05 1文字違いの悲劇

 明洋めいよう高校は、割と自由な校風だ。成績のいい生徒もけっこういる半面、落ちこぼれる生徒もいる。平均すれば普通という、数字のマジックの中であっぷあっぷしながら世間をどうにか泳いでいる経営状況である。真面目に授業に取り組む生徒がいる一方、そうでない生徒もいるのだ。


 その証拠に――3時間目だというのに、自己判断と自己責任で授業を休んだ生徒が、食堂にはちらほら見受けられた。そのうちの大半が、空腹に耐えかねたいつものメンバーであり、残りは睡魔に勝てなかったいつもの顔ぶれである。新顔はほとんどいない。「自由な校風」を拡大解釈している生徒もいるようだ。


 木坂きさか麗人れいと黒川くろかわはるかは、「あらあら、皆さん授業さぼっちゃって」などと自分たちの状況を置き去りにした寝言をほざきながら、トレーを手に周囲を見回した。角に突っ伏して寝てしまっている男子生徒のいるテーブルを選び、彼とは遠く離れた角に向き合って座る。麗人が冷やしうどん、黒川がかつ丼だ。もちろん昼食は別なので「おやつは軽めにしておこーね」な程度である。


 かつて寮に大勢の生徒がいた頃は、寮内の食堂もにぎわっていたが、寮生が激減した現在、寮で出される食事はフードロスを抑える意味もあって、学生食堂のメニューを流用したものか、あるいは多少の手を加えたものがほとんどだ。もとは学食で出されるものだから栄養バランス等に難があるわけではないが、飽きるのは致し方ない。

 ちなみに寮生にはそれぞれ専用のカードが配布されており、寮の出入りのためのキーとなっているだけでなく、寮内の食堂、自動販売機、洗濯機、すべてこのカードを使えば無料で利用できる。学校の校舎内でも、学生食堂の食券、購買での買い物、自動販売機が、リーダーを通せば無料なのだ。つまり寮生にとっては、食べ飽きたメニューであろうとも、学食や寮の食堂でならタダでありつくことができるわけで、たいへん魅力的な特典なのである。もちろんカードリーダーを通して情報は管理されているわけで、度を越した利用をすれば呼び出しをくらうことになるわけだが。まだ寮生が多かった頃に導入されたシステムで、導入して数年後から寮生が減り始めたらしい。「皮肉なモンよねえ」――かつて麗人は黒川の前でそう、誰かを嘲笑するようにこぼしていた。彼にしては珍しい態度で。


 そんな状況の彼らの会話のきっかけは、ヨーロッパ北東部で起こり、世界中の耳目を集めている戦争のことだった。先ほど、スマホのニュース画面をちらっと見たためである。どこそこの国の軍隊はいまだに旧式でどうのこうの、という話だったはずなのだが、このふたりの会話がどこまでも真面目に続くわけがない。


「――いまだに大鑑巨砲主義で押し通そうってんだからな……どうした」

「んー、……体感巨砲主義だったら、なんかヘンな響きだなと思って」

「なんだその誤変換は」

「あ、カイカン巨砲主義だったりして……冗談! ほんの冗談だから、殺さないで! あーれー!」

 殺されそうになりながらなおもふざける麗人と、容赦なく殺そうとする黒川とを引き離すため、食堂に居合わせた生徒7、8人ばかりの力が必要だった。


 周囲に多大な迷惑をかけて、ようやく「おやつ」を終えた麗人と黒川が教室棟に戻って来たのは、休み時間になるよりも少し早い時刻だった。異様な光景が、ふたりの脚にブレーキをかけた。

 ひとりの中年男性がよろよろと、廊下をゆっくり歩いているところだった。かろうじてシャツとスラックスを着用してはいるものの、ギプスで右脚を固め、両手の松葉杖でバランスをとり、右腕も痛むのかジャケットは肩に引っかけた状態で、頭部にも治療の跡が見て取れる。顔に大きなガーゼが貼り付けられてはいても、誰であるかは容易に判別できた。


「あらっ、宮町みやまちセンセじゃないの」

 思わず麗人は、高めの声を上げていた。

「自習になるわけだ」

 冷静に黒川が付け加える。


「……なんだお前ら、またサボリか」

 知らんぞ、という顔で宮町先生は、ため息まじりに慨嘆した。

「どうしちゃったのぉ、そのカッコ」

「ガッコ来ていいのかよ」

 二種類の個性それぞれが心配をコーティングしている。宮町は顔をしかめつつ、おうすまんな、とつぶやいた。授業時間の終了を告げるチャイムがかぶさった。

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