第31話 死

 母親に繋げられた機械が甲子園球場の野球の終わりを示す鐘のようにピーーーと鳴り響き、母は死んだ。

 ぼくは母親の右手を握り、アユは母親の左手を握っていた。

 この手を離せば二度と会えない、と思った。

 だけどお医者さんが来ると手を離してしまう。

 検診の邪魔になるだろう、と思ってしまったのだ。

 そんなの気にせずに、ずっと母の細くなってしまった手を握り続けておけばよかった。

 誰が来ても、体を引き剥がされても、母の手を離すべきではなかったのだ。

 母の手を握り続け、ぼく達も年老いて死んでしまったとしても手を離すべきではなかったのだ。

 だけどぼくは母の手を離す選択をした。

 妹もぼくに習って手を離した。

 深い森の中で、ぼく達は離れ離れになり、闇の中にお母さんは吸い込まれて行った。

 隣にいる妹の手を握った。

 お医者さんは脈を測り、魔法の呪文のように「ごりんじゅうです」と言った。

 たぶん土系の魔法の呪文なんだと思う。

 五厘重って重そうな岩が空から降って来そうだもん。

 それからお母さんは別の部屋に移される。

 冷たい空気が充満している部屋だった。

 お母さんは生命から生肉に変わって、要冷蔵になってしまったのだ。

 アユの表情を見た。

 陳列された肉を見るように漠然と母親の事を見ていた。

 涙は流れていない。

 ただ漠然と眺めている。

 でもアユの頬は雪女のように白く、瞬きもしていなかった。

 悲しくない、というよりも、あまりにも悲しすぎて感情がわからない、という感じだった。

 お母さんが死んだ時の表現の仕方を彼女は、まだ知らないのだ。

 ぼくは冷たい空気を吸って、言葉にならない思考と感情の間にできた気持ちを言語化する事に挑戦してみた。

 言葉にできない気持ちを言語化することが作家になるための勉強になると思ったのだ。

 ぼくは母の死をどう感じているんだろうか?

