18 少しばかり艶やかな話

 黒川くろかわの話は続いていた。


「お前らが信じるかどうか知らんが、当時のおれは気弱でおとなしい純真なお子さまでな。慣れない施設に押し込められて、ビクついてたもんだ。施設にいた上級生に洗礼浴びせられそうになっていたところを、びしっと叱りつけて撃退してくれたのがルイだった。気の強い割に面倒見がよくてな。いろいろ世話になった」

 いささか自嘲気味の気分になっていた。一馬かずま江平えびらが反応に困っているのが目の端に映る。


「で、ようやくおれの引き取り先が決まって、施設から連れ出されて、ルイとはそれっきりだ。お互い連絡先も知らんかったしな。はからずも昨夜、ああいう形で劇的感動的な再会を果たしたというワケだ」


 ……劇的というより悲劇的と言うべきじゃないんだろうか。一馬も江平も、どんな声を上げればいいのか見当もつかず、口ごもってしまう。重い沈黙が降りかけたとき、麗人れいとが弦楽器のようなつややかで流麗な言葉をあげた――内容は俗っぽいことこの上なかったけれども。


「そうはいってもさぁ、男女なんだから、なんかトクベツな思い出とか、なかったの?」

 その手の話が大好きな男は、ちょっと興味ありげに黒川をながめている。この前も似たようなこと聞いてきやがったなと思い出しながら、黒川はふんと鼻を鳴らした。

「残念だったな。なんもねえよ」

「ええ~、なんかあるでしょ」

 ややオーバーに、麗人はのけぞった後、がばっと上体を乗り出してきた。

「木陰でキスしたとか、物置で押し倒したとか」

「小学2年生だっつったろうが」

「今になって思い返して『おれがかつて愛した女だ……』とか」

「……んな表現使う高校生はお前くらいだ」

木坂きさか麗人、オノレを基準にするな」

 一馬も頭痛を感じながら制止に回り、麗人は少々不満げに引き下がった。黒川は内心で、麗人が「換気」してくれたのだということに、気づいていたが。


「じゃーさ、そーゆーカズちゃんは、どーなワケ?」

「………………はっ?」

 矛先の変わり方がいきなりすぎて、一馬は硬直した。


「カズちゃんはさあ、アヤちゃんとどこまでいってるの」

「なん、……なんで、そんな話に」

 一馬は、自分の顔色がすーっと変わっていくのを自覚した。熱くなっている気もするし、突然方向転換した激流に血の気が引いているような、両方の感覚がある。今、自分の顔は何色をしているんだろうと、どうでもいい疑問が頭を駆け抜ける。


 アヤちゃんと呼ばれたのは、一馬の交際相手である根岸ねぎし綾子あやこのことだ。つき合い始めたのは冬からで、麗人たちも紹介されていて、面識はある。のんびりとした雰囲気のかわいらしい女の子だが、意外と気が強く、一馬とケンカしたことが何回かあり、同じ回数だけ仲直りしている。胸のサイズはあまりなさそうだ。最初に綾子を紹介したとき、巨乳好きの江平がついつい綾子をしげしげとチェックしていたのに気づいて、その場で一馬は力の限り江平をぶん殴ったことがある。


 この4人の中で一馬だけが、特定の彼女がいる男なのだった。麗人は不特定多数だし、黒川は色恋に興味なさそうだし、江平に女子のことを聞いたらマンガチックな反応でうろたえるのが目に見えている。一馬としては、自分に特定の彼女がいるという理由でこいつらを馬鹿にしたりはしていないつもりだが、まあこいつらに特定の彼女がいないのも当然だろうなという気もしてしまう。なんで俺は、こんな奴らとつき合っているんだろう、とも。


「どーなワケ? キスはしてるでしょ? その先は?」

「なん……そん…………なんで」

 麗人は憎ったらしい笑顔で、何か期待している。黒川はどうでもいいという顔だし、江平は真っ赤になった顔を一生懸命そむけているが、どちらも助けてはくれないことは確かだった。この裏切り者どもめ、と一馬は内心で毒づいた。


「そういうことは……せめて、進路が決まるまでは、ダメだろ」


 一馬はわかりやすく赤面し、もごもごと――本人としては反論したつもりである。

 ……進路が決まる。意味を理解して、麗人と黒川は顔を見合わせた。

「今、はからずも下心が露呈したね」

「はっきり聞こえた」

「……エビらん、大丈夫? ティッシュ持ってる?」

「足りる」

 江平はこれまたわかりやすく、鼻血をティッシュで拭き取っていた。


「あーあ、なんでこう、オレのまわりって極端な奴ばっかりなんだろう」

 厚顔にも麗人はそう言い切って、あきれたように息をついた。思わず黒川はかぱっと口を開けて、まじまじと麗人を見つめてしまった。極端の極北にいる奴が何を言っているんだという顔で。

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