第18話 小説を読んでほしいです
未来の事を考えると小説が書けなくなってしまうような気がしたので、できる限り物語以外の事は考えなかった。
小説を書いている時だけ胸の痛みは感じなかった。
書いている時は、この世界にはぼくと物語だけ。
誰かに読まれるために書いているのに、その誰かはココにはいない。
そして物語は、優しく丁寧に育てないと成長しない。
少しでも違う事を考えれば機嫌を崩して家を飛び出してしまう。
だからぼくは物語と二人きりの時は彼女のことしか考えなかった。
お前のことしか考えない。
この世界にはお前しかいない。
小説を書き始めて単行本一冊文のページ数を2週間で完成させる。
これでデビューしなければ作家になった姿を母親に見せることができない。
もしかしたら、それすらも間に合わないのかもしれない。
応募する前に誰かに読んでほしい。
手直し箇所がわかれば完成度をあげることができる。
完成度を上げることができれば受賞する確率も上がる。
読んでもらう相手の顔は浮かんでいた。
命と同じぐらい大切な物を渡すのだ。
読んでもらう人は厳選する。
雑に扱ったり、読まずに放置するような奴には触らせたくない。
そんな事されたらぼくはソイツと二度と喋れないだろう。
自分にとって一番大切なモノがゴミのように扱われたら友達ではいられない。
ぼくの子どもなんだ、と友達に我が子を紹介した後に、ドロッブキックを食らわせられたらソイツと二度と喋ることもできないだろう。それと同じである。
読んでほしい、と思う人の顔は1人だけ浮かんでいた。
そもそも彼女が面白くない、と言えばぼくが書いた物は全て面白くないんだろう。
放課後、家に帰らずに多目的ルーム2に向かった。
いつものように机と椅子を出してノートパソコンを開いた。
ぼくは宮崎いすずを見る。
彼女は七瀬うさぎと一緒にワンピースを作っていた。
ノートパソコンの電源を入れる。
もう小説は書き上げているのでワードじゃなくてブログの画面を開いた。
「なに書いてるの?」
と隣に座っていた伊賀先輩が尋ねてきた。
「ブログを始めたんです」
「なんで今更ブログなんだ? 他のSNSでもいいじゃん」
「自分が何を好きなのか? 認識するために始めたんです。ブログは長文が書けるんで」
「へー。どんなブログなんだ?」
「物語のレビューです。好きなモノしかレビューしません。自分が何を面白いと思っているのか? 自分が何を好きなのか? それに向き合いたいんです」
つまり基礎トレーニングである。
自分が何を好きなのか?
どんなものを面白いと思っているのか?
面白いものを書くためにはどうしたらいいのか?
それを分析して理解していく。そして自分の小説に生かす。そのためにブログを始めた。
「君は相変わらず真面目なんだ。なんていうブログのタイトルなんだ?」
「金木ハイジの本のレビュー」
「そのままじゃん」
彼女が検索をかける。
ぼくはブログを書く。
「これ面白そうなんだ」と伊賀先輩が言うから「面白いですよ」と適当に相槌をうつ。
ブログを書き終える。
「人のブログ読んでないで、早くネタ書いたらどうですか?」
「今から書こうとしていたんだ」
と伊賀先輩が頬を膨らませて怒る。
これは小学生が宿題しなさいとお母さんに言われた時の反応である。
しかも男の子の反応である。
伊賀先輩は喋り方も少し男の子っぽい。
もっと男の子に寄せるべきだ、とぼくは思っていた。
男の子っぽい巨乳の背が小さい先輩。最高じゃないか。……最高なのか? キャラを盛りすぎてないか? 身近にボクっ娘キャラがほしいだけなのかもしれない。
先輩だからと気を使っていたけど、最近は彼女をイジっている。彼女はイジりやすい可愛い奴なのだ。
「テスト勉強はしてるんですか?」
とぼくは尋ねた。
「今からしようとしてたんだ」
「ちゃんと歯は磨いたんですか?」
「金木君は私のお母さんか」
「伊賀先輩は私って使わない方がいいですよ。キャラが立ちしません。ボクって言いましょう」
「嫌だ」
「絶対、そっちの方が売れますから。ぼくを信じてください」
「本当に?」
「本当です」
「なんかわかんないけど、金木君キモイ」
