第33話 編集部に問い合わせる

 チーバァは仕事に行ってしまった。

 もう会う事がないのかもしれないし、数年後に会うことがあるかもしれない。

 アユはぼくのベッドで眠った。

 一人になりたくなかったんだろう。

 二人だけの家族になってしまった。

 ぼくは眠れずに妹の隣で暗くなった天井を見上げた。

 眠れる気配がしない。

 水槽の中のようにぼくはゆっくりと起き上がり、机に座った。

 書かなきゃ、と思った。

 何を、どう書くのか? そんな事はわからない。

 パソコンを立ち上げる。

 そして白紙のワードを開けた。

 何も書かれていないワードの中で物語を探った。

 ぼくの場合はいきなり小説を書き出すわけじゃない。

 まずは物語の設計図を書く。プロットと呼ばれるものである。

 自分が何を書きたいのか? 

 キャラクターは? 

 どんなストーリーなのか?

 何も思いつかない。

 母親の事を書きたかった。

 だけど何も書けない。

 真っ白の画面が何一つ変わらない。

 気づいたら朝になっていて光が部屋に入り込んでいた。

 アユはスヤスヤと眠っている。

 学校があるから起こしてみたけど起きない。

 こんな時にも学校に行かなくちゃいけないのか?

 別に休んでいいように思えた。

 妹の学校には8時になったら電話をかけよう。

 ぼくはアイフォンから中本ありさ先生に電話をかけた。


「はい」

 と彼女の声が聞こえた。

 中本先生の声を聞くと安心した。

「もしもし」

「金木君? 大丈夫?」

「はい。大丈夫です。昨日は来ていただきましてありがとうございました」

「なにかあったら何でも先生に言ってね」

「今日はまだ学校に行けそうになくて」

「わかったわ」

「ごめんなさい」

「元気になったらおいで」

「はい」

「……金木君、連絡返してね。心配だから」

 と彼女は言った。

 そういえば、ぼくは先生からの連絡を何度も既読スルーしてしまっている。

 ずっと連絡を返せる状態ではなかったのだ。

「心配かけてごめんなさい」

「……」

 電話の向こうで中本ありさ先生が何かを言う気配がした。

 それを聞くまでにぼくは電話を切った。  

 8時になると妹の学校にも電話をかけた。

 学校に行ける精神状態ではない事を妹の担任に告げた。

 


 昼になっても妹は起きなかった。

 まるで毒林檎を食べさせられた童話のお姫様のようである。

 寝息は聞こえる。だから生きてはいる。

 ぼくは机に座り続けた。

 まだ一文字も書けていない。

 立ち上がり一冊の本を手に取った。

 気晴らしに、本を読んでレビューでもブログに書こう、と思ったのだ。

 本棚の前で、本を開ける。

 文字がミミズのように動き出す。

 文字がうねうねと動くから読めない。

 頭の中に入って来ない。

 あれ? なんで文字が読めないんだろう? 他の本を手にする。

 あれだけ読めた文字が一切、頭の中に入って来なかった。

 だから本を読むのを諦める。

 時計を見るとお昼の1時を過ぎていた。



 ある事を確認するために文庫本の後ろに書かれてある電話番号に電話をかけた。

 トゥルルルル、と呼び出し音が鳴る。

 ぼくが電話をかけているのは、応募した新人賞に送った編集部である。

 こんな状態じゃないと絶対に電話はかけられない。

 緊張はしない。ただ確認するだけだから。

 こんなにも簡単に編集部に繋がる事ができる事が不思議だった。

 小説を発行している編集部は、ずっと遠い場所にあると思っていた。

 遠すぎて近づくこともできないと思っていた。

 だけど電話をすれば簡単に繋がる。

 誰かが電話に出て、編集部の名称を告げた。

 女性の声だった。

「お仕事中に失礼します」

 とぼくは言った。

 できる限り、アルバイトで培ったお客様と喋る技術を生かしてに丁寧に喋った。

 どんな事でも糧になるものである。

「新人賞に応募した者なんですけど、確認したいことがあったので電話させていただきました」

「どうされましたか?」

 仕事をしている人のはっきりした女性の声だった。

「郵便番号の記入漏れがあったんですが、読んで貰えますか? 原稿を出し直した方がよろしいでしょうか?」

 とぼくは尋ねた。

「確認しますので、お名前お願いします」

「金木ハイジです。ID番号は必要ですか?」

「名前だけで結構ですよ。確認しますので少々お待ちください」

 少々待つだけで確認できるものなのか?

 そういうシステムがあるのか?

「お待たせしました」

 1分もしないうちに女性の声が聞こえた。

「データーは無事に届いています」

「郵便番号が抜けていたら読んで貰えないですか?」

「大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。安心しました。お手数をおかけしました。よろしくお願いします」

「失礼します」

 どうやらぼくの大切な小説は誰かには読まれるらしい。

 世界のどこかで、誰かに読まれることがわかっただけでも、ぼくは嬉しかった。

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