第37話 兄妹が捕らわれた怪異
向かいの席にはあばざれピンク頭の宮崎いすずが座っている。
ずいぶん前に初めて彼女の小説を読んだファミリーレストランに来ていた。
太陽は仕事を終え、寂しい闇が世界を覆っている。
「ハイジが応募した新人賞の一次が発表されたね」
ぼく達は二人とも一次に通っていた。
「二人とも受賞するといいね」
ポクリ、とぼくは頷く。
だけど今のまま受賞したらダメなことはわかっている。
「二人とも受賞すると思うの」
「ぼくもそう思う」
本当に思っていた。
だけどぼくは母の死から立ち直っていない。
作家になれても小説が書けなくては意味がない。
作家になりたいのは誰かを喜ばせたいからである。
小説が書けないのなら誰かを喜ばすことができない。肩書きには意味がない。
道路を歩いている人たちは裸で踊り狂うのを拒絶するように、厚手のジャンバーを着ていた。
母親が死んでからも季節が変わっていく。
そのことがぼくを不安にさせる。
お母さんがいた場所から一歩一歩離れていっている感じがした。
もう二度と戻れないような気がした。
それは気のせいじゃなく、本当に二度と戻れない場所なのだ。
風が吹くだけでぼくはセンチメンタルな気持ちになった。
母がいない時間が長くなっていく。
A4サイズの紙の束を宮崎いすずに手渡された。
100ページぐらい。
彼女は新作を書いていた。
ぼくが渡されたのは、ただの紙ではない。
今持てる全てを使って書いた作品だった。
ドクンドクン、と音を鳴らしている彼女の心臓だった。
そんな大切なものを今の状態で読むのが失礼な気がした。
それでも彼女はぼくに読んでほしい、と頼んだのだ。
「お願いします」とあばずれピンク頭が言った。
ポクリ、とぼくは頷く。
お母さんが死んでから一冊の本も読んでいなかった。
文字が頭に入らないのだ。
物語は平和の上になりたっている。
悲しみの沼地では文字は沈んで消えてしまう。
「読めなかったら、また今度でもいいし」といすずが言う。
ありがとう、とぼくは言った。
初めに読む相手をぼくに選んでくれたのに、読めない不甲斐なさがあった。
それでも許してくれる優しさに礼を言う。
ぼくは文章に目を落とす。
文字がミミズのように動いて読めないと思っていた。
だけど紙に書かれた文字は、ちゃんと紙に書かれていた。
頭の中に彼女が書いた文字が入っていく。
怪異ものだった。
ジャンルで言えばホラーである。
そして、この物語には愛が含まれていた。
とある小学生の兄妹。
兄妹は母親が死後、母親を探すために彷徨った。
そして怪異に捕まってしまうのだ。
その怪異というのは家だった。
古民家で、一人のお爺さんが営んでいる薬屋さん。
お爺さんが歩き疲れた二人を家に招く。
そしてお爺さんは自分の役目はここでお終い、と言って古民家から出て行ってしまったのだ。
気づいた時には二人は古民家から出ることができない。
誰かと入れ替わらなくちゃ出れない家。
もしかしたら水木しげるの妖怪全集に掲載されていたような気もする。
古民家は誰かと入れ替わりでしか外に出ることができない怪異だった。
古民家は兄妹が来た現代の日本と別の異界の間にできた空間だった。
異界と繋がる小道から化け物達が薬を買いに来る。
二人は怯えていた。
それでも二人が中庭に生えた薬草を使って薬を恐る恐る作っていく。
こういう状態でも兄は学んで行く。
妹を励まし、生きることを選択していく。
彼等はお爺さんが残した紙を頼りに薬を作り、化け物から報酬を受け取る。
そして受け取った報酬で、別の化け物から食べ物を買って生活していく。
真新しい世界。そこには希望が無いように見えた。
だけど学ぶことをやめてしまったら生きることができない。
化け物にとって薬を売らない人間には価値がないのだ。
殺されるかもしれないのだ。
化け物達は古民家に入って来ることができた。彼等には怪異のルールは適用されない。
生きるために学ぶをことをやめない兄。
それを見ていた妹は母の死から立ち直って行く。
二人は閉じ込められた古民家でお母さんの死と向き合うのだ。
物語は二つの構成になっている。
兄弟の物語。
それとは別に魔法少女の物語が書かれている。
特別な能力を持ち、怪異退治をするために全国を回っている魔法少女。
魔法少女じゃなく、本当は霊媒師である。
だけど彼女は自分のことを魔法少女と呼び、魔法少女っぽい服装をしているのだ。
彼女には助手がいた。