「伊賀先輩にはボクっ娘属性が似合っているんです。絶対に色んな人から愛されます。お願いです。信じてください。属性を示さないと視聴者や読者がわかりにくいですよ。伊賀先輩は芸人でしょ? 売れたいんでしょ? ボクって言わなきゃ一生テレビに出れませんよ」
「……わかった」
しぶしぶ伊賀先輩が頷く。
よし、きた。
これでボクっ娘属性ゲットだぜ。
「ネタは順調なんですか?」
とぼくは尋ねた。
早く一人称を言わせたくてうずうずしている。
「まぁ、まぁ」
と伊賀先輩が言う。
「見せてください」
伊賀先輩のノートを奪う。
書いた文字の上にシャーペンで×が描かれている。
ほとんどのモノが没らしい。
一つだけ生き残っているアイデアがあった。
「どんな彼氏がほしいか? これは何ですか? 漫才のテーマですか? それとも女子高生のつぶやきですか? ツイッターで書いてください。いや、今はツイッターじゃなくてXになったんですよね」
ぼくは生き残ったアイデアにツッコむ。
「漫才のテーマだよ。今から、このテーマでネタを書こうと思ってたんだよ」
「人のブログを読んでいたくせに?」
「休憩中だったんだ」
「ずっと休憩してるじゃないですか」
「うるさいな。ボクが何をしても金木君には関係ないでしょ」
いいね、ボクっ娘。
売れる、という言葉に連れられて彼女は自分の一人称をボクに直したみたいだった。可愛い先輩である。
「現代の漫才には重要なことがあります」
とぼくは言った。
「なに?」と伊賀先輩が尋ねた。
「これは個人の解釈も含みます」と前フリをする。
「今の世の中には漫才が多すぎる。ユーチューブを見ながら研究すれば一年間もあれば、それなりの漫才ができるとベテラン漫才師がテレビで言っていました。だからいくら漫才が面白くても、面白いだけじゃあ世には出ません。これをコモディティー化と言います」
「それぐらい知ってるよ。ドンキーコングに出てくる小さい奴だろう」
絶対に違う。ドンキーコングに出てくる奴にビジネス用語で使われるキャラクターがいる訳がない。
「それディディーコングじゃねぇ?」
「ちょっと間違っただけじゃないか。……ちゃんと知ってるよ。そのコモディティーがどうしたの?」
「コモディティーってどういう意味か答えてください」
とぼくが言う。
「……ドンキーコングの」
伊賀京子が言い出したので、「違がいます」と言葉を止める。
「コモディティーというのは、似ているものが多くねぇー? 別にこっちでもいいんじゃねぇ? っていう状態のことです」
とぼくは言う。
「一年もあれば研究して漫才師としてプロになれるけど、世には出れない」
これは話術が巧みのベテラン漫才師が語っていたことである。
「それがどうしたの?」
「本当にバカですね」
とぼくは伊賀先輩を見下した顔をする。
「その顔ムカつく」
「ちょうどムカつくように演出しています」
「っで、何が言いたいの?」
「漫才はコモディティー化が進んでいる分野です。80点以上は取れないと土俵に上がれない。採点すらしてもらえません。逆に言えば少し頑張れば80点以上は簡単に取れる分野になっているわけです。これはぼくが言っているわけじゃありません。あくまでベテラン漫才師が語っていた事です。そしてコモディティー化が進んだ分野のゲームはルールが変更されます。ここが重要なんです」
「なんか、凄いこと教えてもらってる気がする」
「そんな気がするだけです。ただの気のせいです」
「ホンマかいな」
「漫才はゲームのルールが変更されています」
「っで、どんなルールになったんだ?」
「それは逸脱するゲームになっているわけです」
「逸脱するゲーム?」
「これは予想ですけど、お笑いの学校があるでしょ? 王道の漫才を学んで、お客さんの前に立てば全然笑いが取れない、という現象になってるんじゃないですか?」
「お笑いの学校に行ってないから知らん」
「ジュニアのお笑いの学校に行ってたんじゃなかったでしっけ?」
「ジュニアではお笑いの勉強はしなかった」
「えっ、それじゃあ何の勉強するんですか?」
「国語英語理科社会」
「ただの塾じゃん」
「だからお笑いの学校に通っている子の事は知らん」
「ぼくも知らん。ただの予想で喋ってます」
「それじゃあ、これは架空の話なんだね?」
