200×年 5月
200×年 5月
とりあえず1ヵ月勤めてわかったこと。
この会社の朝は基本、悪口で始まる。
朝8時半から恒例のラジオ体操を5分行う。
これは研修でも同じ事をしていた。
そのあと15分ほど支店長の話がある。
そのあとなんか道徳の教科書みたいな本に書いてある事を一人一人順番で音読。
これに10分。
これでやっと9時からの始業となる。
問題は支店長の話だ。
基本、悪口しかない。
支店長の話題のタネはその日の朝のニュース番組だ。
政治家のだれそれがくだらん発言をしただの芸能人のだれそれがくだらん事をして実にけしからんだの。
そんなどうでもいいことを毎朝毎朝延々と愚痴る。
今日槍玉にあがったのは、このとき人気を博していたお笑い芸人が生まれ故郷の特産物の宣伝大使に就任して、その生まれ故郷出身の大臣や県知事に自分達の持ちネタギャグを披露したとかいうニュースだった。
支店長はこのニュースにいたくお怒りだった。
エライ政治家のくせにあんなくだらんギャグにおべっか使ってバカじゃないのか、俺達の税金で食わしてもらってるくせに、なにが~~~(持ちネタギャグの決まり文句)だ、アホか。
こんな文句を朝礼の時間延々聞かされた。
どうでもいいし、むしろ微笑ましいニュースだと思うし県知事さんだって本気でそのギャグにウケた訳じゃないと思うんだが。
ともあれこの一ヶ月、悪口から始まらない日は1日とてなかった。
朝からネガティブな話を聞かされるのは結構メンタルに悪い。
そういえばここの人達ってポジティブなテレビの話しないな、と思った。
流行のドラマのストーリーとか、映画のストーリー展開とか、短大時代はよく友達と時間が経つのも忘れてたくさん話したのに。
まぁ、ここでは放送してないから仕方ない。
「だめよ、その服はだめよ」
「そのやり方はだめよ、そうは思わないの!?」
毎日毎日仙波さんのダメ出しばかりである。
でも何がだめなのかはまったく教えてくれない。
短大のときのファミマはこんな事なかったのになぁ。
ダメ出しはあったが
「ほら、こうしたらこうなるからだめなんだよ。そうならないためには…」
とちゃんと理路整然と教えてもらえる。
私が一番感心したのは、重い物を持ちあげる時のやり方だ。
教えてくれたのは筋トレが趣味の女性の先輩だ。
物を持つとき腰や腕に力を入れがちだけど、それやってたら腰が悪くなるよ。
まだ若いうちはいいけど年取ったらマジで腰に来るよ。
そうならないように、おしりをこう、プリっと上に上げる感じで、太ももの裏を伸ばすように中腰になって荷物を持ち上げるの。
太ももの裏を意識していれば腰を痛めないよ。
腹筋や、足の裏に力を入れると、女性でもわりと力が出るよ。
そうそう上手上手、出来るじゃない。
出来たらちゃんと褒めてもらえた。
そういえばあの先輩に影響されて少し筋トレしてたけど、このところさぼりがちだ。
そのせいか翌日、やっと熱が出た。
体調を崩したのがこんなにうれしいと感じたのは初めてだ。
ずる休みしたいと思っていた小学生時代だってここまでうれしいと思った事はない。
体温計は間違いなく38度、高熱を示している。
今日は休める。
嘘はついてない。
ゆっくり休める。
最近はもう、寝ることしか楽しみがない。
転職を目指して資格取得の勉強でもしようと思ったがここではろくな情報も収集できない。
私はウキウキを抑えて会社に電話した。
「ええー…熱ぅ?」
電話に出た仙波さんが物凄く嫌そうな声で言った。
「はい、38度出ました」
「38度ねぇ…」
仙波さんは不機嫌そうな声でこう言った。
「じゃあとりあえず今日はいいわ。でも明日、診断書持ってきて」
このころはガラケー時代である。
いまのような便利な地図アプリはない。
あったかもしれないが当時の私は知らなかった。
この辺の地理もまったくわからない。
でも診断書を持ってこないとまた何か言われる。
私は熱でフラフラの頭で慣れない住宅街をさまよった。
はたから見ればまるでゾンビだっただろう。
