10 眠れぬ夜は疑念を抱いて
「ちょーっとお待ちよ、そこのキレイなお姉さん」
呼びかけとは裏腹に、
「大丈夫ですか!」
「失礼、レディ」
麗人は手首をひるがえした。指先から1枚のカードが
「……っ!」
突然、黒川が足をゆるめた――というより、透明な壁にぶつかりでもしたような動きだった。
麗人はちらりと目線を動かすと、右手でスマホを取り出し、軽く振った。振ったとしか見えない動かし方だった。それから、黒川に駆け寄った。もはや加害者は大きく距離を引き離しており、落としそうになったストールをどうにか握りしめて、向こうの角を曲がってしまった。追いつくのは困難に見えたし、追跡する意思を無くしてしまっている黒川の方が気がかりだった。
ある可能性を、麗人は小声でそっとたずねた。
「
「ルイ…………」
女性が消えた方角を呆然とした様子で見つめたまま、黒川が口にしたのはそれだけだった。
麗人は無言のまま振り返った。江平が男性に「ほかはどこが痛みますか」とたずねながら、持ち合わせた手ぬぐいを傷口に巻いている。一馬がスマホを耳に当てて、救急車を要請している。麗人が見やったのは、さらにその先だったが、彼が捜したものはすでに消えていた。まあそうだろうね、と麗人は小さく肩をすくめると、道路に落ちたカードを拾い上げた。
ハートの6だった。
〇
当然ながら4人は、警察の事情聴取を受けることになった。さすがにこれは協力せざるを得ない。4人ともありのままを話した。クロッシィで遊んだ帰り道であったこと。たまたま現場に来合わせたこと。男性の様子、加害者と思しき女性の様子。武器。逃げられてしまったこと。
「ほかに何か、気づいたことはないかね」
「……今、思い当たるものはないです」
黒川が断言した。それを聞いてから麗人も「オレもないですねぇ」と答えた。一馬と江平はそもそも男性の介抱にかかりきりになっていて、女性の方には注意を向ける余裕はまるでなかったので、首を横に振るしかなかった。
被害に遭った男性の情報は伏せられていた。が、警察官と男性のやりとりや、警察官同士のささやきで「ご家族……」「元妻……」などの単語が漏れ聞こえてきた。子どもがいるであろうことも想像できた。
「遥ちゃん」
警察から解放され、重そうな雲に8割方覆われた夜空の下、一馬や江平と別れた後、寮に近づいたあたりで麗人はようやく、本題に触れようとした。
「……確信がねえんだ」
具体的な質問をするまでもなかった。彼らしくない、今夜の空以上に煮え切らない表情で、黒川は半ばひとりごとのように答えた。
「10年くらい会ってねえ。全然接触してねえし。今顔見たのも一瞬だったし。けど……あの目元……」
揺れていることが、麗人には容易に見てとれた。今の年齢で10年前というなら、ガキの頃だ。顔つきがかなり変わっていてもおかしくない。それでも……あの一瞬で、思い出したのだ。
事件に関わっている――それも犯人として――とは、信じたくないのが、当然の思いだろう。
黒川は合理的な考えの持ち主だが、感情がないという意味ではない。麗人はそのことを、他の人よりも少しは理解しているつもりだった。
寮には電話をして、事件に遭遇したこと、警察の捜査に協力したことを説明しておいた。さらに警察からも直接連絡が入っていたので、門限破りについては罰則はなく、形式的な小言をくらうだけですんだ。それだけが、せめてもの救いだった――きちんと時系列を整理して考えれば、彼らが事件に遭遇したのは門限を過ぎてからだということが、はっきりわかるはずだったが、もちろんそんな説明をする気は、麗人にも黒川にもなかった。
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