第30話 ラノベのような妹

 その頃からアユはライトノベルで登場する妹のようにお兄ちゃんっ子になってしまった。

 そりゃあ小さい頃はいつも一緒にいたけど、それは、どこの兄妹でも同じだろう。

 兄妹というものは思春期になればお互いに距離を取る。

 いや、他の兄妹よりもぼく達は仲が良い方だった。

 そういえば、ずっとぼく達は二人ぼっちだった。

 ぼく達はいつから距離を置くようになったんだろう?

 小学校の時、ぼくはリトルリーグに入っていた。妹も女の子のくせに小学校に上がったと同時にお兄ちゃんに着いて行く、ってリトルリーグに入った。

 だからぼくが小学生の高学年になっても日曜日は妹と一緒に過ごした。

 それからぼくが中学生になると妹はリトルリーグを辞めた。

 アユは野球が好きでやっていたいってわけじゃなく、ぼくと一緒にいたいからリトルリーグをやっていたんだろう。

 ぼくが中学生になって野球部に入ってから二人に距離が生まれた。

 この時、初めて距離が生まれたように思う。

 お母さんは仕事でいない。ぼくは部活でいない。

 アユは一人で家にいた。

 そして彼女は料理を始めた。

 ぼく達のために頑張ってくれていたのかもしれないし、もしかしたら寂しさを誤魔化すためだったのかもしれない。たぶん、どちらもなんだろう。

 夜になれば離れた時間を埋めるように寝るまでリビングで一緒に過ごした。

 Netflixを見たり、フールを見たり、ティーバーを見たりした。

 二人で同じ画面を見ていた。

 だけどぼくが小説と出会ってからは変わってしまった。

 一緒にリビングにいても、同じモノを見なくなった。

 ぼくは小説を読むようになってしまう。

 妹も小説を読むようになったけど、ぼくが小説を書き始めると時間を共有しなくなった。

 ぼくは部屋に引きこもり、ずっと書き続けている。

 ご飯を食べ過ぎたら小説が書けない、ってことで食事制限も始める。

 その辺りからぼく達は距離が生まれた。

 いや、ぼくが小説に夢中になっていたから距離が生まれてしまったのだ。

 ぼくが距離を作ってしまったのだ。

 高校に入るとぼくは部活にバイト。

 アユは中学生になって美術部に入り、一緒にいる時間はどんどんと短くなっていった。



 病院から家に帰って来るとソファーに座った。

 アユは隣に座った。

 音が無いのが嫌なのでテレビを付けた。

 画面は動いていたけど何も見ていない。

 トイレに行こうと立ち上がるとアユも立った。

 アユが立った。なんで?

 ぼくがトイレに向かう。

 トイレから出ると無言でアユがトイレの前で待っていた。

 コイツもトイレなのかな? っと思っていたらアユはトイレに入らず、ぼくと一緒にリビングに戻って来る。

 何しにコイツはトイレまで付いて来たんだよ? 

 でも、それを言っちゃいけないような気がして、ぼくは何も言わずにソファーに座り直して画面を見つめた。

 ソファーで座っている時のぼく達は腕がぶつかっている。

 ぼくは妹と距離を取るためにソファーの端まで来ていた。

 妹側の陣地は空いているのに関わらず、妹はぼくに密着している。

 陣地取りゲームなら完全にアユの勝ちである。

 別に会話する、って訳じゃない。

 お兄ちゃんのこと大好き、とかも言わない。

 ただ寄り添っている。


 

 寝て起きたら、アユがぼくのベッドで眠っていた。

 朝立ちしてしまうから密着してほしくない。

 だって妹にアレがぶつかってしまうのが気持ち悪い。

「自分のベッドで寝ろよ」

 とぼくは言ってしまう。

 妹は瞼に付着したパリパリになった悲しみをゆっくりと取りながら目を開けた。

「だって」

 とアユが言う。

 お兄ちゃんの事が大好きだもん、みたいな事は言わない。

 もしぼくがお姉ちゃんでもアユはココにいるだろう。もしぼくが弟でもアユはココにいるだろう。

 妹は、ただ一人になりたくないだけなんだ。

 家族と離れたくないだけなんだ。

「お兄ちゃんの事が大好きだもん、とか言えよ」

「お兄ちゃんの事、別に好きじゃない」

「お兄ちゃんのベッドで、そんな悲しい事を言うな」

「アンタなんて別に好きじゃないんだから」

「言い回しを変えるだけで、急に嬉しい言葉になるじゃん」

「お兄ちゃんの匂いがする。大好き。オェー臭っ。気持ち悪っ」

「大好きの後に続く言葉がショックなんだけど」

「お兄ちゃんこそ私のベッドから出てってよね」

「お兄ちゃんのベッドだよ」

「朝、息臭すぎる」

 妹は鼻を摘む。

「お前だって臭いわ」

 ぼく達は笑わず、朝から陽気に振る舞った。

 妹が陽気に振舞ってくれたから、ぼくもそれに習った。

 でも会話が続かずに途切れて沈黙。

 五分ぐらい天井を見上げている時間があって、妹が言葉を口にした。

「お母さん死ぬの?」

 今更、嘘を言う必要もないと思った。

「死ぬよ」とぼくは答えた。

「知ってる」

「うん」とぼくは頷く。

「なんで教えてくれなかったの?」

「お母さんの意向だよ」

「それで、いつ死ぬの?」

「もう少しで」

「お母さん死んだ後、どうするの?」

「保険金でしばらくは生きてはいける。お兄ちゃんは高校卒業したら働く」

「作家の夢は?」

「卒業するまでに叶わなかったら、仕事しながら書く」

「そんな事できるの?」

「できるよ。ほとんどの作家は兼業なんだ」

「へー」

「アユは大学に行けよ」

「行かない」

「行ってほしい」

「高校までは行かせてもらう」

「心配せずに大学まで行けよ。お金を借りて」

「払ってくれないの?」

「自分で払えよ。それまでの生活費は何とかするから」

「わかりました」

 ぼくは妹の頭をポンポンと撫でた。

 生まれた時からぼくは彼女の事を知っている。

 お母さんがヘロヘロになって産んだ女の子。

 お兄ちゃんだから妹を守りなさいよ、と両親と契約した。

 いや、契約っていうか、口約束なんだけど、その約束をぼくは死ぬまで守りたい、と思っている。

「キモい。頭をポンポンするな」

「ベッドに入って来る妹の方がキモいんだけど」

「これは別にいいの」

「そっか」

「お兄ちゃん……」

「なに?」

「息がドブ川を飲んだみたいに臭いよ」

「お前もな」

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