200×年 4月末

今日は待ちに待った給料日だ。

この地で数少ない、いや唯一の楽しみというべきか。

給与は手渡しで渡された。

私と同期の制作の子達は支店長の前にたて一列に並ばされた。

支店長は鼻の穴を膨らませて

「お待ちかねの給料だ」

と私達一人一人に茶封筒を渡した。

中に入っていたのは8万円だ。

基本給11万円から年金や社員旅行の積み立てやらなんやかやを天引きしたらこの額らしい。

まあこの不景気だし、この地ならこの額でもやっていけない訳でもないし、バイト時代の貯金もあるし…と思っていたら耳を疑う言葉が耳に入った。


「どうだ、すごいだろう。こんな大金見た事ないだろ」

「新人にこんな大枚を払える会社、うちの他にないぞ」


私の短大時代のバイト代を言ったら、支店長、ひっくり返りそうだなと思った。

他の同期の子達もなんとなく微妙な反応に見えたのはきっと私の勘繰りすぎだろう。

支店長はウム、と満足そうにうなずいて

「ショー子、茶!」と言った。

それまで作業に当たっていたショー子さんが「はぁい」と給湯室に行った。

ここでは基本、女子社員は下の名前で呼び捨てだ。

別に珍しい事ではない。


私の携帯には友達からのメールがたまっている。

私の、この県での愚痴を聞いた短大時代の友人たちは、みんな私に異を唱えた。


―――ねえ仮名。

―――コンビニの件だけでそのショー子って人を嫌うのおかしくない?

―――この時代でも、コンビニ行った事無い人いっぱいいるよ。

―――誰でもカフェやコンビニを知ってると思うのはちょっと違うんじゃないかな。

―――だいたい、それって悪い事なの?

―――それよかこっちの方が最悪だよ。

―――人いっぱいでごみごみしてるしラッシュアワーとかもうあれ処刑装置だよ。

―――仮名はいいなぁ。

―――会社から徒歩10分とか羨ましいよ。


終業後、社宅から会社までの徒歩10分の道のりを歩く。

途中には古い民家と昔からやってるような古い床屋と掘っ立て小屋としか表現できない何かの建物しか無い。

短大の時アルバイト代が入ったら、友達とカラオケに行ったりしてたっけな。

そうでなくても自分へのごほうびに、カフェでいつもは食べない千円越えのデザートセットとか食べたりしてた。

ここにはそんなお店は無い。

短大時代のバイト代の半分以下の給料。

これが正社員の初任給。

これが住み慣れた地元を離れてまで得たお金なのか。

これが毎日ダメ出しされながら得たお金なのか。

これが、うちも不景気でなぁとか言われながら渡されたお金なら別にこんなモヤモヤはしない。

ありがたく感謝する。

しかし支店長は8万円という額を正社員の初任給として大枚だと言ったのだ。

友達の一人なんか、お年玉を貯め続けていたから中学の時点で既に貯金が10万あったと言っていた。

ため息しか出ない。

そして社宅。

相変わらずカリカリとネズミの音がする。

私自身もカリカリと削られていくような感覚がする。

―――仮名はいいなぁ。

こんな社宅でも羨ましいって言える?

畳間でごはん食べてたら天井から虫がポトポト落ちてくるんだよ。

一ヵ月も見てたらさすがに慣れたけど。

このあいだドラッグストアで買った虫取りアイテムを置いてもどんどん虫が発生する。

いけない、どんどん気が滅入る。

ここんとこため息ばっかりついてる。

せめて夕飯は好物のカルボナーラにしよう。


台所でパスタを茹でていると、携帯に通話が入った。

「三井さん?今いい?」

仙波さんだった。

今日の私の仕事にまた不手際でもあったかな。

「近くまで来たの、ちょっと寄っていい?」

珍しい。

仙波さんともこの一ヵ月で少しずつ打ち解けてきたような気がする。

相変わらずダメ出しはされるが。

でも最初にちゃんと説明をしてもらえばミスは減るんじゃないかと思うんだが…

まあ、これを機に仙波さんとも仲良くなれるかもしれない。

やってきたのは仙波さんと、仙波さんの同期の先輩(今となっては名前も忘れた)だった。

二人は、へえー、ここが三井さんのお部屋なのー、ときょろきょろ周囲を見だした。

なぜか、押し入れ開けていい?と聞かれた。

別に見られて困るものは入ってないので、はぁ…と言うと遠慮なく押し入れを開けられた。

押し入れには趣味のCDコレクションを置いてある。

収納家具はホームセンターで格安で買ったぼろい箪笥しかないのでとりあえず押し入れに入れといた。

私は、音楽は何でも聴く。

邦楽、洋楽、アジアとかの民族音楽、クラシック、気に入ればアニソンでも何でも。

このころはおもにUKロックがお気に入りだった。

仙波さんは「三井さんてこういうの聴くのねー」とまじまじとCDを見た。

仙波さんたちはどんな音楽聴くんだろう。

そうだ、お客さんが来たならお茶出さなきゃ。

母が、社会人になるならお客さんをもてなす機会もあるでしょうしと持たせてくれたルピシアのダージリンと、ウェッジウッドのティーセットの出番だ。

ウェッジウッドっていってももらいものだからいいのよ、と母は笑って持たせてくれた。

いまこそ使う機会だ。

あ、ちょっとうれしい。

がんばった私へのご褒美、これにしよう。

お茶を飲みながら会社の人達と音楽の話をする。

わあ、なんかいいじゃん。

子供の頃なんとなく憧れた、すてきな社会人のおねえさんの生活って感じだ。

ダージリンをこぽこぽとティーカップにそそぐ。

いい香りだ。

私は畳間にいる二人に呼びかけた。

「お茶が入りました。良かったら…」

しかし二人は

「あ、ううん、おかまいなく」

と言って、さっさと帰ってしまった。

あとにはダージリンの入ったウェッジウッドのティーカップが三人分残った。

…何しに来たんだろう。

やっぱり、長居したくない家に見えたのか。

ゴキブリもだいぶ姿を見せなくなったのに。

さっきまであんなにキラキラして見えた三人分のダージリンは、一人で飲むと全然味気なかった。

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