200×年 4月 さいしょの日曜日
ようやく最初の一週間が終わった。
この一週間で楽しい事はひとつもなかった。
ろくな説明もなしに仕事にダメ出しの連続だった。
ろくに整頓されていない仕事場は書類を探すのも一苦労だった。
たまりかねて仙波さんに、マニュアルとかって無いんですか?と聞くと
「はぁ!?」と怒り顔で言われたのでもうこれ以上聞けなかった。
次の日の朝礼で、支店長が
「最近の若者はすぐにマニュアルを求める。非常になげかわしい。現場を自分の目で見て、人に聞き、みずから学ぼうという気概は無いのか」
「若いうちから不精をしていては人間としてナンタラ」
といった内容のエッセイを、感情を込めた声で読み上げた。
仙波さんが支店長に私の事を伝えたんだろう、となんとなく察した。
不精だなんてそんなつもりはまったくなかったのに…。
私が短大時代バイトしていたファミマはちゃんとマニュアルもあったし、詳しい説明をしてくれる研修期間もあった。
この会社はそれがない。
いきなり現場に放り込まれる。
私と同期で入った子達も、聞けば、制作の現場でいきなり本物の案件をサポートも無しに一人で任されて、失敗してショー子さんに叱られているようだ。
さらにこんなこともあった。
あるときショー子さんが、安いお店があるから買い物に行こうと私を誘った。
オンバイケンの事もあって、私はどうもショー子さんが苦手だ。
だが新入りの身でチーフの誘いを断るのもどうかと思い買い物に行った。
車で連れて行かれたのはごく普通のドラッグストアだった。
だが、私はそれまで生活圏にドラッグストアが無くそのためドラッグストアになじみが薄かったので、それはそれで新鮮な体験ではあった。
店を出る時にショー子さんが
「どう? ここ安いでしょう」
と言うので、そうですね、と返した。
するとショー子さんは、と微笑んで
「ね、わかったでしょ。もうコンビニなんか行っちゃだめよ」
と言った。
なんとなく、子供に何かを教えるお母さんか、お姉ちゃんのような顔だ、と思った。
この一週間で唯一私が褒められたのは、昼にお弁当を作ってきた時だけだ。
仕事場のみなさんが愛用しているスーパー「ほりはらさん」の味はあまり口に合わないので自炊する事にした。
お弁当を持参しただけで、三井さん自分でお弁当作るの!?えらいねーと異常なまでに褒められた。
母が冷凍食品なんかを送ってくれたのでそれを使っただけだが。
この会社は終了時間はそこまでブラックでもない。
一応終わりは5時である。
この一週間、残業は一度も無かった。
お役所仕事と同じだ。
そこは楽と言えば楽だ。
よその支店では夜11時過ぎるところもあると聞いたし恵まれている方だろう。
別の会社に就職した友達の中には、終電を逃す事も多いと愚痴る子もいた。
それに比べればうちはまだましな方だろう。
友達はみんな早くも一週間目にして「今の会社に骨を埋める気はない」と口をそろえて言った。
私も同意である。
父は言った。
どんな会社でも中途で採用するなら勤務年数3年以内の者を採用することは少ない。
せめて3年はそこで耐えろと。
さて話を戻そう。
始めての休日だ。
何をしよう。
実は秘密兵器がある。
親戚のお兄ちゃんがプレゼントしてくれたお古のマウンテンバイクだ。
今日はこれに乗っていろいろ見て回ろう。
何もない何もないと愚痴っていても仕方ない。
この町だってきっといいところがあるはずだ。
緑や田んぼが多いと言う事は自然が多いって事だし、穴場もあるかもしれない。
いいところを探しに行こう。
しかし、いくらマウンテンバイクをこげどもこげども田んぼと民家ばかりだった。
戸建てが多いなあ。
たいていの家に衛星放送のアンテナがついている。
私は国道に出た。
30分ほどマウンテンバイクを走らせるとようやくファミレスを見つけた。
昔の旅人が里を見つけた時ってこんな気持ちだったんだろう。
このところ自炊ばかりだったし、久しぶりに少し豪華なものを食べよう。
私はファミレスに入った。
エアコンの効いた室内で、ゆっくりソファに座る。
日替わりランチをオーダーした。
待ってる間、持参した小説を読んだ。
ああ、ほっとする。
このファミレスは今後、パワースポットになりそうだ。
「あのー」
若い20代ぐらいの男性の店員が私を見ていた。
あ、もう注文来たのかな?
