第14話 そんな事で?

 久しぶりに学校に来たせいで、うさぎやいすずや他の友達に色々と絡まれた。

 だけど芋虫を耳に突っ込んだように彼女等あるいは彼等が何を喋っているのかがわからない。

 昼休みに職員室に行く。

 中本先生には、すでに退学する事は伝えていた。

 職員室に来たのも退学届けを貰うためだった。

「ここで話すのもアレだから、場所を移しましょう」

 中本先生はピンク色の小さなカバンを持って職員室から出て行く。

 ぼくは彼女の後ろをついて行った。

 先生は誰もいない生活指導室にぼくを招き入れた。

 先生はピンクのカバンからお弁当を取り出し、茶色い長机にお弁当を置いた。

 彼女はパイプ椅子に座って、お弁当を食べ始める。

「金木君はお昼は食べたのかしら?」

 ぼくは首を横に振る。

「卵焼き食べる?」

「今は何も食べる気持ちになれないです」

「そう」

「やつれているわよ。金木君らしくない」

「退学届けください」

「辞めるの?」

「はい」

「よくよく考えて。きっと他にもいい案があるはずよ」

「とりあえず退学届けがほしいです」

「金木君は今すごく短絡的に考えているわ」

 中本先生はそう言って、小さいカバンから退学届けを取り出す。

 そしてペンをぼくに差し出す。

「私の目の前で書いて」

 ぼくはペンを受け取り、パイプ椅子に座った。

 退学届けに目を落とす。

 名前、学生証に書かれているID、住所、学年とクラスを書き込む。

 ぼくは手を止めた。保護者の欄を記入する事ができない。

「書けるところだけでいいわ」

 ぼくは書ける範囲だけ書く。

「しばらく預かっておくわ」

「受理してください」

「もう少し頭を冷やしてから考えなさい」

「……」

「これを返してほしい、と金木君はしばらく経ったら言うわ」

「返してほしいとは言わないです」

「返してほしい時には私の言う事を聞いたら返してあげる」

「受理してください」

 ぼくは頭を下げて生活指導室から出て行く。

 


 放課後。

 部室には行かなかった。

 ガソリンスタンドのバイト先に行って辞める事を店長に伝えた。

 ぼくが辞めることを悲しんでくれたように思う。

 家に向かって歩く。

 どうやって就職先を探せばいいだろうか?

 明日からハローワークに行こう。

 ネットでも就職先を探そう。

 重い。

 砂でも飲み込んだように心が重たくて立ち止まる。

 ぼくに妹を守ることができるんだろうか?

 ぼくに母親を守ることができるんだろうか?

 太陽が沈もうとしている。



 家に帰ると制服姿にエプロンを付けた妹が顔を出す。

「おかえり」とアユが言って、笑顔を作った。

「ただいま」とぼくは言って笑顔を作った。

「お腹空いてる?」

 全然、空いてない。

「ペコペコ」とぼくが言う。

「よかった。ハンバーグを作ったの」

「大好き」

「そういえばお兄ちゃんの友達が来てるよ」

「友達?」

「部屋で待ってる」

 ぼくは自室がある2階に上がった。

 部屋には誰もいなかった。

 カバンを机の隣に置いて、制服を着替えてリビングに降りた。

 誰もいなかった事を妹に告げる。

「あれ? 帰ったのかな?」

「どんな奴だった?」

「頭がピンクですごく可愛い女の子」

「いすず?」

「お兄ちゃんの彼女?」

「そんな過激系ユーチューバーみたいな彼女はいません」

「ユーチューバーっていうより、クレメンタインっぽかったよ」

「クレメンタイン?」

「エターナルサンシャインっていう映画に登場するヒロイン」

「見た事ない」

「また映画見てよ」

 妹が首を傾げる。

「お兄ちゃん」

「なに?」

「なんでもない」 

「ごはん食べよ」

 妹が作ってくれたハンバーグを食べる。

 味がしない。

 作り間違えているのか、それともメンタルが壊れているせいなのか、味はブラックホールに飲み込まれて存在しなかった。

「美味しいよ」

 とぼくは言った。


 頭の中では戻る事ができない過去が再生されていた。

 母親がキッチンに立ち、父親はビールを飲んでいた。楽しそうに二人が喋っている。父親は東北出身で、少し訛りのある喋り方をしていた。

 何でもない過去の思い出が頭の中で再生された。


 ご飯を食べた後、ぼく達はソファーに座って、テレビを見た。

 テレビは映像と音が鳴っているだけの壁と同じだった。

「お風呂に入ったら?」

 とぼくが言う。

 妹がお風呂に入る。

 次にぼくがお風呂に入る。

 寝る直前まで一緒にソファーで過ごした。

 何も喋らなかった。

 妹にはぼくしかいなかった。ぼくにも妹しかいなかった。

 父はいなかった。母は病院のベッドだった。

 1人でベッドの上で眠っている母を想像した。

 誰にも干渉されず、ただ機械に繋げられて眠っている。

 そのことを考えるだけで土の中に埋まったように息ができない。

 


 部屋に入ると息を止めながら電気も付けずにベッドに入った。

 ベッドの中に誰かがいる感触がした。

 幽霊?

