第32話 お葬式
次の日には棺桶に入った母親が家に戻って来た。
母親は「ただいま」とは言わなかったけど、ぼくとアユは「おかえりなさい」と母に言った。
最後のおかえりなさい、だった。
おかえりなさい、を母に聞こえるようにぼく達は言った。
棺桶はリビングに置かれ、電気でつく偽物のロウソクやチーンと音が出る小さな鐘や線香が置かれた。
アユは棺桶を開けて母を覗いた。
「病院にいるのは嫌だったもんね。最後まで私達が一緒にいてあげるからね。お疲れ様」
と妹は言った。
ぼくも母の顔が見たくて棺桶を覗く。
母親は白い着物を着て鼻に綿が詰め込まれていた。
死んだ直後よりも穏やかな表情をしている。
ぼくも何かを言いたかったけど何も言葉が出なかった。もしかしたら言うべき事はアユに取られてしまったのかもしれない。
母に触ってみた。
冷たかった。
母親は腐らないように棺桶の下にドライアイスが引かれているらしい。
ぼく達は葬式の準備で忙しかった。
母親のアイフォンの電話帳に入っている人達に電話した。
知っている人もいたし、知らない人もいた。
電話をかけるたびに、みんな同じ事を言った。
「なにかあったら気にせずに頼っておいでね」
「母親に何か言われたんですか?」とぼくは不思議に思って尋ねてしまった。
あまりにも電話しすぎて、誰に尋ねたのかは忘れてしまったけど、その人は男の人だったと思う。
「……君のお母さんに娘と息子をよろしく頼む、って頼まれたんだよ。だからいつでも頼っておいで。君のお母さんの事が私は好きだったから、君達に頼られると嬉しいんだ」
ありがとうございます、とぼくは電話なのに頭を下げていた。
みんな何かあったら頼っておいで、と言ってくれる。
なにやってんだよ、とぼくは思う。
お母さんは死ぬ間際に、知り合いの全ての人に自分が死んだ後に子どもをよろしくお願いします、と頼んでいたのだ。
あまりにも電話の向こうの優しい言葉が多かったので、ぼくは思わず小休憩をせざる得なかった。
アイフォンの電話が終わると人が来るから家を片付けなくちゃいけなかった。
悲しいのに何でこんなに慌ただしいんだろう?
掃除が終わったら学校にも電話する。
それから、それから、といっぱいやる事があって悲しむ隙がなかった。
母親と過ごす最後の日。
ぼくとアユは同じリビングで寝ることになった。
チーバァもリビングで寝るみたいで、川の字で三つの布団を並べた。
線香の匂いが充満している。
母の棺桶の前に置かれたロウソクは偽物で、電気で付くタイプのものだった。
部屋の電気が消えてもロウソクのせいで明るい。
まだ妹はチーバァに人見知りをしている。
妹は母親の棺桶の近くのポジションで眠っていた。
ぼくは真ん中の布団だった。
女性二人に挟まれている。もしかしたらこれはハーレムかもしれない。
火曜サスペンスに出て来そうな大女優に似ているチーバァーを見た。
なんや、という風に薄暗闇の中でチーバァが首を傾げた。
「どんな幽霊と戦ってるの?」
とぼくが尋ねる。
チーバァは笑った。
ぼくは知りたかった。もしかしたら小説のアイデアになるかもしれない、と思ったのだ。
「そうやな。大抵は怪異やな」
怪異?
むちゃくちゃ知りたい。
「どんな怪異?」
「なんや。そんなに聞きたいんか?」
ポクリ、とぼくは頷く。
「ココに来る前に戦った怪異は、みんなが知ってる口裂け女っていう怪異やったな」
「えっ、口裂け女って本当にいるの?」
「おらんよ」
「えっ?」
「おらんけど、みんなが本当におる、って信じてしまうから、そこに存在してしまう」
「???」
「口裂け女の発生条件は」
とチーバァが言う。
「口裂け女って発生条件があるの? つーかいっぱい発生するの?」
「するに決まってるやろう」
「えっ」
「口裂け女の発生条件は地縛霊が口裂け女の真似をすることや」
「幽霊が真似をするの?」
「するよ。寂しい幽霊が、自分の持っている知識を使って自分に人間を振り向かせようとするねん。初めは地縛霊さんも冗談のつもりでやってたんやと思う。生前はお調子者が多いかもしれな。けど本当にその地縛霊さんは口裂け女のように口が裂けてハサミで人を襲うようになる。そうやって口裂け女は発生してしまうねん」
「面白っ」
「本の起源って知ってるか?」
「えっ、なに急に? 知らないけど」とぼくが言う。
「聖書や」とチーバァが言った。
「本は救いのために作られたんや。だから本は人を救う事ができる。人を救うモノを書きなさい」
とチーバァが言った。
「それから人を喜ばせるものを書きなさい。それから人の役に立つものを書きなさい。それか価値を創造するものを書きなさい」
ちなみにチーバァには小説を書いているなんて言っていない。
だけど小説を書いていることがバレているらしい。
ぼくは薄暗い闇の中で、「うん」と頷いた。
「他に怪異の話を教えて」
チーバァが笑う。
そして朝まで怪異について話してくれた。
母は生きていた時、幸せだったんだろうか?
