第7話 サーカス団の内部

 俺がサーカス団に到着すると、まぁ、酷い状態だった。円状のサーカス団内が一面血の海。会場を覆う白い垂れ幕にも大量の血が付着し、地面に向い滴っている。加えて熱せられた弾が垂れ幕を突き抜けたのか、黒い焦げ跡が残っていた。


 穴の数は一つや二つではなく、ハチの巣かと思うほど穴が至る所に開いている。その状態を見るだけで周りに人が倒れていた原因がわかった。


「はは……、笑えねえ……。何だここは……」


 俺の瞳に映ったのは、サーカス団を見ている幸せな笑顔ではなく、瞳から光を失い、地面に力なく倒れ込んでいる下町に住む人々の血まみれの姿だった。


 俺が八年以上かけて助けて来た人数よりも、たった数秒間で奪われた命の方が多いらしい。


 ――笑えない、本当に笑えない。


 敵国六名の兵士が銃火器を持ち、サーカス団の中央舞台に立っていた。その様子から想像するに、きっと物珍しいサーカス団に集まった下町の人間を無差別に撃ちまくったのだろう。


 六名は誰一人、怪我を負っておらず下町の者に反撃する時間すら与えなかったようだ。新年を祝う者はこの場におらず、サーカス団を楽しみにしていた、下町の者はほぼ殺されていた。


 あまりにも無慈悲だ。こんな殺戮をする奴らの気が知れない。


 ――お年寄りや子供など関係なしの発砲。下町のチンピラよりもたちが悪いな。


「誰彼構わず殺せ! 奴らの土台を崩すんだ! 労働力が枯渇すれば我々の勝率は各段に上がる!」


 敵兵の上官らしき人物が五名の人間に指示を出していた。ルークス語が話せているのを考えると、相当賢い奴か、国内の裏切り者かどちらかだ。


 敵兵が手に持っている武器はサブマシンガン。連射が早く、小回りの利きやすい銃。


 いっぽう、俺は丸腰。六対一に加え、敵の武器は六丁のサブマシンガン、俺は素手。誰が見ても勝ち目が無い対面だ。


 ――サブマシンガンの弾の数は約三一発。一秒に出る弾の数は一三発。つまり、三秒間、引き金を引かせれば弾切れになる。だが、六人いるのが厄介だな。


「う、うあぁ……。うあぁ……」


 大量の弾の嵐をあびただろうに、運よく生き残った者がへっぴり腰になりながらサーカス団の天幕から出て行った。中央舞台から距離が離れていたからか、運がいい奴はとことん運がよく、再度撃たれても弾に当たらずに逃げ出せたようだ。


 ただ一人、俺をのぞいて。


「…………はぁ」 


 俺は人生で一番深いため息をついた。怒りを静め、冷静さを取り戻すためだ。


「何だ、あいつ? 一人で立ってるぞ。馬鹿なのか?」


 敵兵の一人が俺に気づいた。ブツブツと何かを言っている。だが何も気にする必要はない。


「なぁ、お前達は俺を殺してくれるのか……?」


 俺は中央舞台に立っている六人の敵兵に聞いた。


「は……? 何を言っているんだ……」


 敵兵の一人が笑いそうに呟く。どうやら、俺を馬鹿にしているらしい。


「おい、何をしている。武器を隠し持っているかもしれない! 早く撃て!」


 敵兵の上官が叫んだ。自分で撃てばいいのに、なぜそうしないのだろうか。


 敵兵は俺に銃口を向けているのにも拘わらず、引き金を引いてこない。今引けば、大量の弾が飛び出し、俺の体がハチの巣になると言うのに、なぜだろうか。


「なぁ、お前達は、病気の代わりに俺を殺してくれるのか……。災害の代わりに俺を殺してくれるのか……。不慮の事故の代わりに俺を殺してくれるのか……」


 俺は赤黒い血がしみこんでふやけ、靴裏の溝にガムかと思うほどネチャネチャとくっ付いてくる地面を力なく踏みしめながら、一歩一歩進む。


 靴裏はゴム、表面は牛革が使われている革靴を履いているため、血はしみ込んでこない。だが少しずつ冷めていく生暖かい温度が地面から伝わってきた。生臭い血のにおいが天幕内にすでに充満している。

