広嗣の怨霊(4)

 現世へと戻った篁は、大内裏へと向かった。

 大内裏には、大宝たいほう律令りつりょうで定められた二官にかん八省はっしょう一台いちだい六衛府ろくえふと呼ばれる朝廷の行政機関が存在しており、篁の所属している弾正台もそのひとつであった。


 なお、二官八省一台六衛府については、祭祀さいしつかさど神祇官じんぎかんと政務を担当する太政官だいじょうかんの二官、政務を分担する八つの役所である中務なかつかさ省、式部しきぶ省、治部じぶ省、民部みんぶ省、兵部ひょうぶ省、刑部ぎょうぶ省、大蔵おおくら省、宮内くない省の八省、官吏を監察する弾正台の一台、宮中の護衛を司る左右の近衛このえ府・衛門えもん府・兵衛ひょうえ府の六衛府となっている。


 次の新月の晩に百鬼夜行が平安京みやこを襲う。そのことを大内裏内で最初に話を通しておきたいところ、それは中務省にある陰陽おんみょうりょうであった。


「これはこれは、篁殿」


 篁が中務省内にある陰陽寮へと顔を出すと、まるで篁が来ることをわかっていたかのように、刀岐ときの浄浜きよはまが出迎えた。


「本日はお願いがあって、足を運ばさせてもらった」

「ここでは何ですから、奥へ」


 浄浜に案内されて、篁は陰陽寮の奥にある部屋へと入っていった。

 陰陽寮に務めている人間は、みな陰陽師であった。陰陽師というと式神や呪術などといった摩訶不思議な術を使ったりするといった印象が強い。しかし、実際には彼らは朝廷の役人であり、星を詠んだり、月日の流れで暦を作ったり、占筮せんぜいと呼ばれる占いを行ってまつりごとに助言をするといったことをするのが仕事である。

 そんな陰陽師の中で、浄浜は暦博士こよみのはかせという役職についており、浄浜は月の満ち欠けを読み取って物事の吉凶を読み取るのが得意な陰陽師であった。


 別室へと通された篁は座に着くと、さっそく話をはじめた。


「次の新月は何日後となりますかな」

「これは唐突な質問ですな、篁殿」

「失礼。しかし、これはとても重要なことなのです」

「ほう……。次の新月は四日後となりますが」

「四日しかないのか」


 篁はそう言って渋い表情を浮かべた。


「新月の晩に何かあるのでしょうか」

「ええ。みやこに危機が訪れます」

「なんと」


 浄浜は驚いた声を上げて見せたが、その表情はまったく驚いてはいなかった。

 いつだって、この男は表情の変化に乏しい。まるで人形にんぎょうのようにすました顔。肌の色は化粧でもしているかのように白く、唇は朱を差したかのように紅い。この男の顔を涼しいなどといって喜ぶ女房にょうぼうたちも少なくないという話を聞いたことがあるが、篁にはそれが理解できなかった。


「京の危機とは、一体なにが」

「これは浄浜殿にだから話せることです」

「わかった。他言無用ということじゃな」

「ええ」


 篁はそう言ってから、部屋の中を見回した。

 近くに人の気配は無かった。そのことを確認してから、篁は口を開いた。


「次の新月の晩、百鬼夜行が行われます」

「ほう」


 今度は驚かなかった。浄浜は冷静に篁の言葉を受け止めている。


「では、『カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ』とでも唱えますかな」


 浄浜の口にした言葉。それは百鬼夜行に遭遇した時に助かると言われている呪文であった。

 この呪文の意味は「かたしはや、庫裏くりめるさけ手酔てよ足酔あしよい、われにけり」というものであり、簡単にすれば「私は、ただの酔っ払いである。何も見ていない。だから、見逃してくれ」という言葉を呪文として言っているだけのものであった。


「冗談で言っているのではないぞ、浄浜殿」

「わかっておる。ちょっと篁殿をからかってみたくなっただけじゃ。すまぬ、許せ」


 浄浜はいたずらな笑みを浮かべて見せる。その笑みはどこか少年のような笑みであった。その笑みを見た篁は、もしかしたら女房たちはこのような笑みでやられているのかもしれないなどと想像を膨らませた。


「百鬼夜行というのは、子子午午巳巳戌戌未未辰辰の日に行われるとされているが……なるほど、ちょうど新月の晩に当たるのか」


 こういったところは暦博士である浄浜との話が早いところだった。日付から様々な事柄を導き出すのが暦博士の仕事でもある。


「次の新月の晩、人々に外出を控えるように通達してもらうよう、陰陽寮から朝廷に掛け合うことは出来るが、それで良いかな篁殿」

「それはありがたい。しかし……」

「しかし?」

「事はもっと重大なのだ」

「と、申すと」

「今回の百鬼夜行を指揮する者がいる」


 その言葉に、浄浜は懐から扇子を取り出すと広げて口元を隠した。


「その名を当てて進ぜよう……藤原ふじわらの広嗣ひろつぐじゃな」

「なんと、知っていたのか」

「陰陽寮で、占いを得意とするものがいてな。その者が鬼門の方角より、蘇りし怨霊ありとの告げを聞いたそうだ。それで調べてみたところ、藤原広嗣の封印が解けた形跡があった」

「やはり、そうなのか……」


 百鬼夜行を率いる者が藤原広嗣であるということはわかっていたものの、浄浜の口から語られたことにより、篁の中での絶望感が更に増した。閻魔の言ったことが間違いであればよい、どこかでそう思っていたのだ。


「安心してくれ、篁殿。陰陽寮は全力を持って、その百鬼夜行を阻止するつもりだ」

「それはありがたい。もちろん、弾正台も百鬼夜行の阻止をするために全力を尽くす。あとは、朝廷に通達して次の新月の晩に人々を家から出さないようにしてもらう必要があるな」

「そうだな」


 百鬼夜行は、見た者の命を奪い去っていくと伝えられている。その百鬼夜行が平安京たいらのみやこを練り歩き、内裏を目指すというのだから、ただ事ではない。何よりも、重要なのは帝の命を御守りするということだ。藤原広嗣の目的、それは帝の命なのだ。

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