ぼくがいてアユがいてくれたから幸せだった、と母は言った。
だけどぼく達がいたからこそ母親は仕事ばかりしていたんじゃないか。
お父さんがいなくなって、母親は正社員として働き始め、家にいる事が少なくなった。
スーツ姿が多くなった。いつも疲れた表情をするようになった。
ぼく達がいなかったら?
再婚していたんじゃないだろうか?
別の幸せを手にいれていたんじゃないだろうか?
ぼく達がいたから幸せだった。そんな言葉に甘えられる訳がなかった。
ぼくはお母さんに何をしてあげたんだろうか?
そればっかり考えている。
お葬式は簡素のものだった。
母親の棺の前でお坊さんがモクモクとお経を詠んだ。
お経が終わって棺桶に入ったお母さんを参列者が拝んでいく。
参列者の人は棺桶に花を一輪ずつ入れていく。
それからお母さんが入った棺桶は豪華な車に乗せられて火葬場に行った。
火葬場には親戚だけで行く。
SFっぽい空間。
何も置かれていない部屋。
スタッフの説明が終わるとアトラクションに行くための重厚な扉が開く。
母親が入った棺だけが扉の向こう側に行った。
もう二度と母親に会えないのだ。
お母さんがスーパーの袋を持って家に帰って来たことを思い出す。
あの大量の袋は重たかっただろう。
お母さんが参観日に教室の後ろにいたことを思い出す。
ぼくはお母さんを必死に探した。
母親を見つけると嬉しかった。お母さんは笑顔でぼくに手を振ってくれた。
お母さんが料理を作っているのを思い出す。
母親が作ってくれた料理が好きだった。あの時、まずいと思う料理ですら、今では食べたくて仕方がない。
ぼくの脳裏に色んなシーンが一瞬で流れた。
「お母さん」
とアユが叫んだ。
「お母さん、行かないでよ」
泣き叫んでいた。
「あぁー、あぁー」
とうねる声が聞こえた。
誰の声なんだろう?
それは泣くのをずっと我慢していたぼくの声だった。
アユがみっともなく泣き叫ぶから、ぼくも我慢ができずに泣いていた。
みっともなくて、ケモノ的で、誰にも見られても恥ずかしい声を出して、ぼくは泣いていた。
ぼく達はお母さんが扉の向こう側に行くのを拒んだけど火葬場のスタッフ達は無表情で棺桶を押して行く。
そして扉が閉まった。
ぼくと妹は迷子になった小さい子どものように、「お母さん、お母さん」と叫びながら泣いていた。
母親が焼けるまで火葬場で味気のない冷たいお弁当を食べた。
「これからどうすの、この子達は?」と声が聞こえた。
地方の訛りがある言葉だった。
ぼく達の事は関係ないだろう。だって彼等と会ったのは今日が初めての人ばかりなのだ。
「この子達は大丈夫や」とチーバァが言う。
「アンタ達よりも百倍強い」
ぼく達は泣きながら弱い姿を見せている。
でも見知らぬ人に心配されるより、チーバァの大丈夫という言葉の方が有り難かった。
「この子達を助けてあげて、って頼まれたんや」
と誰かが言った。
誰か、というのは本当に誰かで、ぼくは名前すらも知らない。
「この子達が本当に困ったら助けてあげたらええ」
そんなこと言ったって、まだ高校生と中学生やで、と誰かが言った。
「アンタ達が大学の費用を出してあげるんか? これからの生活費を出してあげるんか?」
「……」
「本当にこの子達が困ったら助けてあげてください」とチーバァが言った。
お母さんが焼きあがると母の骨を箸で摘んで白い陶器に入れた。
そういえばお父さんの時は棺桶がボーーーッと燃えるのを見た覚えがあるけど、小さい頃の記憶だから勘違いだったのかもしれない。
骨は足元から順番に入れて、最後には頭の骨を入れる。
骨壺の中で、小さい人間を作るイメージである。
その頃にはぼく達も泣き止んでいて、ぼくは腰あたりの骨を白い陶器に入れた。
アユは肋骨の部分を入れていた。
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