 ぼくは驚いてベッドから落ちた。

「そんなに驚かなくても」

 と声が聞こえた。

 いすず?

 薄暗い闇の中で、ピンクの髪が見えた。

「なんでココにいるんだよ」

「待ってたのよ。そしたら寝ちゃって」

「脅かすことないだろう」

「脅かす気なんてなかったわよ」

 隣の部屋の扉が開く音がした。

 ぼくは慌てて、いすずをベッドに倒して布団で隠した。

 妹には見られたくない。

 お母さんが病気で倒れ、お兄ちゃんが変な髪の女の子を部屋に連れ込んでいると知ったら、よくわからないけどパニックになるだろう。

 だってぼくが部屋にいすずがいる事でパニックになっているんだもん。

 布団の中で、いすずがぼくに抱きついてくる。

 ガチャ、と扉が開く。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 ぼくは布団から顔を出した。

 いすずが、ふざけているのかシャツの中に手を入れてきて、くすぐったい。

 なにやってんだよ、コイツは。

「大丈夫。ちょっとベッドから落ちただけ」

「一緒に寝る?」と妹が尋ねた。

「もう中学生だろう」

「……そうだね。おやすみお兄ちゃん」

「おやすみ」

 アユが扉を閉めて出て行く。


 いすずが、ぼくの胸に顔を埋めていた。

 クスクスと笑っている。

「なんだよ?」

「まだ妹と一緒に寝てるの?」

「寝てるわけねぇーだろう」

 母親が倒れて寂しかっただけだ。

「何しに来たんだよ?」

「ネット投稿でホラーのジャンルで上位になったのよ。もう十分よね?」

「……」

「ほら?」

 といすずにアイフォンを見せられる。

 画面に表示されていたのは、投稿サイトのページだった。

 彼女の小説を読んだ人達が、小説の内容を褒めている画面。

 いずずのアイフォンを手にとって読者からの反応を読んだ。

 ぼくがアイフォンに意識を向けている隙に、彼女がぼくの唇に唇が重ねてきた。

 喉に触れるぐらいに彼女の舌が侵入してくる。

 彼女の手が、ぼくのズボンを触ってくる。

 無理矢理、ぼくは顔を離す。

「やめてくれ」

「やめない」

「いすずの作品が誰かに読まれてもぼくは喜べない」

「どうして?」

「悔しい」

「ハイジもネット投稿したらいいじゃん」

 といすずが簡単に言う。

 誰にも評価されていないのに、誰かに見せるのが不安だった。頑張っているのに、誰かに読まれて失望されたくなかった。だからネット投稿が出来ずにいた。

「誰にも評価されない時期は誰にだってあるわ」

 といすずが言う。

「ぼくはもう作家を目指していない」

「どうして?」

 ぼくは母親のことを伝えた。

 そして妹を大学に行かせたいこと。

 ぼくが守らないといけないこと。

 彼女は暗闇の中で、ぼくの目を真っ直ぐに見つめた。



「そんな事で?」

 といすずが言った。



「なんだ。ハイジって意外とつまんないんだね」

「……」

「それがハイジの諦める理由なら、あまりにもつまらない」

「つまらないって何だよ」

「自分で考えたら」

「……」 

「今日は帰るわ」

 彼女が立ち上がる。

 いすずが部屋から出て行った。



 そんな事で?

 という言葉が頭をぐるぐると回っていた。

 お母さんが倒れたんだ。

 妹を大学に行かせないといけないんだ。

 書いていた時間を家族のために使わなくちゃいけないんだ。

 だってぼくはアユのたった1人のお兄ちゃんなんだもん。

 ぼくがお母さんの分まで頑張らなくちゃ、家族が離れ離れになってしまうような気がした。

 もうお母さんに無理はさせたくない。

 だけどぼくは小説を書くのを諦める事ができるんだろうか?

 ずっと書いて、ようやく書き終わったと思ったら書いていない事が苦しくて、眠れない日々を過ごしているようなぼくが作家になることを諦めることができるんだろうか?

 誰にも読まれていないというのは書いていないと同じである。

 いっぱい書いても白紙だった。

 ぼくが書いてきたことに意味があるんだろうか?

 それでもぼくは書いてきた。 

 誰にも評価されなくても、書き続けてきたぼくが、誰にも評価されずに辞める事ができるんだろうか?

 心に鎖かかっているような気がした。

 重たくて頑丈な呪いのような鎖。

 いつかはこの鎖も無くなるんだろうか?

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