28 歪んだ喜悦の末路

「やっぱりそうか」

 一馬かずまは重くなった息を吐きだし、江平えびらはふんと鼻を鳴らして、椅子に座り直した。……居心地が悪くなるような息苦しさを、3人ともが感じていた。


 なんとなく、無言がテーブル上空をたゆたった。麗人れいとは急いでサンドイッチにとりかかった。一馬はタブレットをタップしながら、口を開きたいような開きたくないような気分にかられていた。迂闊に語を発すれば、黒川くろかわのきわめて私的すぎる事情に触れてしまう気がして。


「主犯格は広田で、幣原しではらルイは脅されて実行役をつとめている」というのは、仮説というより、せめてもの願望だったかもしれない。幣原ルイの凶行を、彼らは目の当たりにしてしまった。しかも彼女は黒川の幼馴染だという。いくら黒川が乱暴な男であったとしても、あの女性まで狂暴な人物であってほしくないと思ってしまうのは、なぜだろうか。黒川が苦悩する顔を見てしまったからか。それとも、ただの偏見だろうか。


「……したが、なぜその広田ひろたなる男、わざわざその……黒川の知人に、手を下させて……」

 これもまた言いにくそうに、江平がこぼした。その場合、広田が幣原ルイに言うことをきかせる手段は――幣原ルイが施設育ちで広田が児童相談所の職員、とくれば、詳細に聞く意欲はわいてこない。


「卑怯者なんだろうよ」

 一馬は、タブレットから顔も上げず陰鬱に指摘した。一応、「タカ」の名前と町名で検索をかけてみたが、さすがにデータ不足らしく、目ぼしい情報は出て来ない。


「あるいは、ご趣味が歪んでいらっしゃるか、かな」

 食べ終わり、紙ナプキンをくしゃくしゃに丸めながら、麗人が補足する。

「趣味?」

「ゆうべ、あのオッサンはなんで、現場をああしてのぞいていたんだろうって、考えてみたのよ」

「幣原ルイが……ちゃんと、やるかどうかを見張っていたんじゃ?」

「それもあるでしょーね。でも、あんなに近くにいなくてもいいと思うのよ。撮影していたと考える方が自然かな。距離よりもアングルに気を遣っていたような気がする。確証はないけど」


「それをまた脅迫のネタにしていた?」

「かもしれない。けど、広田のオッサンからすると、ルイちゃんを脅迫するネタはすでに持っているわけだから――個人の趣味だった可能性もあるんじゃない?」

「趣味……」

「他人がぶん殴られているところ。それを撮影して、ときどき見返してみたりして、自分のストレス発散に利用していた。あのSNSの書き込みの雰囲気からするに……っと、広田のオッサンのものと断定できたわけじゃなかったね」

 麗人はアイスレモンティーで喉をうるおした。


「けど、広田のオッサンの勤務態度、例のSNSのノリに近いみたいよ」

「ええ?」

「ぬ?」

「ぬ」という発声は江平のものである。どうも現代の高校生ばなれした感性の男だ。


「カズちゃんの言った通り、あんまり仕事熱心とは言えなさそーよ。少なくとも、燃え盛る正義感から事件を起こしたわけじゃないのは、ほぼ確実だね。となると、広田のオッサンの所業には、何らかの歪んだ意図があるわけだ。ルイちゃんを脅迫で従わせることにためらいがあるとは思えないなぁ」

「なんと……」

 江平が語を失う。


 一馬は、タブレットに触れるのを休めていた手で、前髪をぐしゃっとさせた。

「……こんな言い方が適切かどうかわからんけど、あるいはその方が……まだ黒川は救われるんじゃないか。その……幣原ルイさんが、自分からすすんで、その……自由意思で、そういうことをした、というよりも……」


 黒川にすれば、せめて、ルイにとって不本意な行動であったと思いたいところだろう。ただ、あくまでも願望だ。もっと複雑な話がまだ介在している可能性もある。もしかすると黒川は、見たくなかったものを直視する結果になるのかもしれない。


 不謹慎だよな、ごめん、と一馬はもごもごと付け加えた。麗人は答えられなかった。自分は黒川ではなく、彼の気持ちが代弁できるとは思えなかった。一馬の考えに内心で同意している自分もいた。彼にできたのは、アイスレモンティーをもう一口飲むことだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る