 お母さんは未来を失った。

 あったはずの未来が、プツンと切断されて無くなったのだ。

 これから先、母親という登場人物がぼくの物語には登場しない。

 いなければいけないシーンに母の空白だけがあるのだろう。

 もしここに母がいれば? とぼくは考えるかもしれない。

 アユが結婚して綺麗なウエディングドレスを着てもお母さんはアユの晴れ姿を見れないのだ。

 母は娘を祝うこともできないのだ。

 ぼくは自分の夢をいつか掴むだろう。

 その時に母は一緒に喜んでくれないのだ。

 そばにいないのだ。

 登場人物として消えしまった。

 ぼく達に子どもができて、母親がジョブチェンジしておばあちゃんになるはずの未来は無くなった。

 お母さんは母親のまま死んだのだ。

 もしかしたら、このまま元気に生きていたら再婚したかもしれない。

 女に戻って妻になっていたかもしれない。

 だけど全て無くなった。

 お母さんの死はあったはずの未来を消した。

 未来だけではなく、過去も奪っていった。

 ぼくの幼少期の事を語れる人がいなくなったのだ。

 お母さんが語るはずの幼い時の思い出は大海原に降り注ぐ雨のように、見ている人がいなければ降っていないのも同じだった。

 ぼくは過去が失われたような気がした。

 思い出が妄想の中に沈み、未来には母親の姿がなかった。

 思い出はあの世まで持っていけるらしい。

 母親が死んでからプールの中に入ったように体が重い。

 こういう事は小説を書くために覚えておかなくちゃ、と思った。

 体は動くのに他人の体を借りているような変な違和感がある。

 お母さんが死んで悲しい、という思いはある。

 だけど別の気持ちがある。

 それは深海を覗くようにジッと目を凝らさなくちゃ見えない気持ち。


 死ねてよかった。

 ぼくは少しだけ、本当に少しだけ、そう思ってホッとしていた。


 お母さんは苦しんで苦しんで、ようやく死ぬことができたのだ。

 死んでよかった、とは思えなかったけど、死ねてよかったと思ってしまった。

 頭では死ねてよかった、と思っているのに、どんな姿でも生きていてほしい、と願っている。

 心と体が別々のことを考えている。

 心と体が別々の場所に行こうとしている。

 それが自分の体の機能をエラーさせている。

 体を動かすことが鈍くなり、息をするのが難しくさせている。

 死は救いだと思いたい。

 だけど、やっぱり生きていてほしかった。

 生きていてほしかったのに、死ねてよかったと思っている。

 健康の体なら生きていてほしかった。

 誰よりも長生きしてほしかった。

 でも、あの状態で生きていてほしいとはお母さんには言えない。

 それでも死ねてよかったね、とも言えない。

 だからぼくは何も言わず、要冷蔵になってしまった母の死を見つめていた。



 自分の顔が見たくてトイレに行った。

 母親の死を体験したぼくが、どんな表情をしているのか知りたかった。

 こんな経験をできるのは、これが最後なのだ。

 そう思ったら自分の顔が見たくてたまらなくなったと同時に、こんな時まで面白くなるために知識を得たいと思う自分が愚かで、トイレで鏡を見るのを拒絶していた。

 それでもぼくはトイレに行って鏡を見てしまう。

 鏡に映っていたのは母親が死んでどんな表情をしているのか覗きに来た顔だった。

 意識してしまったら自然な表情が作れなかった。

 なにやってんだよ、と思う。

 こんな時でもぼくは小説を書くために資料を集めようとしている。

 人生最大の不幸で、ぼくは自分の作品に生かすためのモノを探している。

 お母さんが死んだのだ。

 それを資料にするべきではない。

 こんな時まで作品の事を考えるのは間違っている。

 自分の浅ましさが嫌いで仕方がない。気持ち悪さすら感じる。

 鏡を見る。

 それでもやっぱり母親が死んで、どんな顔をしているのか覗きに来た顔だった。

 どこまでぼくは小説のために生きているんだろう?

 まだ何者でもないのに、誰にも認められていないのに、誰にも読まれていないのに、ココまでする必要があるのか?

 自分の事を凄くバカだと思う。

 自分の事を凄く愚か者だと思う。

 だけど、それでも、作品として書けるモノがないのか探している。

 吐きそうだった。

 鏡の前には、母親が死んでどんな顔をしているのか覗きに来て、そんな自分が気持ち悪くて吐きそうになっているぼくの顔があるだけだった。


  

 トイレから帰って来ると母親の隣に一人の女性が立っていた。

 歳は60代。

 だけど年齢より若く見える。

 火曜サスペンスに出ているような大女優に似ている。

 すでに喪服に見える黒いワンピースに数珠を持って拝んでいた。

 何かをボソボソと呟いている。

 その女性がコチラを見た。

 チーバァである。

 チートーなおばあちゃんの略でチーバァ。

 お母さんのお母さんである。

 一人娘が死にそうなのに一度もお見舞いに来なかった人。

 そして連絡もしていないのに死んだ日に娘に会いに来るような人。

 これでぼく達が祖母に会うのは4回目だった。

 四年に一度のペースでしか会わない。それぐらいレアな人物だった。

 もっと言えばぼく達の人生の物語では登場してはいけない毛色を持ったキャラクターである。

 もしも身内じゃなかったら縁がない人なんだろう。

「アユ、ハイジ、久しぶりやな」

 と方言が入った声でチーバァは言った。

 おばあちゃんは関西の人である。

 祖母は一人娘が死んだのに全然泣いてなくて、死んだことが当たり前のような表情をしている。

 もしかしたら、ずっと前からお母さんが死ぬのを祖母は知っていたのかもしれない。

「会いに来られへんくて、ごめんな。仕事が忙しくて」

 とチーバァが言った。

 アユは久しぶりに会ったおばあちゃんに人見知りしているらしく、ぼくの後ろに隠れた。

「大きくなったな」

 とチーバァが言った。

 チーバァは霊媒師で全国を渡り歩いている。

 ぼく達には見えないモノが見える。

 霊能力は遺伝しない。

 だから普通に生きているぼく達とは住む世界が違う。

 ぼく達とは違うモノを見て、ぼく達とは関わらないモノと戦っている。

 それからチーバァはお母さんの死を待ちわびていたお葬式の業者の人と喋り、葬式の日取りを決めてくれた。

 ぼくはチーバァが来て安心していた。

 自分がお葬式のこともやるのかな、と思っていたからだ。

 安心したら急に足が重たくなった。疲れているのだ。

 お葬式は意外と早く行われるらしく、それまでに準備をしなくちゃいけなかった。

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