「そうです。架空の話です。王道の漫才という商品はすでにある。しかもベテラン漫才師が進化させている。だから王道の漫才をすれば劣化品の商品をお客様に提供する事になってしまいます。だから王道の漫才から、どうやって逸脱するか? そんなゲームになっているんです」
「それじゃあボクはどうしたらいいの?」
と伊賀先輩が尋ねた。
「裸でやったらいいんです」
「殺すぞ」
と先輩が言う。
「ボケた後は胸の谷間を見せたらいいんです。いい武器があるのに使わないのは勿体無い」
「殺すぞ」
「嘘です。とにかく80点以上の漫才が取れるように研究します。些細なことで言えば漫才の足の向け方には三種類あると世界中の人が知っています」
「三種類の足の向け方?」
「世界中の人は知っているけど伊賀先輩だけ知らないんですか?」
「ボクは天才タイプなんだ」
「そういうタイプは学ばないから、すぐに壊れるんですよ。今日は特別に教えてあげます。でも世界中の人が知っているので、ぼくから教わったって言わないでください」
「教えてくれるんだったら聞いてあげてもいい」
「相方に向かって足を向ける『内向き』。お客さんに向かって足を向ける『中向き』。相方を背にして足を向ける『外向き』。これが足の向け方三種類です」
「それがどうしたんだ?」
「意味を知らなくちゃ使えないでしょ?」
「意味?」
日本の裏側のブラジル人でも知っている漫才の知識なのに、なぜか日本で漫才をしている伊賀先輩は知らないらしい。
「相方の方を見る足の向き方は相手の話を聞くポジションだったり、2人の関係性を示すポジションだったりします。笑◯飯の◯田さんと銀◯ャリのウ◯ギさんの足元に注目すれば、フリの時は足元は内向きで、ボケの時だけ中向きにポジションチェンジしているのがわかります。笑◯飯の◯田さんにいたってはツッコミもやっていますから基本的に内向きなんです。銀◯ャリのウ◯ギさんも同じようにボケる時だけ中向きに変わります。中向きに足を向けると真っ直ぐ前を見る姿勢になります。この姿勢はスピーチや演説の姿勢なんです。正しい事を言うぞ、という姿勢で、間違った事を言うから可笑しな発言に聞こえるんです」
「……」
「現在ではそうですが、漫才は進化しますので足の向け方も変わっていくと思います。だから明日になれば足の位置も修正されている恐れがあります」
「へーー、別に知ってたし、本当に知ってたし。わざわざ教えてもらわなくてもよかったし」
伊賀先輩が焦っている。
「そういう事は今の幼稚園児でも知っている事です。ちなみに外向きはお客さんに対して喋りかける足の向け方です。漫才はすでに手のうちがバレている状態だと考えた方がいい。だから漫才をする人は全てのことを知るところが第一段階です。そこから他の漫才師達がやっていない事を探す。探しまくるんです」
「ホンマかいな。幼稚園児でも知ってるんか」
「なんですか、そのエセ関西弁?」
「関西弁に憧れがあるんだよ」
「そうですか」
「……いくつぐらいから漫才の知識は知ってるもんなんだ?」
「基本的なことは3歳から知ってます」
「ホンマかいな」
「本当です」
「金木君が聡いだけじゃないのかい?」
「むしろぼくは何も知らない方です。できれば伊賀先輩とお笑いの勉強をしたいぐらいです」
「もう嫌だね。金木君と勉強するなんて真っ平ごめんだね」
「どうして?」
「金木ハイジがオタクだからだよ。研究を始めたらボクが潜れない奥深くまで潜るから付いていけない」
「買い被りすぎです。ぼくは何も知らないです。無知野郎です」
「金木君は逸脱するゲームはしてないのかい? 金木君は自分のゲームをしたらいいんだよ。ボクのゲームには入って来ないでくれ」
「してますよ。小説もコモディティー化が進んでいる分野です」
「どうやって逸脱しようとしてるの?」
よくぞ聞いてくれた、とぼくは言った。
「ストーリーやキャラクターだけじゃなく、実際に存在するように奥行きを持たせようと考えています」
「奥行き?」
「昔のアイドルが歌って踊って可愛いものだった。だけど現代ではアイドルもコモディティー化が進み、歌や踊りが上手いだけでも、可愛いだけでも応援ができなくなっています。そして次の段階に入ったんです。会いに行けるアイドル。幻想だったものが実際に会えることによって応援シロが生まれた。作品もそんな風にするべきなんです」
「会いに行けるアイドルって古いよ?」
