40 誘う男

 ……タカはふと、足を止めた。

 広田ひろたから奪って、堂々と路上駐車しておいた車に、大胆にも寄りかかって、こちらを見ている男がいる。


 タカたちは今、今夜3人目の犠牲者を作り出したところだった。そいつを路地裏で痛い目に遭わせて、放り棄ててきたのだ。ターゲットはサラリーマン風の男性だった。口々に「天誅てんちゅうだ」との言葉を浴びせてはいたものの、顔は結局マスクでごまかすことになり、大の男とはいえひとりを大勢で取り囲んでパイプで殴りつけるという、幣原しではらルイの手口とは完全に別物になってしまっていたが、半グレの男たちは自らの暴力行為を楽しんでいた。

 タカはたいして危ぶんでいなかった。いつも綿密に考えて暴れているわけではない。なにより、自分たちの罪を他人になすりつけられるという歪んだ安心感が、男たちの気分を粗雑な方向に大きくしていたのだ。広田の車をわざと目立つように路上駐車しているのもそのためだ。もう1台の、もともと自分たちの所有である車は、少し離れたところにやはり路上駐車している。なに、いざとなれば、広田が実行犯として操っていたのは幣原ルイひとりではなかったという筋書きにさせればいいさ。


 だが、こうして奪った車に戻ろうとしたら、その車体にもたれて、意味ありげにこちらを見ている若い男。……なんだろう? タカの気を引いたのは存在そのものもだが、気障キザったらしく黒いタキシードをまとっていたことか、それとも浮かべた微笑が挑戦的に神経を逆なでしてきたことか。


 ――気に入らねえ男だ――。


 まさか……おれたちを待っていた?


「おい」

 タカは手下たちを振り向いた。

「あの男が次のターゲットだ。捕まえて……」

「――どの男ッスか?」


 はっとタカは車に向き直った。

 いない。タキシードの男が消えている。

 手下たちはきょろきょろと見回していた。


 タカの胸中を、得体のしれないものが転がって消えた。

 そんな馬鹿な。おれたちは横に並ぶようにしてこっちへ歩いて来た。あの男を目にしたのがおれひとりしかいないなんて。


 あ、とタカは声を上げた。あいつだ。あのタキシード男が、向こうの電柱の陰にたたずんでいる。まるでこちらを挑発するように、にやりと笑って細身をひるがえし――。


「あいつだ!」

「いいんスかあ、サラリーマンに見えませんけど」

「かまわん」


 若い男は裏通りへと姿を消す。タカは指示を出し、ふたりの手下に徒歩でそいつを追わせ、残りは2台の車に分乗して追跡した。タカ自身も広田の車に乗る。安全運転とはほど遠い急発進で、2台は歩行者を跳ね飛ばしそうになりながら、裏通りへ飛びかかった。タカは、運転する手下にブレーキを踏ませて、道路を2本の脚で駆ける手下に呼びかけた。


「どこ行った」

「変ですよ、アイツ」


 例のタキシードは、直線的に道を進んでいくのではなく、現れては消えるという現象を繰り返すようにして遠ざかって行くという。馬鹿言ってんじゃねえ、とタカには切り捨てることができなかった。先ほど車のそばで、あの男の奇妙な動きを見てしまったせいだろう。


 何度も曲がった末に、細い道を抜ける。急発進と急ブレーキとノロノロ運転が無秩序に繰り返され、幾本かのクラクションが怒りといらだちとともに叩きつけられてきたが、タカたちには蚊の羽音ほどにも響かない。さっきの男が、ゆら、と揺れるような動きで、左へと消えていく。手下は車を左折させ、ブレーキをかけた。


「どこだ?」

「あっちです」

 開けた窓から徒歩の手下が示したのは、反対の方角だった。左に曲がったように見えたのに、右に曲がったらしい。


「ラチあかねえ、おい降りるぞ!」

 タカは、信号機の近くだというのに頓着せず、車を乗り捨てさせた。どうせ盗んだ車は惜しくない。帰りは、やや不便だが電車という手もあるし、別の車で手下に送迎に来させることもできる。男たちはパイプをそれぞれの手に、降り立った。


「……どこ行きやがった?」

 メインからかけ離れた大通りだが、そこそこに交通量はあるようだった。ただし建造物はまばらで、にぎやかなパチンコ店があるかと思えば、反対側は暗い空間が広がっていたりする。車は通るが歩行者はほとんど見られない。通りからかなり引いたところに、中型の店舗があった。郊外の店舗らしく、今日はもう店じまいしてしまったようだ。建物は暗く、周囲の駐車場はがらんとしている。片隅に外灯が設けられていて……そこから投げ出される光の中に、タキシードの男が踊るような足どりで歩いていた。その男が顔を上げ……こちらを見ている。

 タカの頭に血が上った。どうでも、あいつを制裁してやらないと気が済まなかった。おれたちを小ばかにしやがって。


「あそこだ、行くぞ」


 タカは先頭をきって、急ぎ足で向かった。この通りから直接踏み込むことはできず、細い脇道に入らなくてはならない。といっても遮蔽物しゃへいぶつがほとんどないので、通りからほぼ丸見えの状態だ。それでも全体的に暗く、通りから距離があるので、あそこで多少暴れたくらいでは人の注意をひくことはないだろう。ここをあいつの墓場にしてやる。


 今までひらひらと逃げ回っていたタキシードの男は、今度は動かなかった。タカたちがやって来るのを眺めているようだ。心なしか、その顔には薄笑いが浮かんでいるような気が、タカにはしていた。

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