第0話君は美しい
森へ一歩、足を踏み入れるたびに緑が広がってゆくだろう。人間は緑に囲まれ癒され呼吸を整えるだろう。
だが、奥へ奥へと進むにつれ森は深くなり辺り一面緑で人間は怖がり不気味に思うだろう。
更に森深くまで足を踏み入れると、鮮やかな赤が見えてくる。
この森には女が埋まっていた。
死体でも骨でもない、女だ。
女は半身、土に埋まっており目視できる肌には細かい傷が広がっていた。
傷口からは鮮やかな赤い血が流れ出、土へと根をはる。
女はその場から動くことも出来ずただただその地に血を流し続けていた。
ガサッ
女は僕の足音に気付き、重たそうな瞼を開けた。
「また、お前か…。いい加減死んでも知らんぞ」
女は見慣れた客にいつものお決まりの台詞をはなった。
この森、特に女が埋まっているこの場所は人間には有害でほとんどの人間は気分が悪くなり病に伏せる。
故にこの森には人は近寄らない。
「また泥が跳ねていますよ」
僕は半身が埋まった女の肩に付着した泥を手で落とした。
女は太古の昔からこの地で血を流していた。
女も昔は土に埋まってなどおらず、普通の人間だった。
女はこの土地で殺され、気付けばここに埋まっていたらしい。
「私に触れてもピンピンしておるのはお前ぐらいだ…」
女の瞳は徐々に瞼で隠されてゆく。栄養が全て根に持っていかれ目を開けているのも精一杯なのだろう。
「人間は私を死体の化け物と言う…前のやつもそう言って逃げおった」
血を根に持っていかれ、埋る体は白く、健康とは程遠い。
「あれから随分たちました。今、あなたを知っているのは僕ぐらいですよ」
女は幾年の時をここにて生きてきたのか…。
僕はいつものように女の周りの土を優しく手で掘る。以前シャベルで掘るときに女の足を傷つけてしまった故、手が痛もうとも形が変わろうとも僕は手で掘り続ける。
僕はこの女を自由にしてやりたかった。この女に頼まれたり、呪いをかけられたのではなく、そうしたいと思ったからだ。
「あなたの白い肌は綺麗で、つい見とれてしまいます」
僕は照れたように頬を染めながらも、女の周りの土を掘り続けた。
女は自分でも気味が悪いと思っている体に頬を染める若い男に、冷めた目を向けている。
確かに女は若い肉体を持っているが血が滴り根になり肌は血の抜けた色をしており、深い森がより一層不気味に見せる。
「あなたは自由になれば何がしたいですか」
僕は土を掘りながら女に問う。
女は何も反応しなかった。
「この三日月が好き…無数の三日月が…」
女がうつむきながらボソリと呟いた。
僕は一度手を止め、空を見上げ月を探した。
空には小さく半月が浮かんでいた。
女の瞳からは三日月に見えるのかな?
同じ世界を見ていても違う物が見えるのかな。
そんな、少し寂しいような、チクリと心臓が痛んだ。
うつむきであまり見えないが女の口角が上がった。
…ような気がした。
翌日、僕は立ち尽くした。
そんなはずはないと、たかをくくっていた。
いつもそこにいると思っていた。
人間というものはいつも失ってから気づく。
女は忽然と姿を消した。
どこにも見当たらなかった。
女が埋まっていたであろう穴の周りには多数の人間の足跡があった。
何者かが女を引きずり出し強引に連れ去ったのだろう。
穴の中には、かつては女の血だったであろう根が無数に散乱していた。
僕は女の体や根を傷つけぬようにしていたのに、きっと奴らは根をちぎったのだろう。無抵抗の女を。
もう僕が彼女にしてあげられることは何もなかった。
せめて、彼女も僕といる時は同じ気持ちだったことを願う。
風の音、葉が重なる音、全てが彼女の声のような気がした。
僕は涙で息が続かない。
僕が彼女の代わりになっても良かったんだ。何故彼女なんだ、何故…。
今さら思考したってもう遅い。
拭いても拭いても涙が流れ、息が出来ない。
僕は倒れ、彼女がいた穴の中へ落ちた。
このままここで終わりたい。そう思うほどに彼女を愛していた。
僕は知っていた。どの人間よりも彼女の肌は優しくあたたかいことを。
彼女は愛情で溢れた柔らかい人間だったことを。
僕は知っていた。彼女がいなければ僕は僕じゃないことを。
彼女の温もりを探すかのように顔を土にうずくめた。
ふと、自分の肌に彼女の鼓動を感じた。
僕は鼓動の感じる場所、彼女の腕が埋まっていた場所に腕を突っ込んだ。
僕は鼓動の元を掴んだのだ。
僕の手の中でかすかに動くもの、それは彼女の心臓だった。
もしかしたらまだ彼女はここで生きているかもしれない。
僕は名前も知らない彼女を必死に呼んだ。
もしかしたら、彼女が答えてくれるかもと淡い期待をのせて。
だが返ってくるのは孤独な森の静寂だけだった。
先ほどよりも静かになりつつある心臓を両手に、彼女がいた場所へ。自らに土を被せた。
ここで彼女と共に終わろう。
ほう思ってのことだった。
「最後に、彼女が見ていた景色を見ながら埋まるのも悪くない」
空を仰ぎ走り去る風を感じた。
僕がいつもくる方角、僕が掘った土…。
僕が掘った土を見て、彼女が言っていたこと、彼女の気持ちがわかった。
「無数の三日月…、君はこれが好きだったんだね」
土の中には、僕が掘った時に折れたり欠けたりした僕の爪が無数に落ちていた。
彼女はこんなものを見て微笑んだんだ。
きっと彼女も幸せだったのだろう。
僕はその場に彼女の心臓だけを埋めた。
もしかしたら、また彼女に会えるかもしれない。
そう願い。
何千年と過ぎ、そこから芽が生えてきた。
きっとこの芽は大きくなりこの森は豊かになるでしょう。
その芽はきっと、杉でしょうね。
獣か、魚か、 月寧烝 @Runeshow
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