「アイドルは古いかもしれませんが作品には応用されていない。会いにいける作品にするべきなんです。もっと言えば現実に浸透する作品って言えばいいですか?」
「金木君は逆に考えすぎて頭が悪いんじゃないか。ボクには意味がわからないよ」
「伊賀先輩が読んでいたブログは実際にぼくの作品のキャラクターがやっている事です。それを実際の作家であるぼくがやっていたら読者はどう考えるのでしょう?」
「知らん」
「ぼくもわかりません」
作家自身の人生が作品に反映されていると考えるんじゃないか。
「現実世界に作品が浸透していく」とぼくは答えた。
「金木君の言うことがわからない」
「作品の中の出来事が現実に行われていたり、現実の世界でキャラクターがコンテンツを作っていたら面白くないですか? こんなに作品が多い世界で、次の巻まで読者を連れて行くことができると思うんです。ちゃんとファンで居続けさせることができると思うんです」
「……ボクにはわからない。言ってることがわからないんだよ。金木ハイジ君」
「奥行きというのは応援シロのことです。現実の世界に浸透したキャラクターや作家は応援しやすい。会いに行けるアイドルになるわけです。だからぼくはぼくに近い作家を目指している主人公を書いています。これは奥行きを作るために必要なキャラクターです。ぼくは史上初の奥行きを考える奥行き作家になりたいわけです。会いに行けるアイドルになるわけです」
とぼくが言ったところで、調子に乗りすぎた、と思った。
ごめんなさい。全て伊賀先輩に嘯くために適当に喋っていることです。今の発言に一切の責任は取りません。
嘯くってどういうことだろう? 自分で使っていて意味がイマイチ理解できない。教えてgoo辞書先生。アイフォンを手にとって検索する。
偉そうに大きなことを言う、と書かれてある。意味は間違っていない。ぼくは嘯いている。
「作家になれなかったら、だいぶ恥ずかしいセリフだけど大丈夫?」
「大丈夫です。ぼくは作家になりますので」
とぼくは嘯く。
嘯きまくる。
これからも伊賀先輩には嘯いていこうと思っている。
伊賀京子は先輩だけど可愛らしいのだ。
小さなポニーテールで小さい背丈。虫網が似合いそう。なのに巨乳。
勉強が嫌いで、いつも悩んでいて、ネタも進まない。
ぼくは彼女をイジりたいのだ。
「ボクにはよくわからないけど金木君なら出来るよ。頑張って」
と伊賀先輩が言った。
「お前もな」とぼくは言った。
「ボクは金木君に舐められているのかい?」
「舐めていいですか?」
伊賀京子が顔を赤くさせる。
そして服を作る二人を見て、口を閉じた。
二人がこちらをジッと見つめていた。
威嚇しているようである。
伊賀先輩は咳払いをしてペンを握り、ノートに向き合った。
「漫才うまくいくといいですね」
ポクリと伊賀先輩が頷く。
「相方ができたんですよね、漫才ができたら見せてくださいね。楽しみにしてます」
ポクリと伊賀先輩が頷く。
もう彼女は言葉で返事をしてくれないみたいだった。
凶暴なメス猫に睨まれたせいだろう。
ぼくはアイフォンを手に取った。
宮崎いすずに喋りかけようと思ったけど、何だか恥ずかしい。
そういえば積極的にぼくから彼女に喋りかけたことがない。
中学生の時は興味があったから喋りかけていたけど、高校になってからはぼくが彼女に喋りかけるような事はなくなった。
ぼくが急に喋りかけたら、「コイツ何なの?」「えっ、金木ハイジから喋りかけた」みたいな事になるんじゃないだろうか?
そんな事にはならないとは思うけど、小説を読んでほしいなんて口が裂けても言えないような気がした。
同じ部室にいるのにぼくはいすずにラインを送る。
『小説を読んでほしいです』
服を作っていた宮崎いすずがラインを送った直後に気づく。
そして返信が返ってくる。
キャラクターがOKという看板を持った絵文字。
飛び跳ねたくなるほど嬉しい。
ぼくは白い金髪の男が唇を突き刺してキスしようとしている絵文字を送り返えした。
誰かに読んでもらうために書いた作品。
だけど初めて自分の意思で人に見せる。
ぼくの書いた小説は面白んだろうか?
ワクワクと不安があった。
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