でも手に何も持ってない。
なんだろう?
「なんか…ずいぶん勉強熱心ですね。学生さんですか?」
……え?
私が何も言わずにぼうっとしていると、店員さんはにこにこしながら去っていった。
何もないのに話しかけたの…?
ナンパ?
いや、そんな感じではなかった。
子供の頃、町内に、子供ならだれでも話しかけるおばあちゃんがいた。
あのおばあちゃんを思い出した。
さっきの店員さん、20代ぐらいの若い人なのに、なぜかすごいおじいちゃんに見えた。
そのあと来たランチも、なんだか微妙な味がしてしまって、食事が喉を通らなかった。
ファミレスを出た後、私はつらつら考えた。
ファミレスで本を読むってそんなに変な事なんだろうか。
私はよく友達とファミレスに行った。
意味もなくドリンクバーだけでだらだらとしゃべりながら時間を潰したり、ときには試験勉強をした事もあった。
他にもそういう事をしている子はいた。
普通に読書している子だっていたし、携帯ゲームをしてた子もいた。
お店としては長時間居座られるのはさぞかし迷惑だったろうけど。
店員さんに用もないのに話しかけられる。
別に悪い事じゃないし、むしろ父なら人懐こい若者だと喜ぶだろう。
でも…
この上手く言えない気持ち悪いモヤモヤはなんだろう。
ペダルをこぐ足も重くなる。
風は気持ちいい。
自然は多い。
空が青々としてとてもきれいだ。
しかし遊ぶところがない。
図書館とかあればまた違うんだけどなぁ。
県庁所在地なのに…
途中、やっとレンタルショップを見つけたと思って近づいたらいわゆる大人のDVD屋だった。
考えてみればレンタルショップがあったとしても家にパソコンもレコーダーも無いからDVDを見られない。
探したけどカラオケボックスもないなあ。
この辺の若い人、いったいどこで遊んでるんだろう?
私は信号機で止まった。
ぼうっとしていると、後ろから声が耳に入ってきた。
「そうそう、ああいうの欲しいんだよ」
ん?と後ろを振り向くと、10メートルぐらい後ろに、30~40代ぐらいのおじさんが二人いた。
おじさんの片方は私のマウンテンバイクを指さしている。
他におじさんたちが指をさすようなものは周囲にはない。
「あの色いいよな」
「そうそう、いいよなあ」
いい年の大人が「人のものを指さしてそれを欲しがる」という行為をするのが私には信じられなかった。
幼い頃、母や祖母、伯母、周囲の大人たちに
「人を指さすのは失礼なんだよ。ましてや、人のものを指さして欲しがったりするのはすごくはしたないことよ」
と厳しく言われた。
そして思い出した。
このマウンテンバイク、お古ではあるけど、親戚のお兄ちゃんが買った時は結構いいものだったと聞いた。
「今でも、見る人が見たら、オッ、いいの乗ってるなーってわかるシロモノだぞ」
と親戚のお兄ちゃんは言った。
男の人二人がこっちに近づいて来た。
信号が変わった。
例えようの無い悪寒が背筋を走った。
私は急いでペダルを踏んだ。
私はそのまま家に帰った。
友達となんとなくメールして、残り物を食べて、寝た。
まだ夕方だけど何もする気が起きない。
明日から、また会社だ。
気が重い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます