野狂篁(4)
妻である
もちろん、牛車の主が
藤の父親である
「それで、その牛車はどうなったのですか?」
藤が興味深そうに聞いてくる。
「苛立ちを隠しきれなくなった、
「まあ」
「おそらく牛車の前にいた女のあやかしは、主の妻か何かの生霊であったのだろうな。主を他の女のところへ行かすわけにはいかぬという、強い思いが生霊となって現れたに違いない」
「そんなことが可能なのですか」
「まあ、出来なくはない」
「でしたら、私も篁様が他の女のもとへ行こうとしたら生霊を飛ばしますわ」
「馬鹿なことを言われるな」
篁は笑いながら言うと、藤の注いでくれた酒の入った盃を口元へと運んだ。
篁と藤は仲の良い夫婦であった。篁には子が六人いたとされている。
篁の
ちなみに、篁の息子たちはあまり名を残すことが出来なかったが、その孫たちは名を残している。
話の腰を折ってしまったので、物語に戻ろう。
妻の邸宅でひと晩を過ごした篁は、日が昇る前に自宅へと戻ることにした。
時刻は丑三つであり、妻はすっかり眠ってしまっている。
篁はそっと寝所を出ると身支度を整えて、妻の邸宅を後にした。
最初の頃は、妻の家人が篁に牛車を用意しようとしたり、松明を持たせようとしたりしたが、いまとなっては猫のように家から出ていく篁のことを気にしなくなっていた。牛車も松明も護衛もいらぬ。篁はそう妻の家人に伝えていた。
月明かりだけを頼りに、篁は
時おり吹く風が心地よかった。
さすがに丑三つ時ともなれば、平安京も
辻を何度か渡り、自宅近くまで来たところで、ひとつ先の辻に女が佇んでいるのが見えた。ただ、その姿はどこか
篁の脳裏には、先ほどの牛飼童の話がよぎった。まさかと思いながらも、もう一度じっと女の姿を見つめてみるが、やはり霞んでいた。
なるほど。
篁は独り言をつぶやいた。この女は
「もし……」
ささやくような小さな声だった。距離はかなり離れている。しかし、篁の耳にははっきりとその声が聞こえた。
聞こえぬふりをするべきだろうか。篁が悩んでいると、またその声が聞こえてきた。
「もし……。貴方様は東宮学士の小野篁様でございましょう」
さすがにそこまで言われてしまっては、聞こえぬふりを決め込むわけにも行かない。篁は意を決して、その声に答えることにした。
「いかにも。私は小野篁です」
「良かった。良かった」
「どうか、なされたのですかな」
「このままでは、わたくしめは鬼となってしまいます」
「それはどういうことでしょうか」
篁がそう聞くと、女はしくしくと泣きはじめた。
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