20 男心は複雑でして

「それなら――」

 一馬かずまは軽く片手を上げた。


「――俺と江平えびらは、7時半までここで待機する。何かあったら連絡くれ。なかったら勝手に帰る」

 もしかすると、ふたりとも黒川くろかわの後を追って隣町に移動する必要があるかもしれない。駅にいた方がいいだろう。


「おう、悪いな。今度なんか奢る」

「本当か」

 双眸を鋭く輝かせた江平を、どうどう、と一馬は肩をたたいてなだめた。

「具体的な話は、この件が片付いてからにしとけ」


「しかし、我ながら、ここまでお節介だとは知らなかったぜ」

 おどけたように苦笑してこぼす黒川を、一馬と江平とは、松葉杖をつきながら歩く入院患者を見るような目で見送った。黒川と並んで「じゃあ後でね」と、去り際に意味不明の投げキスをしてきた麗人れいとには、「やめろ!」と怒鳴りつけた一馬である。


此度こたびはえらく協力的だな」

 麗人と黒川の姿が見えなくなると江平は、ノートパソコンを片付け始めた一馬に声をかけた。

「まあな。黒川のあんな様子見たら、突き放せねえだろう」

 一馬の正直な心境だった。いつもふてぶてしいくせに、ああいう一面もあるんだなと思うと、黒川もそう悪い奴ではないように思える。それにしても、黒川から女の子(女性というべきか?)の話を聞くことになるとは。


「……あれが木坂きさか麗人なら、ゼッタイに手ェ貸さないけどな。ああ、たとえ土下座してきたって協力なんかするもんか」

 麗人への毒舌を、どうしても挟んでしまう一馬であった。

「そこまでたずねておらぬ……お前、心底木坂が嫌いなのか」

「嫌いじゃない、大嫌いだ。あんな、女はナンパの対象、男はおちょくり相手、としか思ってない、あんなろくでもない男、俺はゼッタイに生存を認めない!」

「落ち着け」

 少々興奮してしまったらしい一馬は、しばらくぜーはーと呼吸を繰り返して、精神の再建につとめた。


「……しかし、木坂と黒川と、どちらも人としてああはなりたくないと思うのだが、あのふたりがそろった状態に、時折、憧れというのか、……うらやましく思ってしまうのは、なぜであろうな」


 ふと、江平が独り言のようにこぼした。苦笑いしながら。

 とっさに一馬は返事ができなかった。江平に、上手に言い当てられた気がして。ああ、こいつもそう思っていたのかと、少しほっとして。


 確かに、人としてああはなりたくない。良識派を自認し、いつもあのふたりに振り回されて気苦労が絶えない身として、心底そう思う。けれども……なぜ時折、強烈に心ひかれるのか。それは羨望というよりも、一馬の場合、焦りに近いもののようにも思える。


 人としてはあんなに無茶苦茶なのに、自分が絶対にかなわない高さのステージにいるように思えるふたり。

 いつか自分も出会えるだろうか。あんな風に――わかり合えて、信じ合えて、すべてを話さなくても反応し合えて、でも容赦のないことも言い合えて、それを真っ向から受け止め合えて、何かあれば当たり前のように背中を預け合えて……。

 そんな相手に出会えたら、俺もあいつらと、同じステージに立てるんだろうか。そのときには、あいつらはもう、もっと高いステージに上がっていやしないだろうか。


 なんで俺は……嫌いな奴らのことを、こんなに気にしているんだろう。


 振り切った。今日はまだ、することがある。あいつらのことを分析するのは、この件が片付いてからでいい……いや待て。なんで俺が、あんな奴らのことをわざわざ分析なんてしなくちゃならんのだ!


「――江平。外の座席に移動しよう。席、確保しといてくれ。俺は自転車、すぐ近くの駐輪場に移動させて来る。で、今のうちに何か腹に入れておこう」

「うむ、わかった。――降ってはおらぬな」

「夜中まで大丈夫らしいぞ」

 一馬と江平もまた、立ち上がった。

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