小さな古い公園の掃除をしていたおばさんに道を聞いて、なんとか小さな個人病院にたどり着いた。
年季の入った病院で、年取ったおじいちゃんが先生だった。
お医者さんは、風邪ですね、とただそれだけ言って診断書を書いてくれた。
私は帰宅後、夕飯の残りを流し込み、薬を飲んで泥のように眠った。
翌日。
熱はまだ37.5度だった。
まだきつさとだるさがあったがなんとか出社した。
会社に行き、私は、病院でもらった診断書を仙波さんに提出した。
仙波さんは苦虫をかみつぶしたような顔でそれを受け取った。
そして私にこう言った。
「三井さん、今週の土曜日、あなた休みだったね」
「はい」
この会社は完全週休二日制ではなく、月に2回土曜出勤の日があった。
「昨日休んだから次の土曜日出社ね」
目の前が真っ暗になった。
この会社は病欠すら許されないんだ。
短大時代のファミマだったら、例え当日でも体調を崩したと連絡したらシフトを変えてくれたのに。
店長も先輩も、あら大丈夫?お大事に、シフト変えとくね、と優しく言ってくれたのに…
土曜日、私は出勤した。
はっきり言ってこの会社、ふだんもあまり仕事がない。
この日も全然仕事がなかった。
何もすることなく、ただパソコンのほこりを払ったり、何度もその辺を掃除したりした。
なんのために土曜出勤したのかわからない。
接客業ならそういう事をしなければいけないのはわかるが、うちは接客業じゃない。
暇すぎても身体は疲れるんだと初めて知った。
ただ、仙波さんとショー子さんが休みなので、ダメ出しされたり叱られたりしないので楽と言えば楽だった。
翌々日、月曜日。
まだ風邪っぽさが治らない。
天井が回っている。
だるい。
熱はまだ36度8分だ。
でも休むことは許されない。
病院でもらった薬はまだ残っている。
朝食のあと、そして昼のあとに飲む事にした。
いつも通りの張りの無い午前中が終わった。
仕事中は無音だ。
他の友達の職場は有線やラジオがかかってる所もあると言う。
そっちに行きたかったなあ。
短大時代のファミマはいつも音が溢れてて楽しかった。
制作所の方から「色んな色味使ってるようだけどそれはだめだから…」と新人を説教するショー子さんの声が聞こえて来た。
制作の方は専門知識がいるからわからないけど、それなら最初からマニュアルか何か用意しとけばいいんじゃないかと思う。
新人を養育するためのマニュアルを作るのも上の仕事だと思う。
私の意見だけど。
会議室の壁掛けのボロい時計が12時を差した。
いつ見ても年季の入った時計だ。
アンティークとかじゃなくてただただボロい。
ともあれやっと昼食の時間になった。
いつもの会議室に集まってみんなで食べる。
この時は少し世間話もある。
今日も家で握ってきたおにぎりと玉子焼き、冷凍魚フライだ。
もうこれでいい。
「ほりはらさん」の弁当よりずっと美味しい。
まだめまいがする。
胃もきつい。
私はお弁当を食べた後、薬を取り出した。
薬を出して、錠剤を口に入れて、水を口に含んで…
「な…な、なにそれえーーっ!!!!」
びびびびっくりした。
水筒の水吹き出すところだった。
後ろを見ると「ほりはらさん」の買いだしから帰ってきた仙波さんやショー子さん達がいた。
「げほっ…な、なんですか、いきなり…ショー子さん…」
「な、なにそれ…」
「な、なにって…風邪薬ですよ。そこの病院でもらった」
ショー子さんはえ…え?とうろたえている。
「いやいや、だって…三井さんが休んだの金曜日でしょ? 風邪薬ならおかしくない?」
おかしい?
何がおかしいんだろう?
「だってまだ風邪治ってないんですよ。薬も一週間分もらったし」
ショー子さんはまだえ?え?とうろたえていた。
仙波さんと仙波さんの同期達は、三井さんは仕方ないね…と苦笑いした。
何が仕方ないんだろうか…
後で思えば、このときからショー子さんは、私にとある疑いをかけていたのだ。
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