第4話 キスは無料と同じ

 「お、お前……、俺達をどこに運ぶ気だ……」


 男の一人が声を震わせながら聞いてくる。きっと血が減り、凍えているのだろう。


「喋るな。殺しはしねえから安心してろ。喋る気力があるなら、倒れているおっさんの胸の傷を強く押さえてくれ」


「だ、誰がガキの言うことなんか聞くか。銃があれば鉛弾を打ち込んでやれるのに……」


「ガキ扱いするな。俺は一八歳だ。顔が幼く見えるからって子ども扱いは結構傷つく」


「何言ってんだ、こいつ……。気が強いのか弱いのかわからねえ奴だな……」


 男の一人が工場長の胸を押さえた。


「こんな傷で助かるわけねえのによ……」


 もう一人の男も工場長の胸の傷を押さえた。


 俺は腹の虫が何度も鳴く中、三人の男を乗せた荷車をリーズ先生がいる病院に運ぶ。工場長は緊急手術、二人の男は命に別状は無いと言われ、応急処置だけしてもらい、待たされていた。


 俺は手術室前の薄暗い廊下の壁を背にして床に大人しく座っていた。すでに二日間も食事を抜いている。水はいつ飲んだか覚えていない。口が乾燥しきっていて吸う息が埃っぽかった。咳き込んだり無理に嚥下をしたりすると喉が締め付けられるように痛む。俺の体はめっぽう頑丈で風邪を引いた覚えがない。そのため、今回もただの空腹だろう。


 ――何か飲まないとな……。


 工場長が手術され始めてから八時間以上経った後、手術室の扉が開いた。


 手術室からリーズ先生が歩いてくる。そのまま、俺の前に立った。


「リーズ先生、工場長は助かりましたか?」


「ああ、一命はとりとめた。あの傷で生きているのは運がいいとしか言いようがない。血液不足で昏睡状態だが時期に目を覚ますはずだ」


「そうですか……。はぁ、よかった。じゃあ、俺は仕事場に戻ります……。アキレス腱が切れた二人は兵士を呼んで確保してもらってください」


 俺は重たい体に鞭打って立ち上がり、工場に向かおうとする。


「キース君、少しは休みなさい。働きすぎだ。あと危険な行動はしないように言ったつもりだが、どう考えても騒動に首を突っ込んでいるようだね。どうして毎回、怪我人を運んでくるんだ。治療だって無料じゃないんだぞ」


「リーズ先生は下町から中央区の学園に通って来た優秀な人ですよね。だから、中央区からの援助もある。怪我人の一人や二人にお金を使ってもいいじゃないですか」


「怪我人の一人や二人ならいいが、今月でもう、一八人目だ。昔から合わせたら一〇〇○人は軽く越えるぞ。そのたびに私は税金をちょろまかして資金を調節しているんだ……。こっちの身にもなってほしい」


「すみません。俺の周りに死にそうな人があまりにも多いもんですから……」


「それはこの街に住んでいればどこでもそうだろ……。はぁ、とりあえず、私の家に行って水と食料を受け取りなさい。娘に言えばくれるはずだ」


「それこそ、金の無駄遣いだと思いますけどね。俺はあと一日くらい大丈夫ですよ」


「親友の息子に餓死されても困る。パンと水くらいなら分けてあげられるから、早く行きなさい」


 俺はリーズ先生に頭を下げて病院の裏にある先生の家に向った。金属製の扉を三回叩く。加えて自分の名前も呟く。


「はーい」


 扉の奥から、可愛らしい声が聞こえた。


「キースさん。おはようございます。パンと水ですね。ちょっと待っていてください」


 エプロン姿のテリアちゃんが鉄筋コンクリートで出来た家の玄関から顔を出し、俺の姿を見ただけで察してくれた。なんせ今回で何度目かわからないくらい食事を分けてもらっている。何度も食料を貰っていたら、話さなくても伝わってしまうようだ。


 俺が働いて得た金は妹の学費に全て回していた。食事に金をかけている余裕なんて無い。メイは食堂で働いていたため、あまり物を貰って食事していた。


 ――昔からずっと働いてばかりで真面な生活をさせてやれていなかったな。


「お待たせしました、キースさん。卵とハム、野菜のサンドイッチです。新鮮な野菜が取れたので、たくさん挟んでおきました。モリモリ食べて元気になってください。あと、ろ過された綺麗なお水です」


 紙に包まれていたのは焼かれた大きめのコッペパンにハムとスクランブルエッグ、緑色の綺麗なレタスと真っ赤なトマト。売り物と言っても過言じゃない出来栄えで無料で貰っていい品ではない。俺はなけなしの銀貨一枚をテリアちゃんに渡す。