それは18歳の青年で、この物語においての探偵役だった。そして語り部でもある。
ワトソン君だけど探偵役。
魔法少女のところに行方不明になってしまった子どもを探してほしい、という依頼がくる。
探偵役の青年は二人の子どもがいなくなった近くで起きた事件の情報を集めた。
そして数十年前に行方不明になった男の子がお爺さんになって戻って来た事件に辿り着く。
彼はお爺さんと会い、どういう怪異なのかについての謎を解いてしまう。
そして魔法少女ができる事を察し、結末を予想してしまうのだ。
依頼人の父親には報酬は半分でいい、と告げる。なぜなら半分しか依頼を達成できないと探偵役の青年は言うのだ。
探偵の指示のもと魔法少女は現実と異世界の歪みを探した。
そして二人は古民家を見つける。
そこで二つの物語が交差する。
そこからは解決編になっていく。
古民家に閉じ込められているのは一人だけだった。
だから兄妹のうち、どちらかは外に出ることができた。
魔法少女ですら具現化された古民家を潰すことはできない。
でも現実と異世界の歪みを閉じることはできる。
二度とココに迷い込む人を無くすことはできる。
つまり兄妹のどちらかを閉じ込める。
月日が経てば閉じ込められていた兄妹のどちかが死に、新しい主人を招くことができない薬屋さんにはお客さんが来なくなり、忘れ去られて怪異は死ぬ。
名探偵は怪異殺しだった。
ちょっとした発言や二人のやり取り、ちょっとした動揺、ちょっとした行動で、名探偵の大切な人が怪異に殺され、憎んでいるということがわかる。
書かれていないシーンが想像できるように書かれていた。
解決の方法を名探偵の青年はお兄ちゃんにしか伝えなかった。
兄の苦悩が描かれ、妹を外に出すことを選択する。
妹を古民家から出すために、お兄ちゃんは妹に嫌われる態度をとった。
だけど妹は何かを察して、お兄ちゃんに嫌われても古民家から出ようとしなかった。
だからお兄ちゃんは妹への嫌がらせをやめた。
兄妹がお互いのことを思い、考え、行動していることが書かれ、読んでいて胸をエグれる。
お兄ちゃんが嫌われようと横柄な態度を取っているシーンですら愛おしくてたまらない。
言葉と心が噛み合っていなくて、その噛み合っていない感じが読んでいて苦しい。
そしてお兄ちゃんは化け物に渡す薬を間違えてしまう。
こういうことが今まで何度かあったので兄妹は怯えた。
化け物は怒り狂い、古民家に入って来てしまう。
そこで正しい薬を渡せばよかったのに、兄は慌てて間違った薬を化け物に渡してしまう。
化け物はさらに怒り狂い、兄に襲い掛かった。
殴られる兄を助けるために、テントを張っていた名探偵と魔法少女の元まで妹は助けを求めに行く。
あの魔法少女ならお兄ちゃんを助けてくれると思ったのだ。
ここに来てから何度か魔法少女と名探偵は化け物に襲われていた。そのたびに不良に絡まれた格闘家のように魔法少女は化け物をやっつけていた。
だから妹は魔法少女に助けを求めた。
だけど魔法少女はお兄ちゃんを助けることはなかった。
古民家から出て来た妹を連れて現実の世界に戻ったのだ。
こうなる事を名探偵はココに来る時から知っていた。
だから兄にだけ現実の世界に戻れるのは一人だけだと伝えたのだ。
そして兄も妹も、その事は知っていたのだ。
化け物に渡した薬を間違えたのは兄の意思だった。
妹は泣き叫びながら兄がいる古民家に戻ろうとした。
だけど古民家に続く道は魔法少女の手によって閉ざされていて、二度と妹は兄に会うことはできなかった。
ぼくは泣きながら「クソ」と呟いた。
クソ、クソ、クソ、面白れぇーじゃねぇーかよ。
これはぼくの物語だった。
母を失って、立ち直る物語だった。
妹を守る物語だった。
この魔法少女だってチーバァのことじゃねぇーかよ。
全てぼくが持っている素材だった。
母が死んだ悲しみも、学びたいという意思も、立ち直らなくちゃという戦いも、妹を守らなくちゃ、という思いも、全てぼくの素材だった。
だけど調理して超エンタメにしたのはあばずれピンク頭だった。
ぼくがお母さんの死に囚われているうちに彼女は絶品の料理を作ってしまったのだ。
面白くて悔しくてぼくは泣いていた。
しかもシリーズ物を考えて書かれていた。
シリーズ物。次巻を引率する主役とヒロインがいること。
「面白かったです」
と読み終わった後に、ぼくは言った。
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