 酸化した血がにおいを発生させ続け、風がないため、においが消えず、俺の鼻の奥深くに入り込んでくる。臭くて仕方がない。体を水で何度洗おうが、数日間はにおいが落ちないだろう。


「お、おい! 早く撃て! ガキがどんどん近づいてくるぞ!」


「そ、それが! 体が震えて……、狙いが定まらないんです!」


「くっ! 何が起こってる!」


 上官は俺に銃口を無理やり向け、引き金を力任せに引く。弾が俺の顔の右頬から三○センチメートル横を刹那の速度で通り過ぎていった。


 ――手が震えているとたった五〇メートル先の的も狙えないのか。恐怖心は本当に邪魔だな。奴らは今ここで死ぬ覚悟がないんだろう。そんな覚悟で数百名の人を殺したのか。


「なぁ、ちゃんと狙えよ……。どこに向って撃ってるんだよ。俺はただ歩いているだけだぞ。人が大勢で密集していたら簡単に当たるのに、相手が一人になったとたん、狙いが定まらない下手くそになるのか?」


 俺は一歩一歩ゆっくりと進む。


「く、くっそ! 全員構え! 標的、黒髪短髪の青年。武器は無し。撃て!」


 上官は恐怖からか、六人で一斉射撃を行ってきた。


 ――これで全員が同じ拍子で弾を再装填する。その時が好機だ。問題は三秒間逃げ切れるのかどうか……。逃げる? 何から? 当たらない弾に何を怖がる?


 俺は円状の観覧席に沿うように身を低くしながら思いっきり走る。


 サーカス団の舞台が中央にあり、観覧席が周りにある構造で助かった。


 観覧席に沿うように走っていると、撃つのが下手くそな奴らの弾は俺に当たらない。加えて暇な時の三秒など、あっという間だ。


 俺は力なく倒れている人の隙間に足を入れ込み、足場を確保する。全力で走れているのは俺の体が小さいおかげだと思うと、背が低いのも悪くない。


 二五メートルほど全力で走ると、鼓膜が破れそうになるほどの大量の発砲音が聞こえなくなる。どうやらサブマシンガンの弾倉が弾切れを起こしているようだ。


「ちっ! 弾が切れた。弾倉を再装填する。援護射撃に移れ!」


 上官は弾倉をサブマシンガンの腰回りにぶら下がっている革の入れ物から引き抜き、空弾倉と入れ替えようとしている。だが手が震えており、手こずっていた。


「はいっ!」


 部下は上官の命令に従い、拳銃で俺を撃ってきた。奴らも弾切れのようだ。だが射程距離が一〇〇メートルあるサブマシンガンで当たらないのに、射程距離が五〇メートルしかない拳銃で俺の体に当たるかよ。


 俺は走っている途中に見つけた血塗られたブリキの玩具を手に取り、中央に向って思いっきり投げた。すると綺麗な弧線を描き、中央の舞台に飛んで行く。


「くっ! 生意気な!」


 ブリキの玩具は上官の手に当たり、入れ替えようとしていた弾倉が舞台に落ち、間抜けな金属音が鳴る。再装填の時間をさらに稼げた。


「痛かったか? ブリキの玩具。それじゃあ、何万回も当てられないと死ねないだろ。やっぱり鉛弾じゃないとな……。それか鋭利なナイフの方がいいか? 錆びたナイフの方が好みか?」


 どうやら俺は切れているらしい。視界が赤黒く染まっていくような暗い感情が心の奥底から込み上がってくる。母に覆いかぶさられながら眼を開けたまま死んでいた少年の憎悪が、俺の体に乗り移ったようだ。


「舐めるなよ、クソガキ! 俺達の怒りを知れ!」


 敵兵の一人が腰から手榴弾を手に取り、ピンを抜き、俺に投げ込んできた。加えて逃げ道を塞ぐように隣の二人が拳銃で弾を撃ってくる。


 ――手榴弾の起爆時間は五秒。俺のもとに落ちてくるころには時間切れ。鉄片が火薬の爆破によって広がる距離は一五メートルほど。このままだと俺の体に鉄片が刺さりまくって出血多量で死ぬな。


