02 男子寮にて

 わずかに開いた窓ガラスの内も外も、夜の女王の支配下にある。日本列島の住民たちにすげなくされても、なおすがりつく梅雨前線の影響で、じっとりと湿気を含んだ空気が、肌にまとわりつく。


 車が走り抜けるエンジンと、ばちゃばちゃと巻き上げられる水の音が、かすかに聴覚を横切った。

 日中降り続いた雨は、やんだのだろうか。


 黒川くろかわはるかが、すっ、と吸い込むと、唇の数センチ先で、小さな火が赤く存在を主張する。黒川は横を向き、格子の入った窓の隙間から、渦巻く線状の煙をふうっと吐いて、追い出した。行儀悪くも、机の天板に腰かけるという姿勢で。仕方がなかった。煙草の煙をなるべく早く、部屋の外に追い出すために、そして極力楽な姿勢を取ろうとすると、こうするしかないのだ。上半身は黒い半袖のTシャツに包まれ、夜に溶け込んでいる。下半身は、かつて夜間迷彩と呼称されていた、独特の模様のボトムスをまとい、片膝を立てて、裸足を机の天板と椅子の座面に投げ出している状態だ。この服装が、彼の夜間の休息スタイルである。

 日中は粋がって整えている髪も、さすがに入浴後はそんなことはしない。普段はゆったりしたサイズの服を着ているため目立たないが、けっこう細身だ。線が細い顔立ちなので、ちょっと愛想よくしていれば女子にそこそこもてるかもしれない。が、黒川自身はそんなことには無頓着で、眉間にしわを刻んでいることが多く、愛想を惜しんでいるというより、そもそも最初からないんじゃないかと思わせるような態度なので、女子からは嫌われたり怖がられたりと、距離をおかれているのだ。そのことにもまた無頓着な黒川である。


 脚のそばには、半分ほど残った煙草の紙箱が無造作に置かれている。黒と白をバックに、空想上の動物を意匠化した図案が印刷された箱だ。図の下部に「SECONDセカンド GURIFONNグリフォン」の文字が入っている。

 17歳を迎えていない黒川に、煙草を吸う資格はない。法律によって認められない。しかし彼はときおり、こっそりと吸っていた。煙草の味を覚えたのは、まだわかりやすく荒れていた中学3年生のときである。彼自身が教科書にしてもいいんじゃないかと思うくらい、典型的な荒れ方だった。といっても、煙草は常習的に吸っているわけではなく、1カ月ほど吸わなくても平気でいることもある。電子煙草はかえって不経済だと判断した理由である。


 目を転じた。とっくに消灯された部屋の中で、蓄光式の時計の文字盤が頼りなく浮き上がっている。……1時半過ぎか。携帯用の灰皿を添えて、指先で軽く煙草をはじく。


「まだ眠れない?」

 ……黒川は無言のまま、軽い驚きを押し隠して、身じろぎした。

「……起こしちまったか」

「たまたま目が覚めた」

くせえだろ、悪かったな」


 小さく笑って、黒川の頭よりわずかに高いところから、布団がこすれる音とともに、起き上がる気配があった。黒川が使用しているのとは別の二段ベッドの上段、短いカーテンを開いて、肩ほどまである髪の毛をくしゃくしゃにしたまま、同室者が顔を出す。夜の闇にすっかり順応した目には、にこ、と相手が微笑していることさえ見て取れた。


「もう慣れたけどね。……懐かしい夢でも、見た?」

 ――相変わらず、油断のできねえ奴だ。黒川は内心で苦笑しつつ、まあな、と応じた。彼に言い当てられたときには、なるべく素直に認めることにしている。こいつには、あまり嘘はつきたくなかった。

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