第36話 お母さん探し

 制服に着替えて外に出ると海に潜っているように全てが揺らいでいた。

 ワカメがユラユラと揺れ、魚群が目の前を通る。

 学校の席に付いた頃には海底までやって来たように暗くて息苦しかった。

 なんの授業をしているのかもわからない。

 鼓膜まで水が浸透して何も聞こえない。

 授業が終わると多目的ルーム2に向かった。

 あの場所には少しだけ空気が残っているような気がしたのだ。

 いつもの椅子に座る。

 しばらく経って、となりに座っているのが宮崎いすずである事に気づく。


「伊賀先輩は?」

 とぼくが尋ねた。

「今日はネタ合わせだって」

 といすずが言う。

「そうなんだ」

 パチパチパチ、と音がした。

 あばずれピンク頭の手元を見るとノートパソコンがあった。

 彼女は細くて白い指でキーボードを叩いている。

「パソコン持って来ているなんて珍しいね」

「ようやく書きたいものが見つかったの」

「へーー」

「書いたら、また読んでくれる?」

「うん」

 辺りを見渡す。

 七瀬うさぎは服を作り、一条渚は彫刻をほっている。ダンボールじゃなくて新しい芸術に向き合っていた。

 ぼくだけが何もしていなかった。

 久しく見ていなかったアイフォンをポケットから取り出す。

 色んなラインが来ている。

 その中に伊賀先輩から送られてきたものもある。

『漫才が完成したら見に来てください』

 ここは自由な場所だった。

 特に何かをする訳ではない。

 みんながみんな自由にすればいいだけの部活。

 だけどみんな何かに夢中になっている。

 ぼくだけが何もできなくて、何もしたくなかった。

 


 ぼくは本屋を巡った。

 潰れている店が多い。

 日が沈むと一条に電話して、彼女のお母さん探しに付き合った。

 彼女と歩きたかった。

 永遠に彼女のお母さんを探し続けたかった。

 ぼくは彼女に彫刻のことは尋ねなかった。

 その代わりに気になっていたことを尋ねた。

「なんで髪を伸ばしているの?」

「こんなにも可憐な女の子が一人で夜道を歩いていたら危ないじゃない」

「自分から貞子に寄って行ったわけか」

「当たり前じゃない。そうじゃないとこんな髪型にはならないわ」

 と彼女は言った。

「なんで人をイジメていたの?」

「私から言わせればイジメられる方が悪いのよ」

「それはイジメっ子の意見じゃん」

「だって私はイジメっ子だもん」

「お前の事、嫌いだな」

「残念。私は金木の事が好きだったのに」

「嘘つけよ」

「小学生の頃から好きよ」

「気持ち悪っ」

「殺すわよ」

「ぼくはイジメっ子が大嫌いなんだ」

「だからイジメられる方も悪いのよ」

「どうして?」

「イジメてください、ってプラカードを持っているのよ」

「ぼくには見えない」

「私にだけ見えるのよ。そのプラカードは」

「ぼくの事をイジメた時もそうだったの?」

「そうよ。わざわざアナタは友達から奪い取って、イジメてください、って書かれたプラカードを持って立っていたのよ」

「そんなモノ持った覚えはない」

「イジメていると私は支配者になれる。その場で一番ユーモラスな人間になれる。みんな私に一目を置く」

「だからイジメたのかよ?」

「っな訳ないじゃん。本当は何も考えてなかった。プラカードも嘘。なんとなくイジメれそうだからイジメていただけ」

「そうか」とぼくが言う。

「それよりお前、さっきぼくの事を好きって言わなかった?」

「好きよ。正しくはアナタの指が好きよ。私の口を犯してくれるアナタの指が」

「それじゃあ家に付いたら、喉の奥まで入れてあげる」

「金木は恋人とかいないの?」

「いないよ」

 彼女が何かを言おうとした。

 その言葉を発する前に「恋人は募集してないんだ」とぼくは言う。

「……どうして?」

「迷惑をかけることになる」

「どうして?」

「ぼくには夢中になってるものがある」

「今、書いているんだっけ?」

「書いてない」

「色んな人とヤリたいの?」

「魅力的な人が多すぎて、恋人を決められないのかも」

「今、私が告白すると思ったの?」

「思いました」

「別に金木のことなんて好きじゃないわよ」

「ツンデレのテンプレみたいなことを言うじゃん」

 彼女は言葉を探している様子だったけど、言葉が見つかる前にぼくは話を変える。

「村上春樹のノルウェーの森って読んだことある?」

 とぼくは尋ねた。

「読んでない」

「ノルウェーの森、っていう小説の中に環状線をぐるぐる歩き続けるエピソードがあるんだ」

「つまらなさそうね」

「面白れぇーよ」

「死んだ友達の元恋人と環状線の周りを歩き続けるんだ。行き先はないのに。ぼく達が今やっているのは、それに似ているのかもしれない」

「行き先はあるわよ。ココに」

 と文字が滲んで、なんて書かれているかわからない紙を一条がぼくに差し出す。

「そうだね」

 とぼくは言った。

 だけど、それは行き先がないのと同じである。

 別の本のことも覚え出す。

「西尾維新の化物語という本の中にリュックを背負った少女が家に帰るために彷徨って歩いているっていうエピソードもあるんだ。それに似ているのかもしれない」

「つまらなそうね」

「面白れぇーよ。家に帰りたいけど帰り方がわからない。迷ってしまう。一条も同じなのかもしれない」

「どこの小説を読んでも歩いているのね」

「そうだね。みんな何かに迷って歩いている。そして、どこにも辿り付けないんだ。辿り着けた時が、そのエピソードが終わる時なんだ」

 彷徨うのが終わる。

 今日も一条渚は母親の家に辿り着けなかった。

 ぼく達は目的地に辿り着くことができるんだろうか?



 ぼくは一条の家にお邪魔する。

 ソファーに座ると彼女はぼくの膝を枕にして寝転んだ。

 そして大きく口を開け、ぼくの指を求めた。

 ぼくは彼女の口の中の柔らかい部分や硬い部分を丁寧に触った。

 触るたびに彼女は両足をバタバタと動かし、子犬のように「クゥーン」と弱々しい声を出した。

 歩いている最中の彼女の暴言が多ければ多いほど、ぼくは彼女の喉を攻めたし、指を入れる本数も増やした。

 泣いても、クスグたがってもぼくはやめなかった。


 口を犯し終わると彼女はソファーに座り直した。

 そしてポケットに入れていた大切な紙を取り出す。

 昔、住所が書かれていたであろう紙を彼女は千切りった。

「なにしてんだよ」

 とぼくは言った。

「だって、もう読めないんだから、持っていても仕方ないじゃない」

「それでも、それはお前とお母さんを繋げるためのチケットだろう」

「バカなの?」

 彼女が立ち上がり、しばらくしてから戻って来た。

 手には新しい紙切れが握られていた。

「これ」

 と差し出した紙切れには住所が書かれていた。

 しかも読める。

「ただの紙に書いた住所なんて、いくらでも複製できるわよ。頭が悪いって大変ね」

 と彼女が言った。

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