であるということはわかった。
「花よ、篁の仕事の手助けを」
「わかりました」
花は閻魔の言葉に深々と頭を下げて承知する。
「篁様、よろしくお願いいたします」
凛とした顔つきで花は篁にそう告げたのだった。
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