「もう! キースさんからお金はもらえませんよ。私は何度助けられたか、わからないんですから、そのお礼です。遠慮せずに貰ってください」


 テリアちゃんは銀貨を俺に押し返してきて、サンドイッチと水の入った木製の水筒を押し付けてきた。


「ありがとう、テリアちゃん。すごく助かるよ……」


 僕はテリアちゃんの頭を撫でる。彼女を撫でていると妹と同じくらい癒される。


「えへへ~、キス一回で構いませんよ~」


「そ、それが目的かい……?」


「さぁ~。でもでも、キスなんて無料とほぼ変わらないじゃないですか~」


「はぁ、計算高い子だな……」


 俺はテリアちゃんの額にキスをする。こんなんで喜ぶのだから、ませた子だ。


「もぅ、唇がいいのに……」


「リーズ先生が知ったら何されるか、わかったもんじゃない。あと、売春なんてしたら絶対に駄目だからな。わかったかい?」


「もう、私はそこまでしませんよ。お金に困っている訳じゃありませんからね。ま、キースさんが買ってくれると言うなら、私は一向に構いませんよ……」


 テリアちゃんはスカートまくって後ろを向く。スカートの下には何も履いておらず、ツルツルのおしりが見えた。


「はぁ……。俺にガキンチョの趣味はない」


「むぅ~。結構恥ずかしいんですからね。褒めてくれないとサンドイッチを返してもらいますよ」


「天使、超美人、可愛すぎる、綺麗だ……」


「も、もういいです~。そんなに言われたら恥ずかしいです~」


 テリアちゃんは両手をブンブン振り、顔を赤面させていた。初心なのか、ませているのかわからない……。だが、可愛いのは確かだ。


「じゃあ、俺は仕事に行ってくる。変な人が来ても、絶対について行ったら駄目だからな」


 俺はテリアちゃんと同じ視線になるように腰を落とし、言い聞かせる。


「はい! 逆に撃退してやります! 細腕の拳で一撃ですよ!」


 テリアちゃんは握り拳を作り、笑った。


「はは……。力強い子だ」


 俺は彼女の頭を撫でて体をギュッと抱きしめる。体温が高いのかとても暖かい。


「ちょ、いきなりどうしたんですか。私、お風呂にまだ入ってませんよ……」


「ごめん、いつもはメイが行ってらっしゃいって言ってくれるから……、頑張れているんだ。今日はテリアちゃんで活力を補給させてほしい」


「もう。私はメイちゃんの代わりじゃないんですよ。んんっ……。キースさん、行ってらっしゃい!」


 テリアちゃんは俺に抱き着き、元気よく言葉をかけてくれた。


「ありがとう。じゃあ、行ってくる。リーズ先生によろしく言っておいて」


「はい。今度、キースさんが来る時はメイちゃんも一緒に来てくださいね~」


「あ、ああ……。そうするよ」


 テリアちゃんはメイがもう眼を覚まさないかもしれないと知らない。言ったほうが楽になれるんだろうが、俺は言えなかった。


 工場に向かう間、俺はサンドイッチを半分ほど食べた。残りは昼食にしようと思たのだ。紙袋に包み、胸元に入れておく。


 工場に着くまでの間にある路地でフードを被った子供が壁に背を付けながら蹲っていた。よく見たら、昨日の夜、鉄筋から助けた子共と同じ服装だった。


 俺はほんとうについていない。


「君、お腹が空いてるのか?」


「…………」


 子供は頭を縦にコクリと振る。いたるところに血痕が付いており、やばい子共だと思ったが「ま、鼻血でも拭いたんだろう」と考え、特に気にしない。


「はぁ、食べかけだけどやる。毒が入っているかどうかは鼠にでも食わせて確かめろ。いらなかったら捨てておけ」


 俺は食べかけのサンドイッチを紙ごと地面に置いて離れた。


 工場に到着し、爺さんが工場長の代わりに場を仕切り、従業員を働かせていた。


「キース。戻ったのか」


「はい。工場長は無事でした。給料の方は何とかなりそうですね」


「そうか……。死に損なったか。可愛そうなやつだ。死んだほうが楽だったのによ」


「はは……。年寄りの冗談は笑えませんね……」


 俺は持ち場に戻り、仕事を再開する。


 爺さん曰く、見回りを強化してチンピラの襲撃に備えるそうだ。この工場に騎士や兵士を雇う金なんてあるわけないから、俺も参加する羽目になった。


 昼間は人通りが多いため、襲われにくい。敵が押収に来るなら夜だ。昨晩のように、数名なら、どうとでもなる。大人数で来られると大変な祭り騒ぎだ。


 だが、チンピラが再度押収にくることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る