 俺は考えるよりも先に手榴弾に向って走る。そのまま客席の背もたれを足場に跳躍し、空中で頭を下にする反動を使って足を大きく振りかぶり、地上から三メートル付近を移動している手榴弾を敵に真っ直ぐ蹴り返した。爆破まで残り二秒、敵兵のもとに着くころには爆発する。


「嘘だろっ!」


 手榴弾を投げた男は身を屈め、周りの者も同じように爆発に備える。俺の蹴りによって加速した手榴弾は敵兵にギリギリ当たらない位置で白い光を発し、赤黒い煙を生み出しながら爆発した。


 俺と手榴弾までの位置は二○メートル。敵は五メートルあたり。


 俺の体に力の抜けた鉄片が当たるも外傷を全く負わなかった。逆に至近距離で爆発を食らった敵兵は爆散で吹き飛んだ鉄片が体に確実に食い込んでいるはず……。


 そう思ったのだが、敵兵の周りにガラスのような半円球状の膜が張られており、鉄片が空中で止まっていた。その状況に敵兵は恐怖し、俺は状況が理解できなかった。


「て、撤退! こんな奇術はどう考えても聖騎士だ! 今すぐに人込みの中に向かえ!」


 上官はドームの中で叫ぶ。俺に銃口を向けるのではなく、すぐに撤退を命じた。


 敵兵が半透明な膜に鉛弾を撃ち込みまくると、硝煙が奴らの姿を見えにくくしていく。加えて耳を塞ぎたくなるほどの発砲の不協和音が起こり、ガラスが割れるような破壊音も加わる。ここはサーカス団ではなく、騒音を民衆に聞かせるオペラ座だったらしい。


 ガラスの膜が生まれて一分ほど経過した後、ガラスが完全に破壊されたような音が響き渡るとともに、六名の敵兵は六方位に逃げ出した。


「おい……、どこ行くんだよ。ちょっと待てよ……」


 俺は足下に落ちていた血塗られたリボルバーを手に取る。銃身に血が詰まっていたので、真上に一発打った。銃口から、血液と弾が飛び出し、天幕に穴をあける。威嚇発砲のつもりだったが、六名のうち誰も俺の方を見ようとしなかった。


「おいおい……。これだけ殺しておいて最後は逃げるのかよ……」


 俺が敵兵の一人に銃口を向けると俺の周りに半透明の膜が現れた。


「いったいどこから、こんな奇妙な御業を……」


 俺は膜を触る。材質はガラスに近い。叩くと全体が共鳴し、高い音が鳴る。だが、全て均等な厚さではなく、きっと薄い部分があるから高い音が鳴るのだろう。叩き具合から脆い場所を探す。すると、天井が最も薄く、弾を一発撃ち込めば容易に破壊できた。


「何だ、脆いな」


 敵兵は壁に何発もの弾を撃ち込んでやっと破壊していたが、冷静に対処すれば弾一発で破壊できた。これなら、鉛弾を五発も急所に撃たれ、死ななかった道化師(ナリス)の方がよっぽど魔法だ。


 俺は敵兵を追うために走り出そうとした。だが……。


「た、助けてください!」


「は?」


 天幕が裂け、真っ白に近い金髪の女が降って来た。こんな状況はあり得ない。


 ――女の服装は入院着でサーカス団の天幕から落ちてくるとか、訳がわからない。


 俺の頭の中で現状の整理が追い付かないでいる間に女のデカい尻が顔に直撃する。すると、体が後方に倒れ、血だまりの地面に叩きつけられる。顔面はふわふわな物体が当たり、後頭部には鉄製のハンマーで殴られたかのような衝撃が打ち込まれる。


 俺は産まれて初めてこのまま死ねるかもしれないと感じた……。女のデカいケツに叩き潰されて死ぬなんて情けないと思ったが、人助け紛いなことをして来た俺に神からの手向けか。そんな馬鹿みたいな妄想をしていると脳震盪による意識の喪失が起こり、メイよりも先に父さんと母さんのもとに行けると直感した。だが……。


「はっ! ここは天国か! って、ぷりぷりのデカケツ!」


 俺は眼を覚ました。上半身をすぐさま起こし、周りに死んだ父さんと母さんがいないか探す。すると、ベッドの左隣に天幕から降って来た女が申し訳なさそうにパイプ椅子に座っていた。


 どうやら俺は汚らしい病院のベッドで目を覚ましたらしい。


 また死に損なった。

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