06 自習の真実
……数分後、
「襲われた……あらま、穏やかじゃないねぇ」
声のボリュームを落としながらも、麗人は口に出さずにいられなかった。並んで座った黒川は、そっぽを向いた角度で頬杖をついているが、口の端と眉が反応を示している。
宮町が襲われたのは、おとといの帰り道のことだった。学校を出て、店で夕食をとった後、コンビニに寄って、9時前頃の帰路だっただろうか。背後から走って来る物音を聞いたように思い、何気なく振り返ろうとして、……頭を殴られた。パイプのようなものだったらしい。振り返ろうとした動作で運よく狙いが外れたのか、一撃で昏倒したとかいうことはなかったのだが、さすがに激痛でうずくまったところを、さらに何度も殴打されたというのだ。
「顔は見なかったの?」
「隠していたからな。大判の……なんていうんだ? ストール? それがこう、動きと風でなびいて、うまく顔の全体がわからなかったというか、な。あっと思ったときにはもう殴られていたし」
「こっわ~」
「……単独犯ってことか。なんか特徴覚えてねえんすか。体格とか」
「うん、若い女性だったな」
宮町はわりとはっきり、断言した。
「え~、なんでわかったんですか? まさか体型のはっきり出る水着姿で襲ってきたとか?」
「そんなわけないだろう」
教師がばっさり否定し、黒川が「あほか」とつぶやいて視線を天井に放り投げる。
「声を聞いたんだよ。おれを殴っている途中で、
「天誅ときたね」
黒川は天井を見上げたまま顔をしかめた。高校の教師が言うなら年齢の見立てはまず間違いないだろう。この頃そんな事件が続いている。同じ犯人かな、などと考える横で、空気を読まない誰かさんが能天気な感想をもらした。
「オレは天誅よりチューの方がいいけどな」
……低温の沈黙に、寒風が吹き過ぎる。こいつらしろうとお笑い芸人としてはまあまあなんだがな、と内心で宮町は思っていた。問題は、宮町自身がこのふたりと無関係で無責任な観客ではいられないということである。
「……そいで、天誅とまで言われるって、身に覚えあるんすか」
ややぎこちない口調で、黒川が話題を元に戻そうとする。
「ない。まあ、恨みなんてものは、本人の自覚がないところで買っているもんだがな」
いっそ潔いくらいの語調で、宮町は答えた。
「あっ、もしかしてセンセ、アレじゃない? 元奥さんのところにいる子どもさんに恨まれてる、とか?」
「ウチのは息子だ、それにまだ小学生だぞ」
「あら失言、ゴメンなさい」
茶化しかけた麗人は素直に軽口を認めた。
「……アイツに、天誅だと言われたら、返す言葉もないけどな」
宮町が肩をすくめて自嘲気味につぶやいた。麗人と黒川はなんとなく無言のまま、視線を合わせた。
――宮町先生に離婚歴があることは、およそ半分くらいの生徒が知っている。だがさすがに、理由まで知っている生徒はまずいないだろう。麗人も黒川も知らなかったし、詮索する気もなかった。ただ、……家族や肉親がそろっていることが幸せ、そろっていないことイコール不幸、とは限らないのだと、ふたりの生徒は身をもって知っているけれども。
「ところで先生、その、おとといの夜って、雨降ってましたっけ?」
突然麗人がそんな質問を発したので、宮町は軽く眉をしかめた。
「いいや。おとといは、ほれ、曇ってはいたけど、1日降らずにもってくれたじゃないか。降り出したのは夜中になってからじゃなかったか? おれはそれどころじゃなかったから、はっきりはわからんけどな」
「おととい、おとといは……ああ、ユウリちゃんとカリマンタン・カフェに行った日だったっけ。そうそう。あの日は確かに降らなかったねえ」
「…………お前の記憶は、女がタブになってんのか」
苦々しそうに、黒川が顔をそむけてつっこんだ。木坂麗人の頭脳は、学業にかけて全体としての成績はいいとはいえないのだが、女子に関しては、スーパーコンピュータを上回るのではないかと思われるような性能を発揮するのだ。デートの日時、会話内容、ちょっとしたおしゃべりから垣間見える情報、連絡先、交友関係、その他いろいろが、データベース化されており、関連事項を瞬時に引っ張り出すことができる。相手の女子は麗人とのそうしたやりとりを楽しんでいるようだが、そうでない相手からすれば薄気味悪い男だろう。だが麗人のすごいところは、「あ、この子嫌がってるな」という気配をちゃんと察して、自分を苦手とする女の子からはさっと撤収するところだ。……別に黒川は、特段麗人の行動を観察しているわけではないのだが、ああまで派手に行動されれば嫌でも目に入る。
「わかってるとは思うが、お前ら、おれのことはほかの生徒に吹聴しないでくれよ。新聞やらニュースやらで知られるだろうが、それ以上微に入り細に入りつつかれたくないからな。まあ、その点ならお前らは信用できるだろうが」
――必要以上に騒がれることは、元妻と子どもにも迷惑をかけることになる。指摘されなくとも、そのくらいは想像がつく麗人と黒川だった。
ただ、コイツらはな――。宮町は、心の中でそっと付け加える。
「もちろんよォ。そんな大事なコト、美女に迫られるまでは絶対に言わないわァ」
「アテにならねえ」
体をくねらせてふざける麗人。相棒にあきれて脱力する黒川。本質はともかく表面がばかばかしすぎるんだよな、コイツらは……宮町が頭をおさえたのは、傷の痛みのせいか、それとも別の原因なのかは、本人でさえ定かでなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます